第11話 友情の終わり
「キ……!?」
思わず、裏返った声が飛び出していた。
キス……キスって、魚……じゃないよな!? あっちの――!?
「な……なんで!?」
「『なんで』!?」
「キスなんて……いや、そんなのは……!」
あたふたと慌てだした俺を小鶴さんは怪訝そうに見つめ、
「じゃあ、ハグとかは?」
「ハグ!?」
香月とハグって……それは、確かにホッケーのときに何度かしたけど。
でも、なんでだ? なんで、そんなことを聞いてくる!?
「ハグは……子供の時に、スポーツの一環で」
「スポーツの一環!? なに、そのハグ?」
「試合で勝ったときに」
「試合……?」
徐々に小鶴さんの表情が曇っていくのが手に取るように分かった。それにつれ、焦りと緊張が俺の中でみるみるうちに高まっていく。
まずい。さっぱり分からん。なんで、こんな会話になってるんだ? 俺、どこかで回答間違った?
「んー?」と小鶴さんは首を傾げ、「トクベツな友達……なんじゃなかったの?」
「特別……ですけど……キスとかそういうのじゃ……」
「そういうのじゃないって、つまり……恋愛対象じゃない、てこと?」
恋愛対象……? 香月が……!?
かあっと身体の中が急に焼けるように熱くなって、頭から火でも吹き出るんじゃないかと思った。
「な……ないです!」と俺は必死に首を横に振っていた。「そんな風にあいつを見たことは一度も……」
「えー。十年も一緒にいて、一度もないの?」
「そりゃ、だって……」
言いかけ、俺ははたりと口を噤んだ。
小鶴さんの尋問でかき乱されていた胸の中が、一瞬にして凪のように静まり返っていた。邪念が渦巻いていた頭は不気味なほどにすっからかんになって、だって――とぽつりと言葉が浮かぶ。
「そんな風に見ていいなんて……思ったことなかった」
「あ、なるほど!」と一段と興奮した様子の小鶴さんの声が横から飛んできて、俺はハッと我に返った。「友達の彼女なんだ!?」
「え、いや、違……」
「違うの?」
「違う……と思う」
正直言えば、分からない――だ。
香月に聞いたこともない。彼氏がいるのか……なんて。十年一緒にいたけど、そういう話になったことなんて無かった。女子の話をするとすれば、俺の悩み相談くらいで。恋愛の話なんて、話題に上ったこともなかったんだ。
だから、考えたこともなかった。『カヅキ』に彼女がいるか、なんて。まして、彼氏なんて――。
「そんなの、気にしたこともなかった」
「へ〜、そんなもん? 本当に恋愛対象じゃないんだねぇ」小鶴さんは驚愕したような、意外そうな声をあげ、「でも、そっか。そうでもなきゃ、十年も友達やってられないよね。男女の友情って脆いし」
物憂げにため息ついて、小鶴さんは机に頬杖ついて、何かを思い出すように天井を振り仰いだ。
「羨ましいなあ。私、男子と仲良くなると、すぐ恋愛沙汰になっちゃうからさ。そういう男女の友情とは無縁っていうか……。恋愛絡むと、一気に面倒臭くなるよねぇ。どっちかが、その気になったら終わりだし」
ぽろっとこぼした小鶴さんの言葉がぐさりと心臓を貫いた――ような気がした。
「終わり……?」
思わず、そう訊き返していた。
すると、小鶴さんはおっとりとした目をぱちくりとさせ、不思議そうに俺を見てきた。
「終わりじゃない? お互い好きなら、晴れて恋人同士だけど。拗れちゃったら、もうやり直せないでしょ。友達に戻ろう、なんて言っても、戻れるようなもんじゃないし。表面上は取り繕えてもさ、実際、一緒にいるのはつらいだけだよ」
声も出せず、ただ小鶴さんを見つめることしかできなかった。
ぞわぞわと鳩尾の奥をかき回されているような……そんな不快感に襲われていた。
「うまくいこうが拗れようがさ、どっちかが一線を越えようとしたら――その関係は終わりだよね。その先は、進むか、終わるか。もう戻ってはこれないよ」
息を呑み、固まる俺に――どんな表情をしていたのか――小鶴さんはハッとして「ごめん」と慌てて謝ってきた。
「なんか……脅すようなこと言っちゃった? 私の場合だからね、私の場合! 持論です、持論。もちろん、人によると思うし。笠原くんたちなんて、十年も一緒でそういう雰囲気も今まで全くなかったんでしょ。今さら拗れるとかないって」
大丈夫大丈夫、とパタパタ手を振ってから、小鶴さんは「あ、でも」と思い出したように呟いた。
「怒らせちゃったんならちゃんと謝って、早く仲直りしたほうがいいと思うよ〜。今の関係がずっと続くわけないんだからさ。時間は大事にしなよ」説教するふうでもなく、気遣うように小鶴さんはやんわり笑んでそう言った。「だって、今のうちだからね? もし、どっちかに恋人ができたら……気軽に遊ぶのも難しくなるし、その子の部屋だってもう行けないよ」
「恋人……?」
その全く馴染みのない言葉を、無意識にぎこちなく繰り返していた。
香月に……恋人ができたら?
呆然としていると、ガラッと扉が開く音がして、「あ」と小鶴さんが慌てて体を前に向き直した。
途端に、どたばたと慌ただしく席につく音が教室の中に響きだし、週番の号令がかかる。
授業が始まり、カチカチと単調な時計の音と、ダラダラと歴史を語る抑揚のない声が響く中、俺は黒板を見ることもできずに、机の下でずっと真っ暗なスマホの画面を見ていた。
初めてだった。
二、三日、香月からLIMEが来ないだけで、こんなに焦るなんて。かといって、LIMEの画面を開いても、文章一つ、思いつかず、何の文字も打てなくて……。
ダメだ。イライラする。
香月のこと、ちゃんと知りたい、てそう思って、やり直すことにしたのに……分からないことばかり増えていく。あの日から――どんどん香月との距離が離れていっているような気がする。
香月が怒っていることさえ、俺は分かってなかった。なんで怒ってるのかも分からなくて、その聞き方も分からない。十年も一緒にいて、香月は俺の性癖その他諸々知り尽くしているのに、俺は……今まで香月に彼氏がいたのかどうかも、今、誰かと付き合っているのかどうかも、全く知らなくて、それを聞いていいのかどうかも分からない。
香月も合コンに来ていたんだし、今はいないんだろう、とは思うけど。これから、いつ、そういう奴が現れるかなんて分からないんだよな。
香月の彼氏――なんて。
ふっと自嘲するように笑っていた。
どんな顔で会えばいいんだ。てか、会わせてもらえるんだろうか。気まずい――いや、会いたくない……なんて、子供みたいなことを思っている自分がいる。
あまりに香月の傍にいるのが当たり前すぎて、考えたこともなかった。誰かにそこを譲らなきゃいけない時が来るなんて……。
なんか……厭だ。
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