第11話 女の子の部屋

「いい? て聞かれてもな……」


 まさか、部屋まで偽物だったとは。

 確かに、驚いたことは驚いたけど。これまでの香月の徹底ぶりを鑑みれば、それくらいしていても不思議ではないな、と思ってしまう。


「香月と映画観に来ただけだし。俺はどの部屋でもいいよ」


 もうなんでも来いだ。半ば呆れつつ、俺は苦笑しながら香月の傍へ歩み寄った。


「ほんと!?」と香月はぱあっと表情を明るくして、いそいそとレバーハンドルに手をかける。「あの……ゲームとかは無いんだけど、樹兄ちゃんの部屋みたいに散らかってないから。くつろげると思うんだ」

「分かった、分かった。とりあえず、早くコップ置かせてくれ」

「そっか。ごめん、ごめん」


 悪戯っぽく笑って、「どうぞ」と香月は勢いよく扉を開けた。

 その瞬間、ぶわっと甘い香りが溢れ出てきた。『カヅキ』の部屋――もとい、樹さんの部屋とは全く違う香りが……。

 え……と見開いた視界に、ぱあっと眩い光が満ち満ちる――ようだった。

 真正面の窓から差し込む陽の光が、白いレースのカーテンをすり抜けて部屋を余すところなく照らし、新品同然に真っ白な家具を煌めかせている。机もベッドもローテーブルも、どれもこれも、シンプルで上質そうな……言うなれば、清楚な感じのするデザインなのだが、その傍ら、部屋のそこかしこで、愛らしいぬいぐるみやらクッションやら、もふもふとしたものが鎮座していた。

 なんなんだ、この空間は? このキラキラふわふわしたこの空間は――これは、俺の知ってる『友達の部屋』じゃない。

 その瞬間、ぞわっと背筋に痺れるような衝撃が駆け抜け、全身が粟立った。しまった――と全神経が悟ったようだった。

 扉を開けたそこにあったのは……今、目の前に広がっている空間それは、まごうことなき、『女の子の部屋』だった。

 いやいやいや。

 「どの部屋でもいいよ」なんて、何を血迷ったことを抜かしたんだ、俺は!? はダメだろ。『女の子の部屋』なんて、俺はモナちゃんの部屋しか行ったことがない。しかも、モナちゃんの部屋は画面一つ隔てているからいいものの……ここは生身の世界リアルだぞ。

 無理だ。こんな空間で今から約三時間も大人しく座って映画を見るなんて……俺にはできない。

 いっそのこと、いくらでも払うから、今からでも樹さんの部屋にしてもらえないだろうか――と、そんな考えがよぎった、そのとき、


「あ。お菓子忘れちゃった」急に香月は思い出したように言って、くるりと身を翻した。「くつろいでてね」


 それだけ言い残し、香月がふわっと横を通り過ぎて行く。部屋の中から溢れてくる香りと全く同じ香りを漂わせて――。

 って……くつろげるか!

 まずい。これは全く想定していなかった。

 俺の中で、香月の部屋は樹さんの部屋――つまり、漫画とゲームが溢れかえった男友達の『理想の部屋』だったから。物や洋服がしっちゃかめっちゃか散乱する中、二人でぐうたらと映画を見るものと……ここに来る間も、そういう想像しかしていなかった。

 まさかこんな状況で――この……なんだかいい匂いが漂う部屋で、柔らかそうなものに囲まれながら、二人きりになるなんて……と、そこで俺はハッとして息を呑む。

 二人きり……て、二人きり!?

 そうだ。俺、今、この家で香月と二人きり……!?

 今まで、全く意識したことなかった。『カヅキ』は『男友達』だったから。親もいない『友達の家』なんてただの無法地帯で、気楽なだけ。でも、今は……香月は『女友達』で、ここは『女の子の部屋』で、そこで二人きりって……いいのか? 違法? いや、ただのモラルの問題……?

 ああ、なんか……目が回ってきた。心臓が激しく波打ち、コップを持つ手がガタガタと震えだしている。

 とりあえず、コップを置いて落ち着こう――と、深呼吸して、俺は一歩足を踏み入れた。

 その瞬間。

 敷居をまたぐや、たちまち、その甘い香りに全身が包まれ、たった一歩だけでクラッと倒れそうになった。

 アホすぎる。

 己の情けなさと迂闊さに腹立たしくなってくる。

 ぐっと踏ん張るように足に力を入れ、せめて樹さんの部屋ならまだよかったのに……と、未練がましく樹さんの部屋とを仕切る壁を睨みつけ――その先にあったものに、俺は目を見開いた。

 さっきまで死角だった壁の端のほう。ウォールハンガーにかけられたそれは、輝くような真っ白の生地に水色のリボン、そして紺のスカートの――セーラー服?

 一瞬、思考が止まり、


「え。誰の……?」


 ぽつりとつぶやいていた。


「私のだよ」

「うわあ……!?」


 いったい、どれくらい悶々と独りで考え込んでいたのか。ぎょっとして振り返れば、香月はもう戻ってきていて、ポテトチップスやポップコーンを見栄え良く乗せた皿を手に立っていた。

 心臓が口から出るかと思った。冗談じゃなくて、本気で思った。魂はちょっと出たかもしれない。


「あ、そっか」と香月は部屋に入ってきて、セーラー服のほうをちらりと見やる。「私、学ランってことにしてたもんね。びっくりした?」

「いや……まあ……」


 びっくり……するだろ、そりゃ。香月がセーラー服着てるのなんて……想像すらしたことない。

 本当に……今の今まで学ランだと思ってたんだ。女が学ランなわけがないのに。香月が女だと分かってから、制服のことまで考える余裕もなかったし……。


「何をじっと見てるのかなーて思ったら」しばらくセーラー服を見つめてから、香月はクスッと笑って俺に視線を戻した。「――陸太、セーラー服好きだもんね」

「は!?」

 

 いきなり、何を言い出した!?


「ちょ……何だ、急に!? 何を根拠にそんなこと……!?」


 あたふたと慌てふためく俺を、香月は不思議そうに眺め、


「この前も、モナちゃんのピンクのセーラー服がどれほどいいかって話してくれたじゃん」


 やめてくれー! と叫んで逃げ出したくなった。

 そうだった……。香月にはもう全部喋ってしまっているんだった。と。

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