第6話 氷上⑥

『瑠那ちゃんが元気ないんだ。学校で何かあったみたい』


 発端は、そんな香月からのLIMEだった。

 瑠那ちゃんはカブちゃんの練習をよく親と見に来ているらしく、練習前や後には香月と話すこともあって、今ではすっかり香月に懐いているらしい。『香月ちゃん、香月ちゃん!』と駆け寄ってくるのが可愛いんだ、と香月もデレデレで言っていた。

 そんな瑠那ちゃんがある日から突然しょんぼりとして暗くなり、会ってもぎこちない笑顔しか見せなくなったのだという。気になった香月が話を聞いてみると、学校で嫌なことがあった、と教えてくれたとか。

 具体的に何があったのかまでは話してくれなかったようだが、なんとか元気付けたい、と香月とカブちゃんで相談し、最終的に俺に連絡が来た。絢瀬に瑠那ちゃんと会ってもらえないか頼んでみてほしい、と。

 それで絢瀬に聞いてみたところ『喜んで』と快諾。せっかくならスケートはどうですか、と提案してくれて、日取りやらを調節していたところに遊佐からの『スケートを教えて欲しいがお前じゃ嫌だ』という謙虚さのかけらもない内容のLIMEが来た。カブちゃんから『いきなりセナちゃんと瑠那と三人でスケートなんて考えただけでも心臓が爆発する』と相談され、俺も付き添いで行くことになっていたし、ちょうどいいか、と遊佐も誘い……。

 ――というそんな経緯を、リンクサイドからリンクを眺めながら、俺とカブちゃんは遊佐を間に挟んで説明した。

 その様はきっと、端から見れば失恋した友人を慰めるそれだったに違いないが、実際は、勝手に女の子二人との甘いスケートレッスンを期待して来たアホを諭しているだけだった。


「なるほど」一部始終ことのあらましを聞き終えた遊佐は、手すりに頬杖ついて重いため息を吐いた。「それで……こういうことになったわけね」


 こういうこと――そう言って神妙な面持ちで遊佐が見つめた視線の先では、手を繋いで楽しげに滑る絢瀬と瑠那ちゃんの姿がリンクの遥か彼方に小さく見える。

 もうすっかり、別行動である。


 じゃあ、瑠那はセナちゃんと二人で滑ってくるから、お兄ちゃんはあっち行ってて! ――そう言い残し、瑠那ちゃんは絢瀬と二人でさっさと滑っていってしまった。妹とはそういうものなのか、それともお年頃というやつなのか。一人っ子の俺には見当もつかないが、カブちゃんは慣れた様子で呆れ顔。「それじゃあ、俺たちは俺たちで楽しもうか」といった具合で仕切りなおそうとしたのだが……その場に一人、到底、そんな気分になれなさそうな奴がいた。――絢瀬とスケートに行くことをLIMEで伝えただけで、詳細も聞かずに飛び乗ってきた遊佐だ。

 俺に確認も取らずに、勝手に絢瀬と香月にスケートを教えてもらう気満々で来ていた遊佐が悪いとは思うのだが。男二人と取り残されて、魂でも抜かれてしまったかのように呆然として「え。どゆこと」とか細い声でぼやいているその姿は、さすがに不憫で……。とりあえず俺らはリンクサイドに一旦引き上げ、今更だが遊佐に事情を話すことにしたのだ。


「ごめんな、遊佐くん」と気のいいカブちゃんは体を小さく丸めるようにして、申し訳なさそうに遊佐にぽつりと言う。「いや、謝らなくていいから」と忠告するように口を挟むと、


「そうだぜ、鏑木くん」ふっと鼻で笑って、遊佐は小憎たらしく気取ったようにほくそ笑む。「瑠那ちゃんの笑顔を見れたら俺も満足さ。――あと、全部、笠原が悪い」

「なんでだよ!?」


 とツッコミつつも、前半部分は同感だった。


「瑠那ちゃん、元気になってくれたみたいで良かったよ」


 引っ叩きたい遊佐の頭を飛び越え、その向こうにいるカブちゃんを見上げて言うと、


「いやあ」とカブちゃんは気まずそうに頰を掻いた。「実は、セナちゃんと会える、て聞いた途端、すっかり元気になってな。落ち込んでたのはなんだったんだ、て拍子抜けしたくらいでさ。学校で何があったのかは知らないけど……きっと、大したことじゃなかったんだと思うわ。香月にも散々心配かけて、陸太やセナちゃんや遊佐くんまで巻き込んだのにな」


 今にも「ごめんな」とでも言いそうな雰囲気でこちらに振り返ったカブちゃんに、


「でも……元気はなかったんだろ」とすかさず、切り返していた。「じゃあ、嫌なことはあったんだ。それが『大したこと』かどうかは問題じゃないし、俺らが決めることじゃないと思う。瑠那ちゃんがつらかったんなら、『つらかった』でいいんだ。――だから、元気になってくれてよかったよ」


 自分でも驚くほどに饒舌にそんな偉そうな言葉が口から流れでていた。

 カブちゃんも目を丸くして、遊佐も「ドン引きなんだけど」と今にも言いそうな表情で俺を見ていた。

 柄にもないことを言った、と自分でも思う。まるで、他の誰かが乗り移ってきて勝手に喋り出したみたいな。

 きっと、この場所のせいだ――。

 ちょうど、ここだったから。練習終わりに忘れ物してリンクに戻って、絢瀬の言葉を盗み聞きしてバカみたいな勘違いしたのは……。

 だから、つい、瑠那ちゃんを自分に重ねてしまうんだろう。それで言ってやりたい、と思ってしまった。あのときの自分に。くだらない悩みだったことはもう重々承知してるしアホだったと心底思うけど、それでも言ってやらないといけないと思った。『つらかったな』って――。

 そうやって自分を許してやらないと、いつまでも前へ進めない気がした。

 ふうっと息を吐くと、長いこと胸の奥で淀んでいた重たい空気が冷気の中へと消えていくような感覚があった。胸がすっとして、まるで体まで軽くなったような感じさえして……不思議な高揚感さえ覚えた。

 そんな俺を呆然と見つめていたカブちゃんだったが、ふいに「なるほど」とニカッと豪快に破顔して、


「そういえば、陸太は優しい奴だったな。昔から」

「は……? え!? なんだよ、急に……?」

「思い返してみれば、一人で浮いてた香月に最初に声をかけたのもお前だったもんな。それからも、練習前にリンクサイドで皆で駄弁ってると、必ず、陸太が香月の手を引いて連れて来てさ。香月にとって『王子様』って感じだったんだろうと思うわ。――そりゃ、ベタ惚れもするよなぁ」


 急に思い出話を始めたかと思えば、しみじみと納得したように、うんうん、と深く頷くカブちゃん。

 って、なんだ……? なにを納得してんの!? てか、なんで、いきなり香月の話!? しかも、ベタ――なんだって!?

 一気に顔が熱くなって、たちまちあたふたとする俺をよそに、カブちゃんは懐かしむような眼差しでどこか遠くを眺めながら独り言のように続けた。


「香月は完全無欠っていうか……クールで冷静沈着で、完璧な『イケメン』って感じだったからさ。まあ、女の子だったわけだけど……それでも驚いたよ。陸太が練習見に来るのを想像しただけで緊張して手が震えちゃうんだ――て、顔真っ赤にして言うんだもんな。がそんなこと言うと思わねぇもん。護と面食らったわ。おかげで、護も『はなから俺に勝ち目なんてあるわけなかったわ』ってあっさり吹っ切れ――あ!」


 興奮気味に語っていたカブちゃんは、突然、ハッとして言葉を切った。

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