第12話 真実③

 唖然として典子さんを見つめていると、


「のんちゃんの見る目を疑うわけじゃないけどさ」とぶつくさと不満げな樹さんの声がした。「それは証拠にはならないでしょ」

「証拠って……なんのです? クソ野郎じゃない証拠ですか? クソ野郎の定義なんて、人それぞれですよ? 樹さんだって、私や元カノの皆さんからしたら、十分、クソ野郎ですよ」

「本当に女性恐怖症だった――ていう証拠だよ」


 女性恐怖症だった……証拠!? なんだ、それ!?

 ぎょっとして振り返れば、樹さんの冷静……と言うよりも冷酷な表情があった。そこには一切の情と呼べるものは無く、まるで精巧な人形のようで。『カヅキ』とよく似た顔立ちが、今は全くの別物に見えた。

 長い前髪の下では、凍てつくような瞳が俺を見下ろし、敵意をこれでもかと浴びせてくる。よっぽど、信じていない、てことだろう。俺を心から『クソ野郎』だと思ってるんだ。


「日付が入ったブログとか日記とか……女性恐怖症に関する記述のある記録。もしくは、親や友達に相談してたメールやLIMEでもいい。お前が女性恐怖症について語っていた、という証拠になるもの。そういうものは、お前、あんのか?」

「それは……」

「――ないだろ」


 口ごもる俺を待つこともなく、樹さんはぴしゃりと言った。確信をもって断言するように。


「お前さ、調子が良すぎんだよ」樹さんはヤケクソ気味に鼻で笑い、くしゃりと髪を掻き上げた。「『女性恐怖症』だとか言いながら、カヅが女だって分かってすぐ、友達面して部屋に上がり込んできて。フツー、そうなるか? 俺だったら、十年も騙してたような女とは一生口利かねぇし、本当に『女性恐怖症』とかいうのだったら悪化するだろ。それなのに、ころっと『もう克服した』とか言って、あっさり付き合い出すし……そんな奴、信用できるか。最初からカヅと付き合うのが目的だったとしか思えない」


 捲し立てるように言われ、俺は樹さんを見上げたまま絶句して固まった。

 何も言い返せなかった。


 なるほど――と思ってしまった。


 不思議な感覚だった。

 動揺や困惑で混沌としていた頭の中がぱあっと晴れて……真っ白になったような気分だった。

 なんの感情も湧いてこなくて……ただ、納得したんだ。確かに、そうだよな、て。、そう思うのかもしれない、て。俺と香月とのこと――どういう想いで、どんな言葉を交わして、ここまで来たのか。遊佐や香月の友達や、絢瀬や護たち……皆にどれだけ助けられて、ここまで来たのか。そんなこと、樹さんは知る由も無いから。

 たとえ、全部誤解で、樹さんの思い込みだとしても、樹さんにとってはそれが――樹さんが信じることが――真実で。だから、俺を『クソ野郎』だと思って、ここまで警戒している――そんな樹さんを、俺が責められるはずもない。俺だって、同じようなことをしたんだ。四年間も、ずっと……。


「そう……ですね」と俺は視線を落として、力なく呟いていた。「分かります」

「分かります……って? は? じゃあ……認める、てことか?」

「樹さんが言ったことは全部事実です。俺は……香月が女だって分かってすぐ、友達として香月の部屋に上がり込んだし、十年も俺を騙してた香月と付き合い出しました。――そうやって、香月と付き合うのが目的だったわけじゃないって証拠は無いです。女性恐怖症が本当だった、ていう証拠もありません。

 女性恐怖症のことを、香月以外に明かしたことがあるのはクラスの奴一人だけで、そいつも信じてません。ずっと『拗らせやがって』って茶化して来て、きっと今も『キャラ設定』だと思ってます。親にも話したことないし、何か記録に残したこともない。『きつい』とか『しんどい』とか、伝えたことがあるのは香月だけで。だから、女性恐怖症だった、ていう証拠は何も無いです。樹さんが言ったことが真実じゃない、て俺に証明する方法はないし……しようとも思いません」


 はっきりとそう言い切って、俺は樹さんを見上げた。

 強がりでも、ムキになっているわけでもない。本心だった。

 本当に俺は女性恐怖症だったんです――なんて、樹さんに訴えたいとは思わなかった。そういう気持ちは不思議と全く湧いて来なかった。

 俺が女性恐怖症で苦しんでいたとき、ずっと傍で支えてくれてた人がいて、克服したとき、『おめでとう』って言ってくれたから。それだけで、もういいんだ。それ以上、望むことなんてない。別に、皆が皆に分かってもらう必要なんてないと思うんだ。


「女性恐怖症のことは樹さんに信じてもらえなくてもいいです。でも、俺は香月を騙すようなクソ野郎じゃないってことは知ってほしいと思います」


 真っ直ぐに樹さんを見つめて言うと、樹さんは「は?」と怪訝そうに柳眉を寄せた。困惑に苛立ちさえ混じって、今にも掴みかかってきそうな剣幕だったが、一発くらい殴られてもいいや、とそんな気分にさえなっていた。男同士は拳で語り合ったほうが早いもんな――なんて心の中で香月に言いながら、俺はすっと息を吸い、自分でも驚くくらい清々しく言い放った。


「俺は香月が好きです。その気持ちは証明できると思うから。――だから、これから見ていてください。俺は香月を絶対に幸せにしてみせます」

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