八章
第1話 訪問
突然の肉まん(二回目)に当然のことながら面食らった。
あまりにいきなりで。あまりに脈絡が無さすぎて。よし行こうぜ、なんて気分になるはずもなく、困惑しながらも「この辺のコンビニにもまだ肉まんは置いてないと思うぞ」と言うと、香月は「うん」と悪戯っぽく笑って、
「だから……陸太のとこに食べに行っていい? 冷凍肉まん」
頰を染め、照れたようにそんなことを言ってきたのだ。
そして――、
「お久しぶりです、おばさん。ヴァルキリーでお世話になった櫻香月です。これ、愛媛のお土産です。良かったら召し上がってください」
リビングでテレビを見ながらソファに座って洗濯物を畳んでいた母親は、いきなり、俺とともに入ってきたその女の子に目を点にして固まった。
テレビからは「なんでやねん」と威勢良くツッコむ声が流れてきて、まるで母の心の声を代弁しているかのようだった。
俺がいきなり友達を連れて帰ってきたことさえ驚きだっただろうに、それがセーラー服姿の(つまり、他校の)女の子で、しかも、母も良く知る俺の親友『カヅキ』だったとくれば、母の驚きも
「香月くん!? あらあら……いらっしゃい! お久しぶりね〜。いつも陸太が遊んでもらってるみたいでありがとうね。まあ、見ないうちに……」と興奮気味にまくし立ててきたかと思えば、徐々にその声は萎んでいき、やがて、母は訝しげに目を薄めて呟いた。「すっかり、立派な……お嬢さんになって……」
疑るようにまじまじと香月を見つめる様はすっかり困惑していて、セーラー服姿の女の子が『カヅキ』だという、その違和感にようやく気づいたのだろう、と見ているだけで手に取るように分かった。
ホッケー時代――他の奴らと違って、練習後、香月は更衣室も使わずに逃げるように帰って行って、迎えに来てる
それが、ここにきて、性別を勘違いしていたことを知ったのだ。その衝撃は想像に難くない。なにせ、俺も経験したことだし……。
そんな母を前にして、香月の表情は曇っていた。今にも謝りそうな雰囲気が漂い、俺はすかさず、「じゃあ、部屋で勉強するから」と口を挟んで香月を俺の部屋まで連れて行った。
前もって香月と話をつけていた通り……。
うちのマンションに来る道すがら、母にも男のフリをしていたことを謝らないと、なんて言い出した香月に、やめてくれ、と必死に懇願した。
そんなことをされたら、とんでもなく面倒くさいことになるのは日の目を見るよりも明らかで、香月とまともな話もできぬまま母からの質問責めで日が暮れていただろう。
そもそも、母に関して言えば、香月は直接騙していたわけでもなく、謝る必要なんて微塵もない……と俺は思う。
まともに会話をしたこともなかったんだし、母は母で香月の見た目で勝手に勘違いしていたようなものだ――と言ったのだが、もちろん、そんなこと、香月には屁理屈にしか聞こえなかったのだろう。納得いかない様子だったのを最後は、俺が困る、と言って押し切った。
実際問題、困る。
香月が今まで性別を偽っていたことについて語ろうとすれば、自ずと俺の女性恐怖症のことにも触れる必要がある。さすがに、親にそんな話ができるほど俺はまだ腹が座っていなかった。
もちろん、
「あんたは友達の性別さえ、まともに親に伝えられないのか!」
と、香月を部屋に残してリビングに戻ってくるなり、母にどやされた。
まあ、想定の範囲内というか。香月が謝ろうが謝るまいが、困ることになるのは分かってはいたわけで。
キッチンへと向かう俺に背後霊のごとくつきまとってはくどくどと小言を言ってくる母を適当にあしらいつつ冷凍庫を開けて冷凍肉まんを探していると、今度は「せっかく来てくれた香月ちゃんに冷凍食品を出すつもりか」とすごい剣幕で責められた。
それは想定していなかった。
面倒臭かったが、一応、香月と肉まんを食べよう、という話になって……という事情だけ説明すると――、
「てわけで……今から、商店街にある中華料理屋でおいしい肉まんを買ってくる、て大張り切りで出かけたわ」
自分の部屋に戻り、ブレザーを脱いでハンガーラックにかけながらそう言うと、
「ええ!?」
と珍しくひどく調子の外れた頓狂な香月の声が木霊した。
「そんな……そこまでしてもらわなくても……」
おろおろと取り乱す様が目に見えるような声だった。そろりと振り返ると、窓を背にして佇みながら、香月は青ざめた顔で俯いていた。
「いや、まあ……やっぱ俺の勘違いで、冷凍庫にあったのは肉まんじゃなくて肉シュウマイだったし」
とっさにフォローのつもりでそう言ったのだが、
「そういうことじゃなくて!」と香月は血相変えてこちらを見て、今にも泣きそうに顔を歪めた。「私……ごめん、違うんだ。別に、肉まんが食べたかったんじゃなくて……今日は、ただ……」
そこまで言うと、「ただ」と弱々しく繰り返して、香月はしゅんと勢いを無くして再び俯いた。
「今日は、陸太の部屋に来たかっただけ……」
狭く簡素な部屋に香月が力無くこぼした声が、やけにはっきりと響いた。
「ああ……うん」と曖昧に返事をして、俺も視線を逸らした。照れ臭いというよりは、気まずくて。「さすがに、それは分かってる」
ハッとする気配を感じながらも俺は振り返らずに、フローリングの床に腰を下ろした。
この前はカブちゃんというきっかけがあったからまだしも。あの話の流れで『肉まん』がいきなり出てくるのは明らかにおかしかったし、香月がそこまで肉まんが好きだった記憶もない。
ただの建前だってことくらい分かった。
二人きりになりたかっただけ……なんだよな。話をするために。
そして――と、つい、眉間に力が入った。
結局、マンションに着くまでの間、香月が話すのは、旅行と中間テストのことだけ。昨日の話題が出ることはなく……確信せざるを得なかった。
これから、香月が俺に『話さなきゃいけないこと』は、やっぱり昨日のことなんだ、て。
正直、母親が肉まんを買いに行ってくれてよかった、と思っていた。うちのマンションは壁が薄く、俺の部屋はそんな頼りない壁一枚隔てたリビングのすぐ隣にある。とてもじゃないが、テレビの音や母の笑い声が聞こえる中、香月と込み入った話をする気にはなれない。こちらの話も母親に聞かれる可能性もあるし……。
とりあえず、これで正真正銘、二人きりってわけで――。
緊張が一気に高まり、浅く息を吸ったとき、
「ずっと……来たかったんだ」
ふいに、香月が感じ入ったように呟くのが聞こえた。
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