第12話 二人の距離

 付き合ってから、ずっと不安だった――って、その言葉も十分、ショックだったが。それ以上に……いや、だからこそ、なのかもしれない。『最後』という言葉は不吉すぎて、ぞっと背筋が凍りついた。


「いや……なんで、最後? さ……三部作だぞ!?」気づけば、パニクりながら、そんなことを口にしていた。「次が完結で……二年後にまたある。それが終わってからも、こういう人気のコンテンツは、ずるずる続編をやり続けるもんだし、だから……」


 これからも、一緒に観ていくだろ……て、言葉が続かなかった。じっと俺のほうを見つめてきた香月の眼差しが、あまりにも切なげで。

 怯んでしまった。


「二年後って……うまくいけば、お互い大学生だよ」と香月は優しく、まるで宥めるような声で言った。「私はきっと、地元に残ると思う。せっかく、ハーデスに入ったし、続けたい。柘植山つげやま女子大なら近いし、偏差値もちょうどいいから、そこでいいかな、て思ってる。でも、陸太はきっと、県外……なんだよね」


 遠慮がちに言われ、ハッとした。

 最後、と香月が言った意味が分かってしまった。

 そうだ――。まだ、志望校までは決めてはいないけど、地元の大学には進学しないことだけははっきりしていて。今までも散々『カヅキ』に言ってきた。リビングに隣り合わせで壁も薄く、プライバシーなんてあるようで無い、あの部屋の愚痴とともに……。幼稚な理由かもしれないが、どうしても一人暮らしをしたくて……そのために、県外の大学に行こう、と中学の頃からずっと決めていた。

 だから、つまり……うまくいけば――。

 

「初めて、離れちゃうね」


 無理したように笑う香月に、胸が引き裂かれるようだった。

 考えたこともなかった。香月と離れる、なんて。そういう未来があり得ることにさえ気づいてもいなかった。あまりにもずっと一緒にいて、傍にいることが当たり前だったから。


「陸太がどこの大学に進むのか、まだ分からないけど……でも、きっと、今までみたいに『映画見ようぜ』って気軽に呼び出せるような距離ではない……んだよね」視線を落とし、香月はぼんやりとひとりごちるように言った。「優希兄ちゃんも真幸まさき兄ちゃんも、東京の大学に行って……滅多に帰ってこなくなっちゃったから。会えるのはお正月くらいで。陸太もそうなるのかな、て思ったら、不安になっちゃって……。今でさえ、あんまり会えてないのに、離れちゃったらどうなるんだろ、て……会わない間に、段々、気持ちも離れていって、自然消滅とかしちゃうのかな、て……」

「ちょっと、待て……それは……!」

「気が早いのは分かってる」と、香月は棘のある口調で俺の言葉を遮り、ぐっと堪えるような表情で俯いた。「でも……ダメなんだ。付き合い出してから、そういうことばっかり考えちゃって……。だから、『お前が心配するようなことは何も無い』って言われても、安心できないんだ。どうしても、心配になっちゃうんだ。私たち、大丈夫なのかな、て」


 泣き出すのか、と思った。それくらい、切羽詰まってて。その鬼気迫る勢いに、俺は呑まれてしまった。

 なんと声をかければいいのかも分からなくて。唖然として見つめていると、


「ごめんね。久しぶりのデートなのに……。今日はなんか、ダメだ。典子さんに嫉妬しちゃうし、変な無茶振りしちゃうし。ほんと、情けないな」はは、と冷笑のようなものを零すと、香月はおもむろに顔を上げ、「少しは私も強くなれたかな、て思ってたんだけど。十年前と全然、変わってないね。ままだ」


 声だけは晴れやかに言いつつも、そこに浮かぶ笑みはあまりにも不恰好で。今にも崩れてしまいそうな危うい雰囲気があって。そうやって、強がって見せた笑みに、記憶が引きずり出されるようだった。

 ああ、そうだった――て、思い出した。

 怖いんだ、て……も、香月は言ったんだ。

 十年前。相変わらず、一人でいた香月に『なんで、皆のとこに行かないんだよ』、て聞いたら……香月は隣でこんなふうに無理したように笑って、『怖いんだ』て言ったんだ。やっぱなよっちい奴だな、て思って、俺がついててやらないと……て思った。だから、俺がその手を引っ張っていってやらないと、て思って――。


 そっか、こんなに簡単なことだったんだな……て、拍子抜けするほどに自然と手が伸びて、俺は隣に座る香月の手を取っていた。

 あのとき、そうしたみたいに。


 ハッとする香月を見つめながら、俺は香月の膝の上でその手をしっかりと握り締めた。瑠那ちゃんに教わった通りに、指を絡ませ、決して解けることのないように堅く……。

 そして、「お前さ」と苦笑して、ため息交じりに言う。「お前の兄ちゃん達が正月しか帰って来なかったから、なんなんだよ? 勝手に自然消滅させんな。俺だってお前に会いたいんだけど――それを考えてねぇだろ」


 すると、香月は「へ」ときょとんとして惚けた声を漏らした。まさに、豆鉄砲を食らった鳩のごとく。

 答えを聞くまでもない。全くもって、そんなことは考えていなかった……と顔にしっかり書いてある。


「二年後に俺らがどこで何をしているかなんて分かんねぇけど……どこに居ようと、俺はお前に会いに行くよ。だから、会いたくなったら、いつでも呼べばいい。映画だろうとなんだろうと、必ず、会いに行く」

 

 そこまで言って、俺はさらに強く香月の手を握り締め、訴えかけるように続けた。

 

「俺らの距離なんて、これからも変わらねぇよ。どれだけ離れようと、『映画見ようぜ』って気軽に呼び出せるような距離――に俺がしてみせる。だから、心配するな」


 ただ、呆然と……香月は間の抜けた顔で俺を見ていた。俺もしばらくは真剣な表情で見つめ返していたのだが、やがて、何秒か経っても反応がなく、「あれ?」と思い始めた。

 込み上げてくる想いのままに、熱く語っていたときは良かったが。こうして、しばらく間を置かれてしまうと、たちまち冷静になってしまうもので。そうなると、自分がどれほどクサいことを言ってしまったのか、途端に理解してしまうものである。

 いや……何言ってんの? と冷たくツッコむ声が頭の片隅から聞こえてくるようだった。

 まさか、香月もさすがに引いてる? それで、ずっとぽかんとしているのか……!?

 かあっと顔が熱くなっていって、「あ、いや……」と俺はあたふたと慌て出していた。


「つまり、何が言いたいかというと……物理的な距離がどうあれ、気持ちは変わらない、つーか……俺だって、お前のことが好きなんだから、お前と会えるように努力するし……一人で抱え込むな、て意味で……」

「うん――」


 ふと、香月が微笑んで、俺ははたりと言葉を切った。

 それは、慌てふためく俺とは対照的に、実に穏やかな笑みで。見ているこっちまで胸の奥がぽっと温まるような……そんな安堵に満ちた笑みだった。


「もう、十分」と胸いっぱいに詰まった気持ちを吐き出すように言って、香月は繋いだ手を持ち上げ、俺の手の甲にぴたりと自分の頬を当てた。「伝わってる」

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