第7話 氷上⑦
徐々に顔色を失くしていき、かっと目を見開くと、
「今のは聞かなかったことにしてくれ!」
俺らのほうに勢いよく振り返り、土下座でもせん気迫で頼み込んできたカブちゃんだったが、もう時すでに遅しというか。
「いや……それはちょっと無理な気がしまっせ……」
せめてもの情けなのか、よく分からない口調で、遊佐は気まずさたっぷりに答えた。
「マジで!? 無理!?」うわあ、と大声あげてカブちゃんは頭を抱えて、必死な形相で俺を見てきた。「陸太、すまん! また、俺、余計なことを言った! いや、でも護は完璧片思いで、香月と何かあったわけじゃないからな!? 夕飯誘っても『せっかくだから皆で食べよ』ってさらっと躱されて、アプローチすらできなかったらしいし――」
「カブちゃん、もっと漏れてる! いいから、もう何も言わないでくれ!」
遊佐を挟んで、俺とカブちゃんはお互い慌てまくって大騒ぎ。壁の向こうを滑っていくカップルの迷惑そうな視線が痛い。
これ以上口を開いてももはや墓穴を掘るだけだ、と悟ったのだろう、カブちゃんはぐっと唇を引き結んで兵隊のごとくぴしっと直立不動。その顔は息まで止めてるんじゃないかというほど真っ赤に染まって強張っている。
そんなカブちゃんに、「とにかく」と俺は気を取り直すようにため息つきながら切り出し、
「護のことは……大丈夫。護が香月のことを好きだ、ていうのは護から直接、もう聞いてる」
すると、「え!?」と驚愕の声をあげたのはカブちゃんだけじゃなかった。遊佐もぎょっとしてこちらを振り返り、「まじで?」と心底意外そうに見てきた。
「いつのまに、そんなおもしろいことになってたんだよ!?」
「おもしろいって……」と、つい頰が引きつる。
人の気も知らないで。
護が香月を好きだ、と分かって、俺がどれほど悩んだことか――と言ってやりたいところだが。そうやって追い詰められたおかげで、俺も香月への気持ちを自覚したのも事実だった。
だからこそ、護には後ろめたいところがあった。
護が香月を好きだ、と聞いて、その約一週間後に俺は香月と付き合い始めた。それも『香月とは何もなくて、ただの友達だ』と護に言っておきながら……だ。
騙し討ちでもしたような気分で。付き合い始めても罪悪感のようなものが付きまとった。いつか直接、護に話さなくては、と思っていた。しかし、合コンのとき、遊佐の企みのせいで追い出されるようにして帰った俺は護やカブちゃんと連絡先を交換するタイミングを逸し(まさか、香月に伝言を頼めるわけもなく)連絡手段もなかった。香月に出禁を食らってハーデスの練習を覗きに行くこともできないし……直接会う機会も無いまま、時間ばかりが過ぎていった。このままだと、また前みたいに溝が深まるばかりだ、と気を揉んでいた時に、『皆でもんじゃ食べに行こう』と香月に誘われた。
そこで、いざ、護に話そうと気負っていた俺だったのだが。そんな俺に、護は会うなり笑って『勝手に気まずくなるなよ』と背中を叩いて言ってきた。脅すような感じでもなく、忠告する風でもなく、実に爽やかに『頼むぞ』とでも言うかのような軽い調子だった。
先手を打たれたようで――俺は何も言えなくなった。
結局、それだけだった。
あとは普通にもんじゃを食べて、連絡先を交換して、『また遊ぼうな』と言って別れた。
「護とは話はついてる……と思う。だから、気にしなくていいよ」
宥めるようにそう告げると、カブちゃんはようやくホッとしたように顔をほころばせ、「よかった〜」と深いため息ついた。
「護が香月のこと気になっててアプローチしてる――てとこまでは一応聞いてたからさ……陸太と付き合い出した、て香月に聞いてどうしようかと思ってたんだよ。護としてはきっと、陸太に香月を奪われちゃった、みたいな感じだろ。だから、やっぱり会うのは気まずいものかな、て思って……もんじゃのあとも、陸太を遊びに誘うの躊躇ってたんだよ」
胸の痞えが取れたのだろう、どっとそんなことを一気に吐き出すと、カブちゃんはすっきりした表情で俺を見た。
「これで心置きなく誘えるわ」
安堵したようにカブちゃんが呟くようにそう言って、一件落着――の雰囲気が漂いかけた刹那、遊佐が「てかさ」と水を差すように口を挟んできた。
「鏑木くん……何気にさっき、笠原の出禁の理由も教えてくれちゃったよな」
「は?」と俺とカブちゃんの声が重なる。「出禁?」
一瞬、「お前はアホだな」としっかりと書かれた顔で俺をちらりと見てから、遊佐はカブちゃんに振り返り、
「笠原が練習見に来るのを想像しただけで緊張して手が震えちゃう……て、香月ちゃんが言ってた、てまじ?」
けろっとして遊佐が訊ね、俺もハッと思い出した。
そういえば、確かにそんなことを言ってたな。護の件にすっかり気を取られていたが……。
「ああ、そうそう」と躊躇いなくあっさり認め、カブちゃんは人懐っこい笑みを浮かべた。「陸太は練習を見に来ないのか、て香月に何気なく聞いたら、そんなこと言われたんだよな。チームメイトとして一緒に戦ってたときは気にならなかったけど、いざ、『恋人』として陸太がプレーを見に来ると思うとドキドキしちゃうんだと。好きな人に見られると思うだけでゾクゾクするよね――てデレデレで言われちゃって……そのときの護の渋い表情がなんとも言えなくてな」
参った参った、と笑うカブちゃんに、『よ、お代官様』と言わんばかりに一緒になって笑う遊佐。
――って、ちょっと待て!?
カブちゃん……さっきにも増して、情報がダダ漏れなんだが!? しかも、それ……たぶん、俺は聞いちゃいけないやつな気がする。
かあっと喉の奥から焼けるような熱がこみあげてくるようで。スケート場の中だというのに身体中が熱くなって、頭から湯気でも立ち上りそうだった。
なるほど、それで俺を出禁にしたのか――と納得しつつも、その理由があまりにも……あまりにも……。
「お前に見られると思うとゾクゾクしちゃうから――だってよ」とあっけらかんと遊佐は言って、俺に振り返った。「どエロい理由だったな」
「変な言い方するな!」
うわあっと慌てて遊佐に怒鳴っていた。
「何をムキになってんだよ。びっくりするわー」
「お前が妙なこと言うからだろ!」
「客観的意見を述べただけだろ。お前だって思ったんだろ」
「お……思ってねぇし」
「ごまかし方が小学生だな」
「てか……お前は、さっさとスケートの練習しろよ!」と俺はビシッとリンクを指差し、無理やり話を変えた。「小川原さんとのデートまでに滑れるようになりたいんだろ!?」
すると、遊佐は思い出したようにハッとして、たちまち表情を曇らせた。
「そういえば」とそっと顔を寄せてきて声をひそめる。「もしかしなくても……なんだけども。例の『助っ人』って……」
「カブちゃんだよ」
ズバリと言うと遊佐の顔が見事に引きつった。
いや……今さらか。ここまで来て、まだ誰か女の子の助っ人が来るんじゃないかなんて希望を抱いていたのか?
「カブちゃん、教えるのうまいんだよ。俺が一緒にホッケーやってたときも、下の子たちに教えたりしててさ。だから、安心しろよ。カブちゃんに任せればなんとかなる」
「そうだぞ、遊佐くん!」と急に力強い声が降って来て、遊佐の肩を背後からがしっと熊の手――ならぬ、カブちゃんのたくましい手が掴んだ。「俺に任せてくれ。決して悪いようにはしない」
自信満々のその声に、遊佐はなんとも情けない悲愴感漂う表情を浮かべてゆっくりと振り返った。有難い後光が目に見えるかのような、にっこりとお釈迦様の如く穏やかに微笑むカブちゃんを見上げ、遊佐は観念したかのような力無い声で言う。
「初めてだから……優しく教えてね」
「なんなんだ、その頼み方」
ゾッと寒気がして、思わずツッコんでいた。
――そうして、なんだかんだありつつ、遊佐はカブちゃんについてリンクへ戻り、絢瀬と瑠那ちゃんが優雅に滑る傍らで、甘いスケートレッスン……とは程遠い、熱いスパルタ特訓を受けることになったのだ。
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