第5話 恋敵
ダメだと思ってた……て、何を――と問いかけたとき、
「私は……モナちゃんみたいにはなれないから……」
「モっ……!?」
モナちゃん……!? なんで、いきなり……モナちゃん!?
思わぬ名前が飛び出し、ぎょっとする俺をよそに――俯いたままで、気づいてもいないのだろう――香月はひときわ強くぎゅっと俺の袖を握りしめ、
「フラれると思ってた」
精一杯絞り出すようにしてそう言った声は震えていて……やがて、堰を切ったように嗚咽が漏れ始め――。
そのときになって、ようやく気づいた。別に気分が悪くなったわけじゃなく、香月は泣いていたんだ、て。
ぐっと胸に鉛でものめり込むような重苦しい痛みを覚えた。
思わず、その肩に触れたくなる手をぎゅっと握りしめて堪えた。
泣かせてしまうようなことを言った自覚はある。下心があるからもう友達ではいられない、て言ったんだ。十年かけて築き上げてきた関係を、俺の一方的な都合でぶち壊したようなもんだ。
泣かせて当然だし、慰める資格さえ俺にはもうないんだろう。
ただ……ひっかかっていた。フラれる、と言う香月の言葉――。
「香月」と膝立ちの姿勢のまま、俺はおずおずと声をかけ、「モナちゃんとか、フラれるとか……さっきから、なんの話だ?」
問いかけるなり、ばっと香月は顔を上げ、
「それはこっちのセリフ! さっきからずっと……彼氏がいるとか、護と付き合うことになったとか……なんの話!?」
夕陽のせい……だけではないだろう。顔を真っ赤にして、香月はポロポロと止めどなく涙が零れおちる瞳で俺を睨みつけていた。今まで見たことないほどのすごい剣幕で……。
明らかに、怒っていた。それも、凄まじく。
だが、な……なんでだ?
「なんの話って……護と付き合うことになったんだろ? 今日はその話をしに来たんじゃ……」
たどたどしくも聞き返すと、香月は苛立ちもあらわに荒々しく息を吸い込み、
「護とそんな関係になったことなんて一度もないし、そうなる気もない。疑われるようなことをした覚えもない! 中学のときから今まで二人きりで出かけたことがある男子は陸太だけ」
涙声になりながらも、一切の迷いを感じさせないような口調でそう言い切った。
なんというか……ひれ伏したくなるような、そんな凄みがあって。鬼気迫るような勢いに圧倒されつつ、
途端に俺はハッとして、「昨日は……?」と訊ねていた。
「昨日、護と二人で夕飯食べに行ったんじゃ……」
すると、香月は涙を拭いながら「行ってない」と険しい表情ですっぱり即答し、
「カブちゃんは来れない、て聞いたから断った。カブちゃんと陸太も空いているときに皆でもんじゃ食べよう、て護に言った」
開いた口が塞がらないというか……肩透かしというか、拍子抜けというか。
きっとカブちゃんは来ないだろうことは分かっていた。でも……だからこそ、俺も行くのをやめたんだ。きっと護は二人きりで香月と会う
いや、でも……おかしくないか? 香月を疑うつもりはないが……護とそんな関係になってない、て言うなら、なんで――。
「なんで……さっき、氷上練習のあと、護に口説かれてオッケーした、て言ったんだ? 付き合うことにした、てことじゃないのか?」
たまらず、そう訊ねると、香月は一瞬きょとんとしてから、ハッとして目を見開いた。涙が残る瞳の奥でキラリと光るものが見えたような。何かに気づいたのだ、とはっきり分かった。それが何なのかはさっぱり分からないまでも……。
そうして香月は茫然として――どれくらい経ってからだろうか。ほんの数秒だったのか、数分は経っていたのか、真空にでもいるのかと思うほどに息苦しい静寂があってから、香月はホッとしたような、呆れたような、そんな力無いため息をつき、「そういうこと……」とがくりと項垂れた。
そういうこと……? って、いや……どういうことだよ?
すっかり置いていかれた気分で、自分の部屋だというのに、迷子のようにぽかんとしていると、
「この際、誰がそんな中途半端に陸太に昨日のことを伝えたのか……はもういい」と疲れが滲んだような声で呟いて、「あのね、陸太」と香月はゆっくりと顔を上げた。「氷上練習の後、話がある、て護に呼び出されて……『ウチの女子チームに入らないか』て口説かれたんだ」
「え……」
今……なんて言った? 女子……チーム……?
「護たちのホッケークラブは男女混合で練習してるんだけど……今、女子は人数少なくて、試合に出れるほど揃ってないみたいで。リカコさん――女子チームのキャプテンに、護もカブちゃんも、知り合いに誰か興味ありそうな子はいないか、て聞かれてたらしいんだ。そんなとき、合コンで私に偶然会って……『試しにチームのプレー動画とか見せたら食いついてきたから、行けると思った』――だって。それだけで……護にあっさり見抜かれちゃったんだよね。まだホッケーに未練がある、て。だから、練習を見に来い、て誘ってきたみたい」
視線を落とし、どこか寂しげに語る香月の言葉に聞き入りながら、そういえば……と思い出していた。
合コンのとき、香月は護の隣でスマホを眺めながら楽しげに笑っていて――俺は嫉妬すら覚えたんだ。あまりに無邪気に浮かべるその笑顔を護に引き出されたようで……たまらなしく悔しかった。
まさか、あれもだったってことか……? あの笑顔の先にあったのも……?
全てを悟るや、あまりの恥ずかしさと情けなさに、かあっと喉が焼けるように熱くなった。
――さすがに、ここまで聞いたら理解できる。自分がいったい、どれほど頓珍漢な勘違いをして、アホみたいに先走って、どツボに突っ込んだのか。
つまり、全部、ホッケーだったんだ。
合コンのとき、香月が子供みたいな笑みを浮かべた相手も、昨日、香月が口説かれて付き合っていくことにした相手も……。俺が嫉妬していた相手は、護じゃなくて――。
いや、でも……と、そこではたりと疑問が浮かんだ。まだ、辻褄が合わないことがある。
「氷上練習は樹兄ちゃんと一緒に観に行ったんだけど……」と続ける香月の言葉を遮り、「じゃあ、なんで――」と思わず訊ねていた。
「なんで、俺の部屋にはもう二度と来れない、なんて言ったんだ?」
勢いのあまり、つい、責めるような言い方になってしまっていた。
しかし、香月は動じる様子もなく、視線を落としたままゆっくりと深呼吸をすると、ぽつりと答える。
「――フラれに来たから」
「は……?」
そういえば、さっきも『ダメだ』とか『フラれる』とか言ってたけど……。
どういうことだ――と問う間もなく、香月は俺の袖からするりと手を離すと、おもむろに腰を上げ、俺と向かい合うように座り直した。
きっちりと正座して俺を見上げるその様は、まるで俺も座るのを待っているようで……促されるようにして、俺も膝立ちの姿勢から腰を下ろして正座した。
膝を突き合わせて正座して見つめ合う……という、不自然なほどに改まった状況で――しかも、俺からの『告白』のあとだというのにも関わらず――香月は照れることもなく、いたって落ち着いていた。
いや、落ち着いている……というより……。
どことなく緊張を感じさせつつも、そこには怒りも焦りも憂いもなく。悠然としたその面持ちからは、覚悟――のようなものが感じられた。
澄んだ水面のように輝く瞳は、なんの遠慮も躊躇いもなくまっすぐに俺を見つめ、その眼差しは穏やかで。注ぎ込む夕陽の中、浮かび上がるその儚くも凛とした姿に、かつての『親友』のあどけなさは無く、ぞくりとするほどに……綺麗だ、と思った。
そうして見惚れる先で、彼女は囁くように静かに……でも、言い聞かせるようなしっかりとした口調で言った。
「ここからは何も答えないで。最後まで聞いて」
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