第5話 氷上⑤
ハッとして見やれば、遊佐の間抜け面の向こう――壁の外をぐるりと回るようにして、こちらに向かってリンクサイドを歩いてくる人影があった。
子供の背丈ほどの壁からぬっと飛び出た上半身は、ガッシリとして逞しく、のっそりと歩いてくる様はまるで熊のよう。ソフトモヒカンというやつか、格闘家を思わせるツンツンと立たせた短い黒髪に、彫りが深くいかつい顔立ち。その容貌も体つきもおよそ高校生とは思えぬ貫禄があって、遠目からでもその威圧感がひしひしと伝わってくるようだ。
そんな巨体で――しかも防具を鎧の如く身に纏い――ゴールの前に立ちはだかる姿は、相手チームにとってはさぞ、脅威だろう。
「鏑木先輩!」
ハッとしたように隣で絢瀬が声を上げ、遊佐も「え」と絢瀬の視線を辿るようにして振り返った。
「おはよう、セナちゃん――と、遊佐くん、だったかな。合コンぶりだなぁ」
目の前まで来ると、カブちゃんはニッと笑った。その笑みは実に穏やかで、人の良さが滲み出ている。金剛力士が一転、恵比寿様へと様変わりしたみたいな。おそらく、初対面だったら、この物腰の柔らかさに拍子抜けしてしまっていただろう。
「陸太はもんじゃ以来か」
「ああ……そうだな」
言われて、そういえば、と気づく。
香月がハーデスに入ってしばらくして、香月とカブちゃんと護と四人でもんじゃを食べに行った。それから、たまにLIMEで連絡は取り合ってはいたものの、結局、遊びに行こうという話にもならず、期末テストが始まり、夏休みになっていた。
つまり、会うのは一ヶ月ぶりくらい……か。
「今日はごめんな。夏休みに呼び出して」
ふいに笑みを曇らせ、カブちゃんは俺と絢瀬を交互に見るようにして申し訳なさそうに切り出した。
「いや」と言いかけた俺より先に、「とんでもないです」と隣で絢瀬が気持ちが良いほどに清々しい声ですっぱり言い、
「私も楽しみにしてたんですから。誘っていただいて、ありがとうございます」
にこりと屈託無い笑みを浮かべてそう続けると、絢瀬は「それで……」と視線で促すようにちらりとカブちゃんの背後を見やった。
すると、カブちゃんは思い出したようにハッとして、リンクに降り立った。そうしてすいっと俺たちのほうへ滑ってくると、くるりと反転して背後に振り返り、
「ほら。
そう手招きした先に居たのは、長い髪を二つに結った小さな女の子だった。さっきまでカブちゃんがそこにいたせいだろう、やたら小さく見えるが、確かもう小四だったはず。ピンクのトレーナーにふわふわとした白いスカートを着て、その下には黒のレギンスを履いている。子供らしくまん丸とした顔は可愛らしい印象だが、はっきりとした目鼻立ちと切れ長の目はカブちゃんのそれを連想させた。
瑠那――と呼ばれたその子は、リンクの入り口で氷像のごとく固まったまま、キラキラと純真そうな瞳を宝石のごとく輝かせ、まっすぐにこちらを……というか、俺の隣に佇む絢瀬を一心に見つめていた。
「ほ……ほんもの……」
やがて、瑠那ちゃんはぽつりとそう呟くと、いきなり、「やばーっ!」と耳を擘くような甲高い声を上げた。
その声に俺たちがぎょっとしている間に、瑠那ちゃんはリンクに勢いよく駆け込んできて、びゅんと瞬く間に絢瀬のもとまで滑ってきた。――そんな小学生の見事な滑りを前にした遊佐のショックな表情たるや筆舌に尽くしがたいものがある。
「すごい……ほんもの……ほんもののセナちゃん!」
「はじめまして、瑠那ちゃん」と絢瀬はニコリと微笑み、瑠那ちゃんと目線を同じくするようにその場に屈んだ。「絢瀬セナです」
「わあ……ほんものだ。ほんものだ……!」
真っ赤な手袋をした両手を頰に当て、いまだ興奮冷めやらずといった様子で、『ほんものだ』を繰り返す瑠那ちゃん。その嬉しそうな様子は実に微笑ましくて、絢瀬も「ほんものですよ」とフフッと楽しげに笑っている。
しかし、兄であるカブちゃんはそうはいかないようで、「瑠那、挨拶くらいしろ!」と傍であたふたとしていた。
そう、この子こそ――カブちゃんの妹であり、絢瀬の大ファンだという、鏑木瑠那ちゃん。俺と絢瀬が、今日、ここに来た本来の理由だった。
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