第4話 好きな人
「知ってるって……」
「私はずっと陸太を見てきたんだ。十年も。だから、知ってる。陸太は、私が『嫌だ』って言うことは絶対にしないし、それを責めるようなこともしない。私の気持ちを大事にしてくれる。そういう
そこまで淀みなくすらすら言って、香月はばつが悪そうに苦笑した。
「ハーデスの練習だって……まともな理由も言わずに、来ないで、なんて言っちゃったのに、あれからずっと何も言わずに待っててくれてるもんね。『男』だったときも、家に行こうとしなかったり、連れション断固拒否したり。結構、怪しいことしてたと思うけど……一度も、理由を聞いてくることもなくて、そっとしておいてくれた。信じてくれてた。陸太がそういう人だから、十年も騙せちゃったんだな、て思うよ」
どこか切なげにそう語ると、香月はふいに表情を曇らせ、「中一のときね……」と声を落として切り出した。
「陸部の先輩と揉めたんだ。何度か話したことある程度の先輩だったんだけど……勘違いさせちゃったみたいで。向こうは付き合う気になってて……でも、私はそんな気なくて。一度、部活終わりに学校で二人きりになったとき、手を繋がれそうになったんだ。そのとき、初めて勘違いさせてることに気づいて、その場ではっきり振った。そしたら、『思わせぶりなことするなよ』ってすごく責められた」
「そ……」
そんなことがあったのか……て出かけた言葉は、あまりのショックで声にならなかった。
いきなり、なんの話を始めたかと思えば……知らなかった。香月が学校でそんな目に遭っていたなんて。
そりゃ、香月はその頃、まだ『男』のフリをしていたんだし、そんな話を俺にできるわけもなかったんだろうけど。俺が知る由もなかったんだろうけど。
それでも……腹立たしくて堪らなくなった。香月がそうして悩んでいる間も、俺は何も知らずに、のうのうと『親友』面して傍に居たのかと思うと――。
「気のある素ぶりなんてしたつもりはなかったけど、
「いや、そんなの……お前は悪くないだろ!」
思わず、声を荒らげ、香月の話を遮っていた。
いや……香月に怒鳴っても仕方ないんだが。今さら、ここで何を喚いても遅いんだろうが。
我慢ならなかった。
腹わたが煮え繰り返るようで、ふつふつと血が沸き、わなわなと拳が震えていた。その先輩の……その見たこともない顔を殴りつけてやりたい気持ちになった。
そんな俺に、香月はふっと穏やかに微笑み、「うん」とじっくり頷いた。
「そのときも、陸太にそう言われた」
「は……?」と握りしめた拳から力が抜ける。「そのときもって……」
「ちょうど、先輩と揉めてたとき、陸太に会ったんだ。『なんか元気無くね?』って陸太に聞かれて……すごく相談したかったけど、できなかった。全部話そうとしたら、『女』だって明かさないといけないから。だから、『学校で先輩と口論になった』とだけ言ったんだ」
その瞬間、記憶の中で閃光が走ったようだった。
「あ――!」
そういえば……と思い出してハッとする。細かくは覚えてはいないが……確かに、『カヅキ』からそんなことを聞いた気がする。
『カヅキ』はいつでも涼しげに微笑みながらなんでも円滑にそつなくこなし、人付き合いも波風なんて立たせることも無く、『カヅキ』の周りはいつだって凪のように穏やか――なイメージだったから、中学に入るなり、先輩とぶつかった、と聞いて、結構、衝撃を受けた気がする。
いや、まさか……それが色恋沙汰だったとは思いもしなかったけど。
「そのときなんだ」頰を染め、香月ははにかむようにクスリと笑って視線を落とした。「詳しいことは話せない、て言ったらね、『まあ、何があったか知らないけど、お前は悪くないから気にするな』――て、なんの根拠もないのに、陸太は自信満々に言ってくれた。『何かされたら、一緒に殴り込みに行ってやる。男同士は、拳で語り合ったほうが早いからな』なんて冗談言って無邪気に笑ってくれて……その顔がたまらなく愛おしく思えて、胸がいっぱいになった。やっぱり、この人が好きだなぁ、て思ったんだ」
ボッと火がついたように顔が一気に熱くなった。
な……なんつー話をいきなりするんだ!?
俺が本人だ、て忘れてんのか? て思うほど、恥ずかしげもなく惚気られ、脳みそまで茹で上がったみたいだった。
しかも……だ。思わぬ謎が、ここにきて解けてしまった。
殴り込むやら、拳で語り合うやら――ようやく、思い出した。それは、父親から押し付け……譲り受けた、平成初期の不良漫画『不屈の番長』に出てくるセリフで。俺の部屋の本棚に置いてあるそれを、たまに暇つぶしに読むことがあって……確かに、中学んとき、よくネタにして友達に言っていた記憶がある。
そうか。たまに、香月は妙に古めかしいことを口にすることがあって……どこで学んだんだ、と呆れていたが。俺(正しくは、『不屈の番長』だけど)だったのか……!
「ごめん、脱線しちゃった」なんて照れたように言ってから、香月はおもむろに視線を上げた。「つまり……ね。たとえ、子供じゃなくなって、もう『友達』じゃなくなっても……陸太のそういうところはずっと変わらない、て私は信じてるんだ」
迷いなくはっきりとした口調でそう言って、香月は熱っぽく俺を見つめてきた。真剣な表情で、澄んだ瞳を水面のように潤ませながら……。
そして、わずかに唇を動かして、ぽつりと「だから」と囁くように言った。
「私は陸太がいい。陸太となら……怖くない」
その言葉に、まるで胸を撃ち抜かれたようだった。容赦無く、ど真ん中一直線に。
ふっと体から力が抜けて、ため息が漏れていた。
相変わらずだよな、と呆れてしまう。こうして、甘い言葉を恥ずかしげもなくさらりと囁く。そういうところは香月も変わらない。『王子様』のままで。俺には到底口にできないようなことも、躊躇なく言って退けるんだ。それが本心から湧き出てきたものだ、と確信できるほどに堂々として澄んだ声色で。
それで、俺はいつも面食らう。思いっきり鳩尾に一発食らったみたいに、息さえ止まって黙り込んでしまう。今もそうだ。言葉が出てこない。狂おしいほどに熱いものは確かにこみ上げてくるのに、それをどう言葉にしたらいいか分からなくて――体が勝手に動いていた。
気づけば、ソファに左手をつき、香月のほうへと身を乗り出していた。
衝動……というには、落ち着いていた。心臓の音が一つ一つ静かに鳴り響いているのがはっきりと聞こえるようだった。
激しさも勢いもなく。自然に右手が伸びて、以前より伸びたその髪を撫でるようにして、香月の耳元に滑り込ませていた。
短くなった前髪の下で、ぱっちりとした大きな目が俺を捉えていた。動揺もあらわに揺れるその瞳はすぐ目の前にあって。みるみるうちに熱を帯びていくそれに吸い寄せられるように顔を近づけ、
「え――」と今にも戸惑う声を漏らしそうな香月の唇に、自分のそれを重ね合わせた。
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