第15話 行こうぜ

「ね……寝ちゃった……」


 エンドロールも流れ終え、明るくなったシアター内。なかなか衝撃的なラストの余韻に浸りつつ、続きはあと二年後かーなんて悲嘆に暮れる観客達がぞろぞろと腰を上げて去っていく中、全く別の悲嘆に暮れている奴がいた。俺の隣に。


「最低だ……」


 両手で顔を覆い、がっくりと項垂れる香月に、俺は苦笑するしかなかった。

 まさか、ここまで落ち込むとは……。寝ちゃった〜、とハハッて笑うもんだと思っていたのに。

 香月が目を覚ましたのは、ラストのラスト。主要キャラクターの突然の死に、シアター内にまばらに座った僅かな観客達が息を合わせてハッとしたときだった。「んん……」て寝ぼけた声がしたかと思いきや、香月はばっと頭を起こし……一人だけ、ワンテンポ遅れてハッとした。そのままエンドロールに入り、唖然としてスクリーンを見ている香月の横顔を盗み見て、俺は必死に笑いをこらえていた。明るくなってから何を言い出すかな、なんて……ちょっと楽しみにしていたくらいだったのに。ここまでドンベコミされると、からかう気にもなれねぇわ。

 よっぽど、映画を見逃したのがショックなんだろうか。起こしてやればよかったかな。あまりに気持ちよさそうに寝てたから……そうして安心しきって眠る香月の隣に居るのが、俺も居心地よくて。つい、そのままにしてしまった。

 いや、でも……考えてみれば、香月だって金出して観に来たわけだし。放っとくなんて、非人道的? カレシ失格?

 たちまち、罪悪感が込み上げきて、ごめん――と謝ろうとしたとき、


「ごめん……ほんとごめん!」と相変わらず、顔を両手で覆ったまま、香月が先に謝ってきた。「デート中に寝るなんてあり得ない。カノジョ失格だ」

「へ……」


 おお……すげぇ。シンクロした? ――って、いや。そんなことで感動してる場合じゃねぇよな。


「カノジョ失格って……なんだよ? 別にそこまでのことじゃ……」

「樹兄ちゃんがね」俺の言葉など届いてもいないかのように、香月は急に重々しい口調で切り出し、「前、付き合ってたカノジョとデートでプラネタリウムに行って、爆睡しちゃったんだって。目を覚ましたら、隣にカノジョはいなくて……それから、電話しても繋がらなくて、LIMEも既読にならなくて。樹兄ちゃん、『俺が付き合ってたあの子は、もしかしたら、幽霊だったのかもしれない』って本気で悩んでたんだけど、休み明けに大学行ったら、普通にばったり出くわしたんだって」


 そこまで淡々と語って、香月は沈黙。どうやら、それで話は終わりのようだが……だから、なんなんだ!?


「いきなり、なんの話だ!?」


 堪らず、がなり立てるように訊ねると、香月はぼそっと答えた。


「本当にあった怖い話」

「いや……お前のそのテンションのほうが怖いわ」


 つまり……なんだ? さっきの話のオチは……樹さんの元カノは、結局、幽霊とかじゃなかった、てことでいいんだよな? プラネタリウムで爆睡して、知らぬ間にフラれていた、ていう……怖い話?

 てことは、だ。香月がこうして落ち込んでいるのは、映画を見逃したから……ではなくて。デート中に寝る、という――樹さんが一発でフラれてしまったような大罪を犯してしまったから……か?

 まったく……とつい、ため息が漏れた。


「お前さ」と苦笑しながらジト目で見つめつつ、俺は努めて優しく諭すように言う。「夕べも遅くにハーデスの練習があったんだろ。で、今朝は朝早くから夏期講習だ。疲れてて当然だろ」


 相変わらず、香月は両手で覆った顔を伏せまま。その表情は伺えないものの……ぴくりと肩が震えたのが分かって、手応えを覚えた。あと一押し、とばかりに、俺は語気を強めて続ける。


「肩くらい、いくらでも貸す。お前になら何されたっていい――て、言ったばっかだろ」


 すると、ようやく香月は顔を上げ、ちろりと遠慮がちに俺のほうを見てきた。


「怒って……ない?」

「なんで怒んだよ。疲れて寝てただけだろ」


 正直、怒るどころか――て感じなんだけどな……。あのまま、ずっとそうしていたい、と思ったくらいで。俺にとっても、幸せなひとときだったんだ。

 不思議だよな。映画一本。たった数時間。その間で、何かが大きく変わった気がする。今じゃ、こうして香月の隣に座っているだけじゃ、物足りない気がしてくる。ついさっきまで、ほんの布きれ数枚隔てたその距離で感じていた香月の気配が――その息遣いや体温が――もう恋しくてたまらない。


「また、Blu-rayとか出たら二人で観ればいいだろ」


 立ち上がって明るくそう言うと、香月は俺を見上げてしばらくきょとんとしてから、「そうだね」と安堵したように微笑んだ。

 とりあえず、樹さんの『本当にあった怖い話』は克服できたかな、とホッとしたのも束の間、香月は急にハッとして表情を曇らせると、再び俯き、


「でも……まずいな。陸太と二人きりになったら、きっと別のことしたくなって映画どころじゃなくなる」

「お前、もう俺と映画観る気ねぇだろ!」


 思わず、人目を憚らず、盛大にツッコんでいた。

 これが……これが、あの『カヅキ』なのか、と今更ながらに驚くわ。冷静沈着、完全無欠の王子様はどこへやら。こんなアホな奴だったのか、と呆れながらも、それ以上に、そんな所が愛おしくてたまらないんだから参るよな。

 ――で。俺もきっと……と思ってしまう。

 

「まあ、気持ちは分かるわ」


 ぼそっと呟くと、「ん? なに?」と香月は不思議そうに俺を見上げてきた。


「いや、なんでもない」と苦笑してごまかし、「もう立てそうか? 行こうぜ」


 そう言って差し伸べた手に、香月は目を丸くし、呆気に取られた様子で固まって――それから、「うん!」とぱあっと華やかに花咲くような笑みを浮かべた。それは、もう何年も見慣れた涼しげな笑みとは程遠く。抑えきれない喜びが、心から溢れ出てしまったような。実に子供っぽく、飾り気のない笑みで。まだかった、あのころのままに思えた。


   *   *   *


「で……今から、どうする?」


 手を繋ぎながら映画館のロビーまで出てきたところで、俺はそう切り出した。

 未だにチケット売り場の前には、『銀河大戦争』のスタンディが堂々たる趣きで立っている。さすがに、前のような人だかりは無いが、ちらほらと名残惜しそうに写真を撮ってるファンらしき姿は見受けられた。

 それをぼうっと眺めながら……あれ、と思う。そういえば、前もこうしてあのスタンディを眺めながら、今からどうしようか、という話を香月としたような……。

 そんなことを考えていると、ふいに、香月がぴたりと立ち止まった。


「どうした?」と振り返ると、香月はなぜか視線を泳がせ、「あの……サ」と珍しくしどろもどろに言う。


「い……ゴ……したい……」

「は?」


 なんて……?

 あまりにごにょごにょと小声で言うから、周りの喧騒もあって、断片的にしか聞き取れなかった。かろうじて分かったのは、「い」と「ご」……だが。


「いごって……囲碁? 囲碁がしたいのか?」


 訝しげに訊ねると、「なんで」と香月は弱々しくツッコミを入れ、伏せ目がちに俺を見てきた。不安げに……いつのまにか、真っ赤に染まった顔で。


「囲碁じゃなくて……」と俺の手をぎゅっと握りしめながら、香月は緊張が伺える震えた声で言う。「家で……ゴロゴロしたい……」


 家でゴロゴロ?

 しばらくぽかんとしてから、「あ」と理解する。

 そっか。それで……こんなに香月は言いづらそうにしてるのか。なるほど、と思いつつ、苦笑してしまった。そんな気を遣わなくてもいい、てのに。そりゃ、もっと香月と一緒にいたいと思うけど……それよりも香月の体のほうが大事だ。


「そうだよな」と俺は出来うる限り、明るく言って、「お前、疲れてるもんな。今日は帰って休んだほうがいい。とりあえず、家まで送ってくよ」

「え……違……!」


 踵を返し、香月の手を引き歩き出そうとしたのだが、香月は動こうとはせず。ぴたりとその場にとどまったまま、瑠那ちゃん直伝の『恋人繋ぎ』で繋いだ俺の手に、もう一方の手を添えるようにして、ぎゅっと俺の手を両手で包み込み――、


「陸太と……したいんだ」と囁くような小さな声で、香月は熱っぽく言った。「陸太と一緒に……ゴロゴロしたいの」

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