第2話 意地

 え、と顔を上げると、


「樹兄ちゃんの部屋とは正反対だな」部屋をぐるりと見回し、香月は感心したように言った。「生活感ないっていうのかな。きっちり整頓されてて………陸太らしい感じがする」

「俺らしい……か?」


 それはどう受け止めていいのやら。

 俺の部屋にある家具といえば――一時期、断捨離にハマった母の影響と、そもそも部屋が狭いというのもあって――机と椅子、あとはベッドと本棚に、折り畳みの簡素なハンガーラックくらい。カーペットも敷かれてなければ、座椅子も無いし、座卓も置いてない。本棚にも父親が「母さんに捨てられそうだから預かってくれ」と託してきた古い不良漫画『不屈の番長』全三十九巻と、参考書や辞典が並んでるくらいだ。

 整頓されている――と言うより、物がそもそも無い。衣服もクローゼットに充分収まるくらいしかないし。

 要は殺風景というか。面白みのない部屋なんだが。それを、らしい、と言われると……どうなんだろう、複雑だ。

 もちろん、香月は悪い意味で言っているのではないんだろう、美術館にでも来てるかのように目をキラキラとさせてまだ飽きもせず部屋中を見回している。

 さすがに恥ずかしくなってきて、


「あんまジロジロ見んなよ」


 ぼそっと言うと、香月は「なんで?」と不思議そうに目を瞬かせ、


「見られてまずいものは部屋には置いてないんでしょ。そういうものは電子書籍で買っててスマホの中だから大丈夫、て前に言って――」

「うわああ!?」と思わず、叫んでいた。「お前、だから……『男』のときに話したことは言うなって……!」

「ああ……そっか。前に約束したのか」


 ハッとして、「ごめん」と香月は口元を押さえた。

 しかし、手遅れというかなんというか。顔が真っ赤に染まっているのが、自分でもよく分かる。ああ、もう……と、すっかり調子を崩され、頭を抱えて俯いていると、


「ここが陸太の部屋……なんだね」


 ぼんやりと、改まって確認でもするように言う声が聞こえて、


「――全部、想像通りだ」

 

 照れながらも、ホッと安堵したような顔が目に浮かぶような――。

 穏やかでぎこちなく……でも、たまらなく嬉しそうに放たれた、そんな一言に……ほんのたった一言に、ぐっと胸が締め付けられた。

 どうしようもなく息苦しくなって、今にも叫びだしたいような……激しい衝動に駆られる。

 俺は全然想像通りじゃねぇよ――て言ってやりたくなった。

 ずっと親友カヅキが部屋に来るのを心待ちにしていた時期だってあった。いつか来てくれるだろう、て思って待ってた。部屋に来たら一緒に何して遊ぼうか、て中一の頃はよく考えてたんだ。父親の書斎にある漫画を盗んできて読み漁ろうか、とか……母親がパートならリビングのテレビでゲームでもやろうか、とか……ポテチ食べながらだらだらしてもいいよな、とか……。散々断られて諦めるまで、そういうことを考えては『カヅキ』がこうして俺の部屋に来るのを楽しみにしてた。

 でも、そんな想像と――何年も描いていた光景と――目の前の現実はあまりにも違っていた。

 おずおずと顔を上げれば、視界に入ってくるのは、すらりと長い真っ白な脚で。それを辿るように見上げた先には、紺のスカートがひらひらと心許無く揺らめいている。きゅっと締まった太ももに濃い影を落とすそれはぎょっとするほど短くて、ちょっとした拍子でしまいそうな危うさがあって……誘い込まれるように見つめてしまう。

 そうして、つい、を想像しようとしている自分がいて、嫌悪感と罪悪感を抱いて打ちのめされる。

 そんな場合じゃない、て頭では分かってるのに。だめだ、と思いながらも、つい香月の身体に意識が向いている自分がいて……どうしようもなくこみ上げてくる昂りに思い知らされる気がする。――もう、前とは違うんだ、て。

 香月の服の下なんて筋肉しか想像したことなかった。ズボンの下はトランクスを履いているものだと思い込んでた。

 でも、今は……。

 背丈もスタイルも何も変わっていないはずなのに、目の前に佇む香月はたまらなくいじらしく可憐に見えて……その身体を抱きしめたくてたまらなくなる。

 だから――苛立ってしまう。想像通りだ、なんて呑気に言われると……。人の気も知らないで、なんて八つ当たりみたいなことを考えてしまって。

 なんで……と思わずにはいられない。


「なんで……来たんだ?」


 滲み出るように口から溢れでたその言葉に自分でも驚いて……そして、すぐにひどい言い方をしたと気づいた。


「あ」と慌てて言って、首を横に振る。「いや、違う! 来て欲しくなかった、とかそういう意味じゃなくて……」


 焦る俺に「分かってる」と香月は慰めるような声色で言い、


「なんで、今になって……て思うよね。何度も誘ってくれたのに、いつも断ってきたんだ」


 心苦しそうにため息ついて、香月は窓から離れてこちらに歩み寄り、「本当はね」と言いながら、俺の斜め横でベッドを背にしてちょこんと座った。


「この前も、来たかったんだ」


 陽が傾き、朱色を帯びた光が窓から注ぎ込んできていた。

 だからだろうか、微笑を浮かべて視線を落とす香月はやけに侘しく、哀愁を帯び……そして、やけに艶めかしく見えて胸に迫ってくるものがあった。

 ぞくりと唆られるものを覚えつつ、ごくりと生唾を飲み込み、「この前って?」と訊き返す。


「合コンのとき。肉まん、ウチにあるから……て誘ってくれたでしょ」


 香月は遠慮がちに小首を傾げて俺を見つめてきた。


「あ」と思わず、言葉に詰まった。


 誘ったつもりはないんだが……なんて、今更言うことでもないだろう。少し良心が痛んだが、「ああ……あのときな」と話を合わせた。

 すると、「ごめんね、断って」と香月は悲痛そうな笑みで言って、


「あのときだけじゃなくて、その前もずっと……」

「いや……」


 気にしてなかった――と言えば、嘘だろう。そういう距離感の奴なんだろう、と納得しながらも、どこかで引っかかっていた部分はあった。

 この『隔たり』はなんなんだろう、て……。

 とはいえ、責めるつもりもなかったから、返事に困って口ごもっていると、そんな俺の心情を読み取ったかのように申し訳なさそうに苦笑して、香月は「決めてたんだ」と続けた。

 

「陸太の部屋に来るときは、女の子の格好で――て」と明るい声で言い、香月は自分の制服を見下ろし、スカートの裾を軽くつまんだ。「こだわり、ていうのかな。目標……というより、願掛け、か」

「は……」


 なんだ……何を……言いたいんだ?

 話が全く読めずに呆然としている俺に気づいているのかいないのか、香月は「うーん」と悩ましげに唸り、ややあってから「あ」と思いついたような声を上げ、


「線引き、だ」


 自嘲するように苦笑してそう言った。

 その瞬間、思わず、息を呑んだ。

 線引き――その言葉に思い当たる節があった。それは、ずっと胸にあった違和感を針のごとく精細に貫いたようだった。


 そうだ。

 俺はずっと、香月との間に見えないラインがあるのを感じていたんだ。『隔たり』とも言えるそれは、まるで香月に一線を引かれているようで――。


「ここから先は『私』の領域ものだ……て線を引いてたんだ。要は……女の意地、かな」


 ハッとして見開いた視界の中で、香月は照れたように頰を染めながら力なく微笑んだ。

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