第3話 初恋

 わ……『私』って……。


「え!?」思わず、ぎょっとして絢瀬から遠ざかるように身を引いていた。「いや、そんな……なんで……!?」


 またか! と言いたいところだが……本人から直接言われるって、これまでの香月や護たちのそれとは比べ物にならないインパクトがある。

 そして――ずっと信憑性が増すような気がした。


「こういうこと、自分で言うの恥ずかしいですけど」と絢瀬は照れたように笑い、俺から顔を逸らして前を向いた。「笠原くんの視線、いつも感じてました。練習のとき、リンクの外からよくこっち見てるな〜て思ってたんです。でも、目が合うと慌ててどっか行っちゃって……なんだろうな、て思ってたら、裏で私のこと褒めてくれてるって分かって。ますます気になって……勇気出して、すれ違いざまに『頑張ってください』って声かけてみたんです。そしたら、顔真っ赤にしてまんざらでもない感じで……そんな笠原くんを見て、周りのヴァルキリーの子達もニヤニヤしてるし、『これは間違いない』て思いました」

「あ……わ……おお……」


 まじか……まじか……!?

 俺、そんなんだった!?

 確かに、よく見てたけど。綺麗に跳ぶな、ていつも見惚れてたけど。目が合ったら、焦って逃げ出してたけど。声かけられたら、それだけで嬉しくて、次の日も浮かれ気分で学校行ってたけど。練習の前はいつも、『妖精』に会えるといいな、なんて思ってウキウキだったけど……。

 え。あれは……間違いない――のか?

 全部、だったのか? 俺、本当に……絢瀬セナが好きだった、てこと? 周りの友達も、本人までもが分かるほどにあからさまに……?

 じゃあ――と、ふいに脳裏をよぎったのは、の記憶だった。忘れ物をして、リンクに戻って、偶然、『汗臭いからホッケーの子とは会いたくないんだ』って話す絢瀬の言葉を聞いたあのとき。目の前が真っ暗になって、一瞬にして、世界が変わってしまったようだった。あまりのショックに女子が怖くなって、大好きだったホッケーさえ苦痛になった。

 絢瀬のたった一言で、どん底に突き落とされたようだった。

 それから四年もの間、ずっと、あの一言に囚われていた気がする。


 もし……と思った。


 もし、俺が本当に絢瀬を好きだったんだとしたら。

 氷の上に立つ『妖精』に何度となく目を惹かれ、優雅に滑るその姿に釘付けになって、彼女のたった一言に浮かれて、そして、たった一言でどん底にまで突き落とされた――その全てが、もし『恋』だったんだとしたら。

 ようやく、納得できる気がした。俺のあの四年間がなんだったのか。


「こんなこと自信満々に言っといて……ただの私の勘違いだったら、恥ずかしすぎますけど」


 俺が黙り込んでいたからだろう、絢瀬はおどけたようにそう付け足し、こちらに振り返った。

 頰を染めて愛くるしく微笑む――そんな絢瀬セナは、あの日のままで。どうしようもなく、心が引き戻される。すれ違いざま、彼女に『がんばってくださいね』と言われて喜んでいたころに。

 懐かしいような、照れ臭いような。そんなむず痒さがあった。まるで、古傷が疼くみたいな。

 初々しくも苦々しい当時の自分の気持ちが蘇ってくるようで……つい、苦笑がこぼれた。


「いや」と俺はため息混じりに言って、隣に座る絢瀬を見つめ返す。「勘違いじゃない。好きだった……と思う、絢瀬のこと」


 だからこそ、俺はあの一言を四年も引きずったんだ――と心の中で言い添えた。

 今、思えば、だけど。きっと、他の誰かに同じことを言われてたとしても、あそこまでショックを受けることはなかったと思うんだ。

 アイスホッケーは分厚い防具を着込んで、激しく動き回るスポーツ。汗臭いことなんて、俺らだって自覚してた。『汗臭いから嫌だ』とかフィギュアの子に言われても、多少は凹んだかもしれないけど……トラウマになるほど傷つくなんておかしかったんだ。

 つまり――だ。

 絢瀬に言われたから……だったんだ。好きだった子に『会いたくない』て言われたから……。

 この四年、俺が引きずっていたのは――『失恋』だったんだ。

 長年の謎が解けたみたいな。呆れにも似た、安堵にも近い、妙な脱力感があった。

 そうして、しばらく見つめ合って、「良かった」とふいに絢瀬がホッと安堵したように目を細め、


「私も好きでしたよ、笠原くんのこと」


 どこか寂しげにそう囁いた。

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