第8話 質問
「竹じいに喧嘩売ったのかと思ったわ」
四時限目が終わって昼休みになるなり、相変わらず、ニヤニヤと信用ならない笑みを浮かべながら、遊佐が俺の席へとやってきた。
竹じいとは古典の担当教諭の竹中先生のことで、ついさっき、法事さながらに静まり返っていたクラスで、つい「は?」と声を上げた俺に、「何か質問ですか、笠原くん?」と単調ながらも怒気のこもった声で脅すように聞いてきた、定年退職を間近に控えたおじいちゃん先生だ。
「にしても、ずるいよな」と当然のように遊佐は前の席の椅子にどっかりと座り、俺の机に弁当箱を置く。「お前、拗らせてるくせに成績はいいもんな。あんな奇声を発しても軽い嫌味言われて終わるんだから羨ましいわ。俺なんていつも赤点ギリギリだから、どんな罰を食らうか分かったもんじゃねぇよ」
「それを『ずるい』と言うのかどうかは置いといて……拗らせてるくせに、てなんだ」
相変わらず、いちいち、癪に触る言い方をする奴だ。ジト目で睨みつけるが、そんな俺の批難の眼差しなど蚊の屁ほどにも思わないのだろう、遊佐は「ところで」とあっさり無視して話を変えた。
「あれから、どうだったんだよ?」
「あれからって?」
「合コンのあとだよ」と遊佐は弁当を広げながら、ちらりと俺を苛立たしげに見てきた。「香月ちゃん、お持ち帰りしただろ」
「お持ち帰りって……お前が追い出した――」
そうだった、と思い出すなり怒りがこみ上げてきて、くわっと勢いよく怒鳴りかけ――はたりとして言葉を切った。
ちょうど箸を手にして、何から食べようか、とでも言いたげに弁当を眺めていた遊佐は、ふいに俺の視線に気づいた様子でこちらを見、
「なんだよ、ジロジロ見て」と気味悪そうに顔をしかめた。「眼鏡の度数、合ってねぇのか」
見た目だけで言えば、頭の切れる天才高校生だよな、と改めて見ていて思う。さらりとした黒髪に、怜悧そうなキリッとした顔立ち。そんな外見に期待して近づいた女子も多いだろうと思う。そんな誤解も数日、接すれば解けるようで、高二の今、こうして常に『彼女が欲しい』とボヤき、俺をおちょくってはうさを晴らすような奴に成り下がってしまった。
だから、どうせ……と思って、深く考えてこなかったんだ。こいつの無茶苦茶な言動の数々を、ただの悪ふざけとしか思わなかった。
でも……『自覚』した今、横暴なだけに思えた遊佐の言動の中に、筋が通ることが出てきてしまって。もしかして――なんて思い始めてしまった。
俺はごくりと生唾を飲み込み、
「お前……気づいてたのか?」
ぽつりと訊ねると、遊佐は訝しげに眉根を寄せ、
「眼鏡の度数か?」
「そこじゃねぇよ! 俺が香月のことを――」
そこまで言ったところでかあっと胸の奥が焼けるように熱くなって、たまらず、ぐっと口を噤む。
いや――無い! こんなことを……遊佐に面と向かって言うなんて、恥ずかしい、てレベルじゃない。
そもそも、あり得ないだろ。
合コンのとき、俺の体調が悪いと遊佐が騒ぎ立てたのは、そうすればきっと香月が心配して俺を連れ出すだろうと踏んだからだ、なんて。あの三文芝居は俺が香月と二人きりになれるように仕向けるためだった、なんて。合コンに『カヅキ』を呼び出したのも、いつまでも『自覚』しない俺を見かねて、気づかせるための荒療治だった、なんて。全部、俺が香月のことを好きだ、て気づいてやっていたことだった、なんて。
ああ、あり得ない。そんなこと聞いて、遊佐が「実はそうなんだ」とか素直に言うわけがない。遊佐は馬鹿にして笑うだけだ。たとえ、事実だったとしても――。
だから……。
俺は「いや」と気持ちを切り替えるようにため息ついて、
「合コンのあとは……二人で肉まん探しに行って帰ったよ」
「何をお持ち帰りしようとしてんだよ!?」
せめてもの誠意のつもりで正直に答えたのだが、遊佐はぎょっと目を剥き、怒りすら感じさせる呆れ返った声を張り上げた。
「なんで……なんで肉まん!? 高校生の男女が二人きりになって、なんで肉まん探しになんの!?」
「香月が食べたい、て言い出して……」
「俺はそんな君を食べたいけどね、とか言っとけよ!」
「言えるか! びっくりするだろ、そんなこと言われたら!」
「あー、たく……!」と遊佐はさらりとした髪をぐしゃぐしゃに掻き乱した。「ここまで進まないとは……! 荒療治だ、とか言っちゃった俺までダサい感じになっちゃうじゃん。香月ちゃんも香月ちゃんで、なんでそこで肉まんなんて……」
口ごもりながら何やらもごもごと言ったかと思えば、遊佐は頭痛でもするように眉間に皺を寄せ、「肉まんのことはもういい」とジロリと眼差しだけは名探偵ばりに鋭くねめつけてきた。
「で? 今は何に悩んでんだよ?」
「は?」
いきなり、なんだ?
きょとんとしていると、遊佐はちらっと俺の手元へ視線をやり、
「どうせ、香月ちゃんなんだろ。何かLIMEでも来たのか?」
呆れ気味に言われて、ぎくりとした。
そうして、気づく。ずっとスマホを握りしめて話していたことに。香月とのLIMEのトーク画面を開いたまま……。
「今朝からずっと、休み時間の間もしみったれた顔でスマホ見てて……負のオーラ溢れすぎてて近寄れなかったわ。なんだよ、喧嘩か? また『なんでもない』とか言われたか?」
ウインナーを箸で掴んでふよふよと宙を泳がせながら、遊佐はわざとらしく悪役じみた嘲笑を浮かべた。賢そうな顔立ちが合間って、実に黒幕らしく様になっているのが余計に憎たらしい。
しかし、それに苛立つ余裕もツッコむ気力も今の俺にはなく、「いや」と力なく言って、スマホの画面に視線を落とした。そこには、相変わらず絵文字もスタンプもない簡素なメッセージが並んでいる。最後は香月からの質問で、さっき、授業中に届いたLIMEなのだが――。
「『もうすぐ中間テストだね。今日はどれくらい勉強するの?』――てどういうことだと思う?」
本来なら、こういうことはしたくないんだが……。もう万策尽きた、というか。お手上げ、というか。俺の理解を超えていて。一人で考えていても、どうすることもできそうになくて。藁にもすがる思いで、俺は重々しい口調で遊佐にそう訊ねていた。
すると、一つの間を置き、遊佐は「は」と気の抜けた声を漏らした。まるで、肩透かしを食らったみたいな。それは、おそらく、さっき、授業中に俺が漏らして竹中先生に嫌味を食らったその声とほとんど同じだったことだろう。
「どういうことって……そのままだろ」と心底、困惑した様子で遊佐は言った。「中間テスト近いけど、お前はどれくらい勉強するのか、て訊いてんだろ」
「な……なんでだ?」
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