第2話 好意

「ごめんね、待たせちゃった?」と香月は心配そうに小首を傾げて訊いてきた。「待ち合わせ、一時だったから。てっきり、五十八分ので来ると思ってた」


 ああ……とちらりと発車案内を見上げれば、ちょうど発車したところなのだろう、十二時五十八分発の電車の表示が消えるところだった。

 そっか、それに合わせて来たのか。どうりでまっすぐに改札まで向かっていったわけだ。


「一本前のに間に合ったから乗ったんだ」

「LIMEしてくれたら、私ももっと早く来たのに」

「いや、いいよ。夏期講習終わってから家に帰って昼飯食べたりして忙しかっただろ。急がせたくなかったんだ」


 建前でも嘘でもない。紛うことなき本心だったのだが、香月は納得いかない様子で表情を曇らせるのみ。

 まったく……と苦笑が漏れた。呆れるやら、愛おしいやら。


「ちょっと待たせたくらいで気にしすぎだ」


 からかうようにそう言うと、香月は困ったように微笑んで、


「そのちょっとの間も陸太と一緒にいたかったな、て思っちゃうんだ。――陸太との時間は一分一秒まで惜しいから」

 

 ぽつりとそんなことを言う香月に、俺は「へ……」と惚けた声を漏らして固まった。

 いつものように……。


 躊躇いなく真っ直ぐに。照れることも、媚びることもせず。ただ、事実を口にするように、なんの恥ずかしげもなく甘い言葉をさらりと吐く――そういうところは相変わらず、香月は『王子様』のままで。昔は、そりゃあ悪戯に(てか、本人には全く自覚はなかったんだろうけど)フィギュアの子たちを蕩けさせる『カヅキ』を端から見ていて、さすがイケメンだな〜、と若干呆れつつも呑気に感心していたものだが。いざ、言われる立場になってみると……たまったもんじゃない。いつまでも慣れなくて。好意を剥き出しにした香月の言葉にどう返したらいいかも分からず、こうして呆然として固まるのが常だった。

 嬉しい――のに。

 胸の奥では、確かに燃え上がるように激しく昂ぶるものを感じるのに……その吐き出し方が分からなくて。顔を赤くしてアホのように立ち尽してしまう。

 告白した時はあんなに饒舌に香月に気持ちを伝えられたのに。大好きなんだ――とまで言えたあのときのことが、今ではもう幻にさえ思える。

 口下手だ……て言うのは、きっと言い訳だよな。ただのヘタレだ。ヘタレここに極まれり、だ。

 そんな俺のことも香月はよく分かってくれているんだろう。そうやって黙り込む俺にクスリと微笑み、「行こ」と歩き出す。

 いつだって、『返事』を押し付けない――というより、期待していない。それが伝わってくる。

 だからこそ、余計に……自分が情けなくなってくる。

 俺もだよ、くらい言えればいいのに。

 なんなんだろう。

 大好きだ、と言ったその言葉に嘘はない。それどころか、その気持ちは増すばかりだ。でも、香月と会って愛おしさが募れば募るほど、どうしたらいいか分からなくなってくる。好きだと実感するたび、鳩尾の奥が締め付けられて苦しくなって……その感覚をどう言葉にしたらいいかも分からなくて声が出なくなる。


『陸太くんがそんなんだから、香月ちゃんに寂しい思いをさせるんだよ』

 

 ふいに、天啓のごとくそんな声が脳裏をよぎり、冷笑が溢れる。

 全くもってその通りだ。つくづく思い知らされる。これじゃ、また瑠奈ちゃんに叱られるな――て、本当に叱られるわ!

 何してんだ、俺!? 何を呑気に反省してんだ!? その前にやることが……!

 ハッとして見つめる先には、さっさと歩いていく香月の背中があって。

 しまった……と愕然とした。

 さっとスムーズに香月の手を取って、さりげなく指を絡めて『さあ、行こうか』――のチャンスを思いっきり逃した!?

 いや。まだ……ここからでも遅くない、よな? デートはまだ始まったばかりだ……て、なんか不吉な言い方になってるけど。

 慌てて香月の隣に並び、足並みを揃えて歩きつつ、『さりげなく……さりげなく……』と頭の中で何度も繰り返しながら、その手に触れようとしたとき、


「でも、嬉しかったな」と香月は思い出したように切り出し、俺をちらりと見てきた。「待ち合わせのとき、陸太から先に私のこと見つけてくれることなんて、今までそんなに無かったから」


 ぴたりと手が止まり、「へ」と素っ頓狂な声が漏れた。

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