第11話 カノジョの不安

 確かに。カブちゃんは俺のことをものすごく心配してくれていた。帰り際も、『瑠那が変なこと言ってごめんな』と何度も謝ってきたし。そういう気の良いところは本当に変わらないよな、なんて呑気に思いながら、『大丈夫だよ』と言って別れた――はずだったんだが!?

 聞いてなかったのか? てか、香月に聞かないでくれ!

 せっかく、俺も平静を取り戻して、いつも通りに会話ができるようになっていたのに。

 一気に思い出したように心臓が駆け出して、「何も無ぇよ!?」ととっさに出た言葉は見事に上擦っていた。香月の表情がさらに曇ったことは言うまでもなく。怪しんでいるのは明らか。


「本当に……?」


 疑う――というよりは、不安げに訊ねられ、言葉に詰まる。

 別に……嘘を吐くようなことでもないのかもしれないが。でも、躊躇う。『瑠那ちゃんに、お前と手を繋げ、て叱られちゃってさ』――なんて……どんな顔で言えばいいんだ。とてもじゃないが、言う気になれない。情けない……のもあるが、それよりも、そんなことを言ったら最後。いろいろと台無しになる気がする。たとえ、そのあと、うまいこと手を繋げたとしても……その行為に意味が無くなってしまうような気がする。

 かといって、うまいごかまし方も思い浮かばず、渋面を浮かべて黙り込んでいると、


「実は……さ」と香月はぎこちなく笑って、視線を逸らした。「ずっと、思ってたんだよね。なんか、気まずいな……て」


 つい、ぎくりとしてしまった。


「『ずっと』って……?」

「駅から、陸太、ずっと様子が変だったから。上の空っていうか……何か別のこと考えているみいで……。もしかして、典子さんに言われたこと、嫌だったのかな、とか心配してたんだけど」

「典子さんに言われたこと!?」


 今にも立ち上がらん勢いで訊き返していた。

 その瞬間、脳裏によぎったのは、もちろん、『クソ野郎』の一言で。間近で言われた俺でさえ、かろうじて聞き取れた程度の声だ。てっきり、香月には聞こえていないものと思い込んでいたのだが……。


「お前……聞こえてたのか!?」

「聞こえてたって……目の前で言われたから」と答える香月は、俺の勢いに圧されるように身を引いていた。「なんで、そんなに驚くの? 私、その場で典子さんにちゃんと言い返したよね?」

「言い返した……?」


 待て。何か……おかしいぞ。

 俺は気を取り直すように咳払いしてから、


「典子さんに言われたことって……何だ?」

「こねくり回したくなる、とか……そういう顔してる、とか……」きょとんとしてそう答えてから、香月はふいに眉を曇らせた。「女の人にそうやって揶揄われるの、まだ嫌だったかな、て思って……」

「ああ……」とホッとため息が漏れた。「そっちか」

「『そっち』?」


 ハッとして不審そうに見つめてきた香月に、「あ、いや、なんでもない!」と慌ててごまかした。

 危ない……。うっかり、口を滑らせるところだった。

 『クソ野郎』に関してはもういっそのこと忘れよう。はっきりとそう言われたという確信があるわけでもない。まだ、聞き間違いの可能性だってある。香月は典子さんと親しいようだし、そもそも『お兄さんのカノジョさん』だ。不確かなことを言って、その仲を拗らせるようなことをするわけにはいかないよな。


「全然、気にして無ぇから! ほんと……大丈夫」


 鏡で確認などしたくはないが……俺なりに精一杯明るく笑って言ったのだが、


「じゃあ……様子が変だったのは、なに? やっぱり、スケート場で何かあったんじゃ……」


 そう食い下がる香月の表情はまったく晴れる様子はない。

 当然ながら、「それは……」と俺は口ごもった。

 様子が変だった、という自覚はある。ついさっきまで、香月の話に『ああ』と『そうだな』しか言えなかったんだ。そりゃあ、不審に思われるだろう。

 しかし……だ。

 言えない。絶対に言えない。こんなところじゃ、いや――て、そう言った香月の声が、あまりにも聞き慣れなくて動揺していた、なんて。妙な好奇心を掻き立てられて、戸惑って……たぶん、欲情したんだ、なんて。恥ずかしいというか、申し訳ないというか……アホすぎるというか。


「な……なんでもない!」絞り出すようにそう言ってから、「とにかく」と力を込めて俺は言い直す。「お前が心配するようなことは何も無いから」


 ――それは事実だ。カブちゃんのLIMEだって、瑠那ちゃんとのことだ。俺が小学四年生に叱られた、てだけの話で。駅から俺の様子が変だったのも……ぶっちゃければ、香月の声に唆られた、てそれだけの薄っぺらい話だ。

 全くもって、香月が心配する必要のないことなのだが……しばらく黙り込んでから、「分かった」と答えた香月の声は沈んだままだった。


「陸太がそう言うなら信じる。これ以上は聞かない」


 すっぱりとそう言い切って、香月はスマホの電源を消してリュックの中にしまった。

 それを横目に見守りながら、ホッとしたのもつかの間、


「でも……ごめん。心配するようなことは何も無い――とは、私は思えない」呟くようにそう言うと、香月は険しい表情を浮かべ、まだ白いままのスクリーンを見つめた。「不安でたまらないんだ。付き合ってから、ずっと……。

 今日もそう。こうして『銀河大戦争』を陸太と一緒に観られるのも、これで最後なんだろうな、て思ったら……怖いんだ」

「最後……?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る