第13話 脅し

 言った。言い切った。これ以上は、もう俺に言えることは何も無い。伝えるべきことは全部、伝えた……はず。

 あとは――と固唾を飲んで、樹さんの返事を待った。

 相変わらず、空気清浄機の音がホワイトノイズさながらに静かに響く中、樹さんは険しい表情でぐっと口を真一文字に結んでいた。何かを堪えているかのように、しばらくそうしてから、すうっと荒々しく鼻で息を吸い込み、


だ!」

「え……ええ……!?」


 やだ? やだ、て言った、この人!?


「なんで、俺が見ててやんなきゃなんないんだよ!? 俺はお前のこと信用ならない、て言ってんの! 信用できない奴の言葉をあっさり鵜呑みにして、『分かりました、じゃあ見てまーす』なんて言うか!」


 た……確かに……そう、か。


「いや……でも、樹さんが俺のことを信用できないのは、俺のことを知らないから……てのもあると思うんで。俺もそういう経験があるから分かるっていうか……。未知のものって怖いですよね」

「誰が怖い話してんだよ!? お前は稲川さんか!?」

「稲川さん……!?」

 

 誰……だっけ? 香月からもその名前を聞いたことがあるような。確か、テレビとかネットとかで、心霊体験を語る人……だったかな? 樹さんもそういうの好きなのか?


「人畜無害のフリしやがって。逆に怪しいんだよ。絶対に化けの皮剥がしてやるからな!」

「ば……化けの皮って……」


 脅されている……んだろうけども。ぎらりと鋭い眼光を放って、不敵に笑む――その様は、やっぱり『カヅキ』によく似ていて。懐かしいというか……つい、親しみが湧いてしまった。


「あ……」と、樹さんはハッとして、顔をしかめた。「お前、なに、ニヤケてんだ?」

「え……いや、ニヤケてません!」

「絶対、微笑んでただろ、今!」

「ほ……微笑んでないっす!」

「微笑んでたって!」

「微笑んでません!」


 お互い必死になりながら、よく分からない押し問答を続けていると、


「いつまでイチャついてるんですか」

「イチャついてる!?」


 樹さんと声を合わせてギョッとして見れば、ソファの後ろを典子さんがスタスタと通り過ぎていくところだった。そうして、俺の目の前――樹さんの隣まで来て、典子さんはぴたりと立ち止まり、


「もういいでしょう、樹さん。明らかに、樹さんのほうがクソ野郎です」


 ばっさりとそう言い切った。


「ちょっと……のんちゃん!? 俺のほうがクソ野郎って、どういうこと……!? てか、さっきも、俺のことクソ野郎、て言ってなかった!?」

「そのままの意味ですよ」


 すんとした表情でそう答え、典子さんは黒革の財布と車の鍵をおもむろに樹さんに差し出す。


「財布も見つかったし、恥も充分晒したし。カヅちゃんに気づかれないうちに、そろそろ行きましょう」

「恥って……!?」

「今夜は、ご両親とお夕飯をご一緒する約束してるんですよ。八時までには戻ってこないといけないんです。カレシくんとイチャついてる場合じゃありません。このままじゃ、アウトレットに行けても何もできません。おいしいあんみつパフェのお店を見つけてくれたんじゃないんですか?」

「待って、のんちゃん!? アウトレット……まだ行く気なの? こいつ、家に放ったらかしにして……!?」


 こいつ――と言って、ちらりと樹さんが冷たい視線を送ってきたのは、もちろん俺だ。


「そう。放ったらかしにしてください」

「いや、でもさ……」

「樹さん――」と、ふいに、典子さんの淡々とした口調に熱がこもるのが分かった。「カレシくんと私。どちらを放ったらかしにするつもりですか?」


 その瞬間、樹さんはハッとして、ガラリと表情を変えた。さっきまでピリピリして目くじら立ててたのが嘘のよう。力無くため息吐くと、前髪をさらりと掻き上げ困ったように苦笑をこぼす。


「それは……その訊き方はずるいでしょ」

「知ってます」


 相変わらず、その横顔はぼうっとして、なんの感情も読み取れないけど。典子さんのその声は、呆れたようでいて、愛おしそうにも聞こえた。


「のんちゃんを放ったらかしになんて、できるわけないわ」


 観念したように言って、樹さんは典子さんの手から財布と鍵を受け取る。

 いっとき、その場が穏やかな空気に包まれた――かと思いきや、「でもな」と樹さんは再び怒気のこもった声で言い、射るような視線で俺を睨め付けてきた。


「お前のこと信用したわけじゃないからな! 今日はもう仕方ない。俺ものんちゃんとの約束があるし……このまま家に居させてやるけど――カヅに指一本触れるなよ!」

「は……はい!」


 反射的にピシッと背筋を伸ばして返事をしてから、ハッとする。

 え……いや、なんて!? 指一本って……!?

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