第14話 幸せ

 なんだ? なんなんだ……? 怪しい。怪しすぎる。『変なことはしない』って……何かするつもりではあるんだろ? 何を……する気なんだ? 映画館だぞ? 手を繋ぐ以外にできることなんて……俺には何も思いつかないんだが。

 とはいえ、こうしていつまでも香月を見つめているわけにもいかないよな。それこそ、警戒しているようなもんだ。何されたっていい、て言った舌の根も乾かぬうちに……そりゃねぇよな。弾みで言ったにしろ、その言葉に嘘はない。ここはどんと構えて――と、俺は覚悟を決め、言われるままに顔を前に向けた。

 スクリーンには予告編が流れ始め、ド派手なアクションシーンに合わせて、辺りには骨まで痺れるような爆音が鳴り響いていた……が、全くもって関心が持てない。

 そんなことより、意識が行くのは隣で。

 どうしようもなく胸がざわめき立って、緊張に身体が強張っていた。香月と繋いだ手にも力がこもり、汗が滲んでいくような気がして焦る。

 不安……なようで、少し違う。きっと、これは期待だ。TPOがどうの、とか偉そうなことを言っておきながら、多少なりとも、何か……やましいことを期待している自分がいる。

 そんな自分に呆れ、罪悪感さえ覚えて一人で気まずくなっていると、隣で動く気配がしてハッとした。

 心臓が大きく波打ち、次の瞬間――コツン、と肩に何かが当たった。

 肩透かしというか、拍子抜けというか。物理的にも精神的にも、あまりに軽いその衝撃に、「へ」とすっとぼけた声が漏れていた。


 何をするかと思えば……香月は、ただ、俺の肩に頭をもたれかけてきただけだった。


 いや……別に、期待はずれ、とかそういうわけじゃないけども。思っていたよりも、ささやか、というか。さっきの香月のはしゃぎっぷりからは想像がつかない大人しい行動に、逆に呆気に取られてしまった。

 反応に困って固まっていると、「んふふ」と怪しげな含み笑いがかすかに聞こえ、


「やっぱり。思ってた通り……落ち着くな」と噛み締めるように囁く香月の声がすぐ傍でした。「――幸せだ」


 幸せ……?

 その言葉にぎょっとして振り返り、


で……?」


 つい、そう口にしていた。

 すると、俺の肩に頭をもたれさせたまま、香月は少しいじけたようにぼそっと言う。


「人の幸せを『こんなもん』って言わないでくれるかな」

「え……あ、いや……」

「何年、待ってたと思ってるんだ。ずっと、こうしたいの……我慢して隣にいたんだよ」


 ずっと――て懐かしむように呟かれたその言葉が、ずしりと重く胸に伸し掛かってくるようだった。

 そっか……と改めて知った気がした。

 俺が香月を女だと知ったのはほんの三ヶ月ほど前のことで。それまで、俺にとって香月は唯一無二の親友だった。誰よりも信用していたし、子供の頃から特別な存在で、好きだった……けど。その『好き』は、今抱いているものとは全くの別物で。そこに恋愛感情なんて一切無くて、今みたいに触れたいと思ったこともなかった。隣にいて楽しければ満足だった。

 でも、香月は違ったんだな。ずっと……。

 『銀河大戦争』だけじゃなく、『カヅキ』と映画を観に来ることはよくあったから。そのたび、俺が呑気に『親友』と映画を観ている間、香月はそういう想いで隣にいたんだな。この肘掛けを――女の意地とやらで引いたその一線を――決して越えないように、我慢しながら……。

 たまらなく、愛おしくなって。今すぐ、抱きしめたくなって。そんな衝動を紛らわすように、繋いだ手をより一層強く握りしめていた。


 そうしてしばらくして、「どうしよう」と香月は我慢できなくなったかのようにため息吐いた。


「すごく……安心する。寝ちゃいそう」

「寝るのかよ」


 冗談っぽく交わしたそんな会話を最後に、俺たちは話すのをやめ、手を繋いだまま、肩を寄せ合って映画を観た。

 やがて、スクリーンでは宇宙を舞台に壮大な戦闘が始まり、数多もの軍艦がレーザー砲を打ち合い、けたたましい爆発音がシアター内に轟き始める中……俺の耳元では寝息が聞こえ始めた。

 まさか、本当に寝てしまうとは思わなかったが……。

 その穏やかな寝息も、肩に伸し掛かってくるその重みも、たまらなく心地よくて。そうしているだけで、心の隅々まで何か暖かいものに満たされていくようだった。

 なんと言えばいいんだろう。まるで、のんびり湯船に浸かっているかのような……そんな気分で。

 ああ、そっか……と初めて、知った気がした。こういう幸せもあるんだな――て。

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