第6話 お願い

「答えないでって……」


 言いかけた俺をきっと鋭く香月は睨みつけてきた。脅すというよりは、お願い――とでも言いたげな縋るような眼差しで……。

 答えるな、て……質問もするな、てことなんだろうか。とにかく、口出ししないで聞け……てことか?


「今から言うこと……たぶん、陸太は聞きたくないことだと思う。でも、言わないと伝えられないこともあると思うから。お願いだから……我慢して聞いて」


 俺が聞きたくないこと? なんだ? なんの話をするつもりなんだ?

 ただならない雰囲気に心臓がきゅっと縮こまるようだった。我慢して聞いて……なんて言われて、分かった、て落ち着いて構えられるわけがない。

 とはいえ、ここまで言われたら……もう黙るしかないわけで。

 戸惑いつつも口を噤んで小さく頷くと、香月はそれを見届けてから覚悟を決めるようにすうっと息を吸い込み、


「陸太が女の子を苦手になった原因は……ホッケーに関係があるんじゃないか、て思ってる」


 ホッケー……!? って、いきなり、なんの話を……!?

 思わず、「は――!?」と声を上げた俺に、


「答え合わせをするつもりはないんだ」と香月はすかさず遮ってきた。「ただ、私の気持ちを伝えたいだけ。問い詰める気もない。詮索するつもりもない。陸太が言いたくないことを言わせるようなことはしない」


 二重のぱっちりとした目でこれでもかとまっすぐに俺を見据え、香月は芯のある声でそう言い切った。


「女性恐怖症のこと――あのとき、何があったのか……陸太がいつか誰かに話したいと思ったとき、傍に居て聞いてあげたい、と思う。そういう存在でありたい、てずっと思ってきた。だから、今、無理やり聞き出すようなマネはしたくないんだ」


 必死に訴えかけるようにそう捲し立て、ふいに、ふわりと香月は表情を和らげた。

 鋭い眼光を宿らせた目をそっと細め、唇の片端を上げるようにして――、


「こっちは『親友』としてのプライド、かな」


 そう少し照れたように言いつつ浮かべた笑みに――頼もしくも不敵な、まるで完全無欠な『王子様』みたいな笑みに、胸が締め付けられるような懐かしさを覚えて息を呑んだ。

 そうして、思い出していた。『親友カヅキ』のこと……。

 ホッケーの練習にぱったり行かなくなった俺に、『カヅキ』は『何かあったの』と電話してきた。詳しいことは言う気になれず、『女子が怖くなった』とだけ答えると、それ以上、問い質すこともせず――それから四年も、ただ傍にいてくれたんだ。

 ああ、そうか、と理解した。答えないで、という香月の言葉の真意。そこにこめられた想いが――ずっと変わらぬその深い友愛が苦しいほどに心に染みるようだった。


「勝手なことを言ってるのは分かってる。でも……今は、ただ聞いて欲しい。何も答えなくていいから……最後まで聞いて欲しいんだ」


 懇願するようにそう言ってから、香月はぽつりと呟くように続ける。


「たぶん、これが……『親友』としての最後のお願い」


 最後って――と、つい、訊きたくなるのをぐっと押さえ込んだ。

 これまでどれだけ香月に抱え込ませてきたことか……改めて思い知らされたようで。せめて、黙って聞くくらいできないでどうすんだ――て心の中で自分に喝を入れ、正座した膝の上でぐっと拳を握りしめた。

 唇を縫い合わせるような思いで引き結び、今度は深く頷く。

 すると、香月はホッとしたようにため息ついて、「あのころ――」とゆっくりと口を開いた。


「小学生だった私たちの『人付き合い』なんて学校とホッケーしかなかった。だから、陸太が女の子と何かあったのだとしたら、どっちかだろう、と思ってたんだ。

 小六の頃は、うちのチームにも女の子は入ってきてたし、試合で他のチームの女の子と接する機会もあった。須加寺アイスアリーナには、ヴァルキリー以外のホッケークラブも練習で来てたし、高校生の部活や社会人の女性チームともすれ違うことだってあった。フィギュアの子だってたくさんいたし。リンクの中でも外でも……私たちが知らないところで、陸太が女の子と揉めることは十分あり得たから」


 フィギュアの子――という言葉にハッとしそうになって、慌てて目を逸らしていた。

 明らかに、図星です、と言っているような態度だったが……香月は眉一つ動かさなかった。そんなことに……『犯人探し』に興味はないのだ、と主張でもするように。


「陸太は学校は『しんどい』とは言ってたけど、休もうとはしてなかった。運動会も遠足も『女子を避ければなんとかなる』て言って参加してた。でも、ホッケーは……いつのまにか辞めちゃってた。それどころか、ホッケーの話も、ヴァルキリーの友達の話もしなくなって、スケートをしに行こう、て言うことも今まで一度もなかった。陸太がどれだけホッケーを好きだったか、私は知ってるから……おかしいと思ってた。

 全部、私の憶測でしかなかったけど……それでも、覚悟はしておこう、て思ったんだ。陸太にとってホッケーはもう嫌な思い出でしかないのかもしれない――て。だから、ずっと、陸太の前ではホッケーの話はしないようにしよう、て決めてた」


 確かに……言われてみれば、そうだった。

 香月は、俺の前でヴァルキリーの話をすることはなかった。香月がまだクラブにいたときも、そのあとも……ホッケーに関する話題を出してくることはなかった。

 香月があのころの話を自分からしてきたのは、一度。俺が香月を女だったと知ったとき……男だと偽るようになった経緯を話してくれたときくらいだ。高一のときに護と再会したことだって、そういえば、そのとき初めて聞いたんだ。


「でも……この前の合コンで、絢瀬さんや他のフィギュアの子たちと顔を合わせても、陸太は平気そうだった。護とも仲直りして、カブちゃんとも昔みたいに話してて……あのころに戻ったみたいだった。私がおでこに触っても嫌がらないで照れてくれて……女性恐怖症ももうすぐで克服できそうなんだ、て分かって……。もしかして――て思ったんだ。もしかして、もう大丈夫なのかな、て。もう陸太にホッケーの話をしてもいいのかな、て気がしたんだ」

 

 そこまで言って、香月は急に表情を曇らせると、「だから」と声を落として俯いた。


「合コンのあと……氷上練習を一緒に見に行こう、て誘ってみたんだ」


 その瞬間、さすがに「あ――」と声が漏れていた。

 続きを聞くまでもない。

 知ってる。いや、はっきりと覚えている。そのあと、何があったのか。

 合コンのあと、カフェで香月に、『氷上練習を観に来てほしい、て護に誘われたんだ』と告げられて……俺はてっきり、護が香月をデートに誘ったのだと思ったから――。


「誘った途端、陸太は明らかに戸惑って、困ってるのがはっきり分かった。すごく……嫌そうだった」と香月は見るからにしゅんとして身を縮め、苦しげな声で言った。「次の日学校だから、て断るのも辛そうで、嘘吐いているのもなんとなく分かっちゃって……やっぱり、何かあったんだ、て思った。あそこのリンクで何かがあって陸太は女性恐怖症になって……だから、もうホッケーとは関わりたくもないのかもしれない、て」


 それは違う! ――と声を大にして叫びたかった。

 しかし……できるわけもない。

 親友からの『お願い』もあるし、それに、違う――と言ったところで、そのあとに続く言葉も思いつかなかった。

 あのとき、誘いを断ったのは、ホッケーが観たくなかったわけじゃなくて、護がお前のことを好きだから遠慮したんだ――なんて言えるわけもない。そんなこと言ったら、護が香月を好きだ、てバラすようなもんだ。

 とはいえ、このまま、香月に勘違いさせておくのも……と、煮えたぎるようなもどかしさに苦悶していると、


「本当言うとね」と香月は力なく微笑み、明るく取り繕ったような声で切り出した。「合コンで護にホッケーの話を聞いてるときから、護は私をチームに誘おうとしてるんじゃないか、ていう気はしてたんだ。だから、きっと余計に……陸太に一緒に来て欲しかったんだと思う。またホッケーをやるかどうか決めるそのときに、陸太に傍に居て欲しかった」


 ずぶずぶとナイフの先をゆっくりと胸に突き刺されていくような気分だった。

 知らなかった。香月がそんな想いでいたなんて。俺が見当違いな嫉妬に憂いている間に――。


「あのとき……断られた瞬間、陸太はホッケーとはもう関わりたくもないのかもしれない、て分かって……すごく怖くなった。これでもし、私がホッケーを始めたらどうなるんだろう、て。陸太がもっと私から離れていくんじゃないか、て不安になった」

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