最終章
第1話 イチャイチャ
イチャイチャって……何すんの?
ふわっとしたイメージはあるけど……分からん。具体的に何をどうしたらいいんだ?
十六年間生きてきた中で、恋愛経験なんてゲームの中のみ。二次元世界の五千ポリゴンのカノジョとしか積んでこなかった。つまり、今まで付き合ったことがあるのは、決して触れられない存在で。当然、イチャイチャなんて、スマホの画面越しに見つめ合って、マイクを通じて『好きだよ』とか『かわいいよ』とか……そういうことを囁くくらい。
だから、途方に暮れていた。
傾きつつある太陽の陽が窓から差し込み、縦長に伸びたリビングの奥まで光を行き届かさせていた。そんな中、俺は一人、テレビの向かいにあるL字のソファに座り、渋面を浮かべて俯いていた。
誰もいない香月の家なんて、いつものこと。それなのに、今日ばかりはその静けさが落ち着かない。リビングの端にある空気清浄機の低い音がやたらと耳に付く。新緑の森の中にでもいるような、相変わらずのその澄んだ空気も、どんなに息を吸おうが、全然、肺に入ってくる気がしない。
ちらりと横目で見れば、奥のキッチンで香月が冷蔵庫を開けていた。まるで平静。オレンジジュースを取り出して、コップに注ぐその様は今までと何も変わらないように見える。イチャイチャというものを、してみませぬか――と緊張もあわらに言ってきたのが嘘のようだ。
あのあと――俺は奇声を発するや、固まってしまった。『イチャイチャ』なんて思わぬことを言われて思考がストップ。どうしたらいいかも分からず、立ち尽くした。そんな俺を見て、香月が「さすがに、まだ早いか」なんて、無理したように笑うから。「んなことねぇよ!」って、気づけば大見得切っていた。
その勢いのまま、こうして香月ん
どうしよう……と俺は重い溜息ついて、再び視線を足元に落とした。
嫌なわけじゃない。むしろ、香月に触れたいと思う。触れたくてたまらなくて……だからこそ、不安になる。イチャイチャ、てどうすればいいんだ? どこから……どこまで触っていいんだろう――て、分からなくて怖くなる。
「はい、どーぞ」
コツンと小気味良い音がして、香月の涼やかな声が聞こえた。
ハッと我に返って顔を上げれば、目の前のローテーブルの上にオレンジジュースの入ったコップが置かれていた。
「暑かったね〜」ふわりと隣で座る気配がして、緊張感の無いあっけらかんとした声がした。「真夏に歩かせちゃってごめんね。とりあえず、それ飲んで涼んで」
視界の端で、ミントグリーンのスカートから覗く膝が見えた。それだけで、ぞわっと腹の底で疼くものがあって、
「あ……ああ、ありがとう」
慌ててコップを手に取り、オレンジジュースを口に含む。そんな俺を横から見つめる視線を感じつつ、暑さのせいなのかなんなのか、火照って仕方ない体を冷やすべく、一気に飲み干さんとしていると、
「陸太……大丈夫? もう、すごく硬くなっちゃってるけど」
そっと囁かれたその言葉に、思わず、ジュースを噴き出しそうになった。
「お前……!?」とむせながら、勢いよく振り返り、「な……何が……何の話を……!? いくらなんでも、そういうからかい方はやめろよ!?」
慌てふためく俺を、香月はきょとんとして見つめて小首を傾げた。
「からかうって……? 表情が硬いな、て……思っただけで」ぼんやりとそう言ってから、香月は訝しそうに眉を顰めた。「陸太こそ、何の話を……」
ひょ……表情!?
げ……と、顔は熱いのに、さあっと体が一気に冷え切っていくようだった。
「何も!? 何の話もしてない!」
大慌てで首を横に振り、必死にごまかそうとしたのだが、香月は「あ」とぱっちりとした目を見開いて、
「ああ……」
「納得するな! 頼むから!」
最悪だ……! アホすぎる。意識……しすぎだろ!?
もう血の涙でも出てきそうな恥ずかしさ。穴があったら入りたい、てまさにそんな心境だ。
そんな俺を腹立たしいほどに微笑ましく眺めながら、香月は「へえ」と興味深げに呟く。
「まんざらでもないんだ。可愛いなぁ」
「だ……だから、可愛い、て言うな!」
「これはもう……ギュッてしてうにうに――だな」
「お前、話聞いてんのか!?」
未だかつてない恥辱に動揺しまくり、ワケも分からず、夢中で声を荒らげて……ふいに、ハッとする。
ギュッてしてうにうに……?
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