第3話 怖くない
「ん……?」と香月は訝しげに小首を傾げ、ぎこちなく微笑んだ。「男……なのは、ちゃんと分かってるよ? もしかして、可愛い、て言いすぎちゃった?」
「そういうことじゃなくて……」
ここまで言っても、香月はまだふわりと柔らかなオーラを纏って、慈愛に満ちた眼差しを向けてくる。燦々と差し込む陽に照らされたその姿は、今の俺には眩いほどに清らかに見えて。自分がとてつもなく穢れているようにすら思えてくる。
確信していた。香月はやっぱり、分かってないんだ、て。俺が『男』だ、ていう……その意味を、香月はちゃんと理解していないんだ。
仕方ないよな。
女子とぶつかっただけでパニクって『カヅキ』に電話して泣き言を言い、『カヅキ』目当てのオネーさんに腕を捕まれれば、悲鳴をあげて吐きそうになって……そういう情けない姿ばかり、香月には見せてきたんだ。いくら、克服した、と伝えても、心のどこかではそれを信じきれずにいるんだろう。だから、さっきみたいに、俺がまだ、女を……
「もう前とは違うんだ、香月」膝の上でぐっと力強く拳を握りしめ、俺は静かに訴えかけるように言った。「俺らは子供じゃないし、もう『友達』でもない。お互い、昔とは体つきだって違うし、力も違う。考えることも違う」
香月が女だと分かってから、その違いを触れるたびに感じてきた。ほっそりとした肩に、華奢な背中。絡めた指先は細く滑らかで、重ねた唇は儚く感じるほどに繊細で柔らかな感触がした。そして……校門の前でぶつかった香月の体は、あまりに軽く、あっけなく吹っ飛んだ。一緒にホッケーやってたころは、俺は香月に押し合いで勝てたことなんてなかったのに。
そんな違いを愛おしく思いながらも……今は、怖いとも思う。
「俺はもうお前のことを女として見てる。イチャイチャしたい、とか言われたら、やっぱ期待する。さっきだって……確かに、キスされる、と思ったけど、それ以上に、したいと思った。触りたくてたまらなくなった。だから――怖いんだ。こんなに誰かに触れたい、て思うのは初めてだから。自分が何をしでかすか分からなくて、不安になる」
恥ずかしさを振り払うように早口でそう捲し立て、俺は香月を射るように見つめた。
「もう俺は女を怖いとは思ってない。それよりも、今は――お前を傷つけることが怖いんだ」
ふわりと髪を揺らして、香月はハッとした。俺の言葉があまりに予想外だったのだろう、瞬きすら忘れてしまったかのように愕然として固まってしまった。
部屋はしんと静まり返って、相変わらず、空気清浄機の音だけが低く鳴り響いていた。
どんな反応が返ってくるのか、予想もつかなくて。固唾を飲んで見つめていると、ややあってから、香月は深く息を吐き、「私――」と俯いた。
「私……そんなにやわじゃない」
「へ……?」
「たぶん、陸太より鍛えてる」
ばっと顔を上げると、香月はムッとした表情でねめつけてきて、
「ちょっと陸太にイチャつかれたくらいで、骨折とかしない」
骨折!?
「え……いや……骨折とかそういう話じゃねぇよ!?」
「じゃあ、どういう話?」
「それは……だから、たとえば、お前が嫌がるようなことをしたり――」
「陸太は、私が『嫌だ』って言ったことでも力づくでするの?」
冷静にそう切り返された瞬間、ぞわっと背筋に戦慄が走って、
「んなこと、するわけねぇだろ!」
――て、そんな言葉が怒号となって口から飛び出していた。
そして、すぐにハッとして、あれ……とその違和感に顔をしかめる。なんだ、今の……? 俺、矛盾……してね?
きょとんとしていると、香月はクスッと笑って、
「うん、知ってる」と晴れやかに言った。「だから、私は怖くないんだ」
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