第8話 瑠那ちゃんのご忠告

 さすがは夏休み。

 食欲をそそる油っぽく芳ばしい香りが漂う中、ちょうど昼時で混雑し始めたハンバーガー店の中はガヤガヤと騒がしく、二階席までぎっしりと人が詰まっていた。席を探して彷徨うカップルや中高生と思しきグループが遊牧民のごとく目の前を通り過ぎては、食事の進み具合をチェックするように俺たちのテーブルを観察していく。

 急かされているような気分で非常に食べにくい。

 そんな中、


「まだ足首が痛ぇ……」


 須加寺アイスアリーナを出てから、いったいもう何度目か。隣から遊佐の不満たっぷりの呻き声が聞こえて来た。


「よくもあんなの履いて君たちは何時間も練習したりできるね」


 呆れと尊敬の混じったような声で言って、遊佐は俺たちを見回した。


「まあ、貸し靴で練習はしないからな」とフライドポテトを齧りながら言うと、だからなんだ、と言いたげに遊佐がきょとんとして見て来た。

 

 すると、遊佐の前の席でサラダを食べていた絢瀬が手を止め、


「貸し靴って……こう言ったら失礼ですけど、だいたい安物でしょうし、長い間、いろんな人に履かれ続けて状態が悪かったりするんです。それで変なところに負担がかかって痛くなったりしちゃうんですよね」と気遣うような笑みで言う。「フィギュアやホッケーの練習で履くのは自分専用のマイシューズですから。性能や質が良いものを選びますし、自分の足によく馴染んだものなので、貸し靴よりも足への負荷は少ないものなんです」

「運動靴だって、履き慣れたもののほうが走りやすいし、靴擦れも起きないだろ。それと同じだな」


 瑠那ちゃんを挟んで絢瀬の隣に座るカブちゃんがそう言い添えて、豪快に大口開けてハンバーガーを齧った。


「ほー」と遊佐は頬杖ついてドリンク片手に感心したように相槌打つ。「なるほど。じゃあ、俺がうまく滑れなかったのも靴のせいだったのな」


 したり顔でなぜか得意げに言う遊佐。その言葉に絢瀬もカブちゃんも何も答えず、それぞれ愛想笑いのようなものを浮かべてもぐもぐと口を動かしていた。

 わいわいと騒がしい店内で、俺らのテーブルだけ、一瞬、寒気がするような静寂が通り過ぎ、


「え、なに。この沈黙?」


 何かを察した遊佐が訝しげに呟くと、絢瀬もカブちゃんもハッとして慌てて口を開いた。


「だ……大事なのは気持ちですよ、遊佐先輩!」

「そうだぞ、遊佐くん! 一生懸命、練習したんだ。その努力は菜乃ちゃんにも伝わるさ!」

「いや、待って!? なんでいきなり慰めてくんの!?」

「どんなに情けない滑り方でも、前へ進めればいいんだ!」

「そうですよ。がむしゃらな感じが逆に男らしくて格好良かったですよ!」

「『逆に』ってなに、セナちゃん!? てか、情けない滑り方でがむしゃらな感じだったの、俺!? すげぇ、嫌なんだけど!」


 一気に自信を失って泣き言を言い始める遊佐と、それを必死に宥める絢瀬とカブちゃん。そんな三人の様子を他人事のように眺めながら、スケートリンクに鏡はないもんなぁ、と俺はぼんやり思った。

 休憩を挟みつつではあったが、一時間半、カブちゃんがつきっきりで指導しても、遊佐の滑りに上達の兆しは見られなかった。転びはしないが、前には進まない……という、なんとももどかしい滑りを披露してくれた遊佐。必死に足を動かしてはいるものの、そのスピードはよちよち歩くペンギン並みで。『なぜだ!?』と今にも叫びだしそうな苦悩の表情を浮かべて指導するカブちゃんを傍らで見守りながら、『笠原に教わるのは嫌だ』と断られておいて良かった、と(カブちゃんに頼んでおいて申し訳ないが)心底思ってしまった。

 それにしても。あれやこれやと代わる代わるに優しい言葉を絞り出し、遊佐を着々と追い詰め……励ます絢瀬とカブちゃんは息もピッタリ合って、不思議な連帯感が生まれているようにすら見えた。見事な餅つきでも見ているような気分になって、その様をフライドポテトを齧りながら鑑賞していると、


「陸太くん、陸太くん」


 ふいに遠慮がちな声が聞こえた。

 ハッとして視線を向けると、絢瀬とカブちゃんの間でチキンナゲットを黙々と食べていた瑠那ちゃんがじっと上目遣いで俺を見ていた。

 トレイの上には空っぽになったチキンナゲットの箱とぺちゃんこになったジュースの箱、そしてキッズセットについてきた親指サイズのお姫様と思しき人形が置いてある。


「もう食べ終わったの?」と身を乗り出すようにして訊ねると、

「陸太くんって、香月ちゃんのカレシなんだよね?」

 

 短く切りそろえた前髪の下で悩ましげに眉根を寄せ、瑠那ちゃんは藪から棒に訊いてきた。

 え――と、俺は思わずたじろいだ。

 予想外の問いだったこともあるが、それ以上に……。瑠那ちゃんの表情は不安げで、その口調はまるで責めるようで。恋バナをする女の子――のそれとは程遠かった。

 不穏な空気を感じつつ、なんとか笑みを取り繕って「そうだよ」と答えると、瑠那ちゃんはより一層顔を曇らせ、


「手くらい繋いであげなよ! 香月ちゃん、かわいそうでしょ」

「は……い?」


 いきなり、怒られた。

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