第2話 ギュッてしてうにうに
その怪しげな擬音語には聞き覚えがあった。しかし、なぜ、ここで出てくる? スケートに関する擬音語じゃ……なかったのか?
きょとんとする俺に構わず、香月は「よっ」とソファの上に登り、俺のほうへ身体を向けて正座した。そして、おもむろに両手を俺のほうへ伸ばしてきて、そっと俺の両頰に触れる。ふわりと頬を包み込む感触は柔らかく、そして、相変わらず、気持ち良いほどにひんやりとした。
途端に心臓が強く鼓動を打ち始め、つい、唇をきゅっと引き結んでいた。身体中が焼けるように熱くなって、今にも爆発しそうな何かが疼くのを腹の底に感じた。――全身が、そのときを待ち焦がれているかのようだった。
いったい、どれほどの間だったのか。一瞬だったのか、それとも、数秒ほどは経っていたのか。香月は俺の顔を両手で挟むようにして、じっと俺を見つめてから、ふいにクスリと形の良い唇に微笑を浮かべた。
そして――、
「い……!?」
思わず、素っ頓狂な声が飛び出していた。
突然、ギュッと頰に痛みが走ったのだ。子犬に甘噛みでもされているかのような、そんな優しい痛みで……。
なぜか……なぜだか、さっぱり分からないが、香月が俺の両頬を抓っていた。
状況が掴めず、面食らっている間にも、マッサージでもするかの如く何度も頰を抓られ、しまいには両手のひらで思いっきり両頬をぐにゅっと押し潰された。
そうして俺の顔を両手で挟んでひょっとこのように変形させ、香月は実に満足げに……もはや、すっきりとした表情で俺を見つめている。
な……なぜ? なんなんだ? なにされてんの? これはどういう状況!?
顔を好き勝手にこねくり回される……という、快感――というには、あまりにも斬新な衝撃だった。全くもって、意図が分からなかった。この香月の行動をどう受け取ったらいいのやら。これはこれで……イチャイチャの一貫なんだろうか?
「か……かづき……」たまらず、俺は両頬を圧迫されながらも、なんとか言葉を発し、「これは……なんだ?」
そう単刀直入に聞けば、香月は悪戯っぽく微笑み、
「陸太が可愛くてたまらない、ていう――ギュッてしてうにうに〜……な私の気持ち」
「ああ、これが……って、親戚の子供か!」と、香月の手を振り払い、俺は勢いよく横に飛び退き、香月から身を離していた。「ただの悪ふざけじゃねぇか!」
「そんなことないよ」怪しげに笑んで、香月は指先をくいくいと動かして見せる。「気持ち良かったでしょ」
「き……」
確かに。ぴりっとした刺激に、優しく揉まれるような感覚は……ちょっと気持ちよかったような気がしなくも無いが――。
「気持ち良くねぇし!」
「素直じゃないなぁ」と香月は、はは、と爽やかに笑って、ソファの上で正座したまま俺の顔を覗き込んできた。「キス――されると思った?」
その瞬間、ぎくりとして心臓が飛び跳ねたようだった。
図星、というやつだろう。なんのことだ、とか……聞くまでも無い。思い当たる節ははっきりとあった。口許にその緊張の余韻がまだ残っている気がする。
さっき、香月が両手を伸ばしてきたとき、確かに、そういう流れになるのだ、と思って体が勝手に反応していた。思いっきり、その予想は裏切られたわけだが。ギュッてしてうにうに……という香月の不可解極まりない愛情表現によって。
しかし、なぜ、わざわざ聞いてくる? どんな答えを期待しているんだ? 素直に肯定するのも恥ずかしいし、嘘吐いてまで否定するのも情けない気がする。とりあえず、「まあ……」と俺は曖昧にごまかしていた。
すると、「大丈夫だよ」と香月はなぜか、申し訳なさそうなか細い声で言い、
「怖がってる陸太に、私はキスなんてしない」きりっと凛々しい表情を浮かべ、まっすぐに俺を見つめてきた。「私になら何されたっていい……て、言ってくれたのはすごく嬉しかった。でも、無理はさせたくないんだ。陸太が嫌がるようなこと、私は絶対にしたく無いから……。だから、あんなに緊張してる陸太に、私は何かしようとは思えない」
ハッとして声を失った。
やっぱり、香月はよく俺を見ている。見てくれている。そう実感するなり、熱くこみ上げてくるものがあった。
もう癖みたいなものなんだろう。香月は俺の些細な表情の変化も見逃さないし、俺の感情の機微に臆病なほどに敏感なんだ。そうやって、ずっと何年も俺を守ってきてくれたんだもんな。
だからこそ、不安にさせる。少しでも俺が顔色を変えるだけで、一歩引かせてしまう。もうその必要はないのに。そんなことを、彼女にさせてはいけないのに。
罪悪感と、ふがいなさが胸を締め付けてきた。
「香月」と深く息を吐き、俺は持っていた空のコップをローテーブルに置いた。「お前のほうこそ……怖く無いのか?」
「怖いって……?」
俺もソファに片足だけ乗せると、香月に身体ごと向ける。
折り曲げて乗せた膝が、香月のそれにもう少しで触れそうな――そんな距離で香月と向かい合い、俺は低い声で言った。
「俺も、一応……男なんだよ。お前が思ってるほど、『可愛い』もんじゃない」
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