第9話 変わらないもの

 香月の家は、駅前から歩いて十五分のとこにある。閑静な住宅街に佇む二階建ての一軒家だ。

 小学生のときは――うちから電車で行く距離というのもあったし――ホッケーで毎週二日は会っていたし、家まで遊びに来ることもなかった。初めて来たのは中学に上がってから。それ以来、数ヶ月に一回とか……たまに呼ばれて来ては、ゲームしたり漫画読んだり、ぐうたらさせてもらっていた。

 前回来たのは春休み。ほんの数週間ぶり……くらいなんだが。あのときはまだ、俺は香月を男だと思ってて、『カヅキ』は唯一無二の『親友』だった。

 変な感じだ。

 さきに玄関に上がって「ただいま〜」とリビングのほうへ向かう香月の後ろ姿をちらりと見ながら、やはり胸の奥がざわつくのを感じた。昼からずっと一緒にいて、映画館からの道のりも並んで歩いて来たっていうのに……まだ、そのワンピース姿に、ふいに思い出したように驚いてしまう。

 いい加減、慣れろよ――と我ながら呆れるが、こればかりはどうしようもないよな、とも思う。十年の呪縛を解くには、それだけの時間もかかる、ということだろう。

 そろりと俺も玄関に上がり「おじゃまします」といつもみたいに言って、香月の後を追ってリビングに入る。

 ダイニングと一緒になったリビングは広々として縦長に伸び、庭に面した窓から差し込む日差しがダイニングの奥にあるキッチンまで照らしていた。白と黒を基調にした家具が置かれた室内は清潔感とセンスに溢れ、隅っこでは観葉植物の隣で空気清浄機が低い音を鳴らしている。

 毎回来るたび、この家の空気の清らかさに驚かされるんだよな――と、ついつい、深呼吸していた。

 景色も空気も、何もかも同じ。数週間前となにも変わらない。俺の知ってる『カヅキ』の家で……ただ、『カヅキ』の姿だけが違う。それだけのような気がしてしまう。

 って、そういえば――。


「誰もいないのか?」


 ハッとして訊ねると、香月はキッチンで冷蔵庫を開けながら「うん」と何でもないかのように答えた。


「今日はゴルフの日。いつき兄ちゃんはバイト」

「ああ……」と納得したような声が漏れていた。


 月に一度、香月の両親はゴルフをしに出かけて、そのまま二人きりで夕飯を食べて帰ってくる。長男の優希さんが働き出した五年前から、二人で共通の趣味を見つけよう、と夫婦で始めた習慣らしいのだが……いつも、香月が俺を家に呼ぶのは、決まってで、しかも、他の兄弟も(といっても、俺らが中学の頃には、優希さんも次男の真幸まさきさんも自立していて、当時から今もこの家に住んでいるのは、大学生で三男のいつきさんだけだが)外出しているときだった。

 そんなわけで。

 香月と知り合って十年。男として――ではあったが、誰よりも長い付き合いで、親友だと思っていた。それなのに……親兄弟と会ったことが一度もない。ホッケーのときも、香月は逃げるように帰って行って、迎えにきているはずの母親の姿さえ見せようとしなかったし。家に遊びに来ても、いつも親兄弟は留守。

 なんとなく、『カヅキ』に一線を引かれている自覚はあったから……家族と会わせないのも、『カヅキ』なりの線引きなのか、と思って気にしないようにしていたが。今思えば――香月が男のフリをしていたと分かった今なら――納得がいく。

 そりゃ、家族に会わせるわけにはいかないよな。

 兄弟はまだしも、親がに協力してくれるとは思えないし。男装して俺と一緒にいるとこなんて見られたら、「なんでそんな格好してるんだ」とかなんとか俺の前で言われてバレて終わりだ。そんな危ない橋を渡るわけがない。


「私も今日がゴルフの日だってすっかり忘れてたんだけどね。『銀河大戦争』の話してるとき、思い出して……」


 冷蔵庫からオレンジジュースを取り出し、香月はダイニングテーブルに並べた二つのコップに注いでいた。


「忘れてたのかよ」と鼻で笑って、俺もダイニングテーブルへと歩み寄る。「朝、親と話さなかったのか?」

「朝は……それどころじゃなかったから。なに着て行こうかな……とかそんなことで頭がいっぱいで」

「ふうん……」


 そういうもんなのか。洋服へのこだわりは俺にはよく分からねぇけど――。

 ダイニングテーブルを挟んで香月と向かい合い、改めて対峙すると……やっぱり、姿は見慣れないし、見てるとまだ落ち着かない感じがする。でも、そのタイトなワンピースはシンプルながらも気品があって、よく似合ってると思った。『カヅキ』が着ていた、明らかにサイズが合っていないようなダボッとしたTシャツとかよりずっと良い。それくらいなら、俺でも分かる。

 

「陸太は?」きゅっとオレンジジュースのペットボトルの蓋を閉めながら、ふと、香月は自信無げに訊ねてきた。「私と会う前……どうだった?」

「どうって……」

「緊張とか……した?」

「緊張……? なんだよ、その質問?」

「私が女だって分かって……陸太は何か変わったのかな、て思って……」

「変わったって……」


 そう訊かれても……なんて答えればいいのか。

 俺は視線を逸らし、「そりゃあ、まあ」と歯切れ悪く言った。


「確かに……会う前は緊張したし、今も正直、落ち着かないところもある。でも、今日会って……話せば意外と普通に話せるし、前みたいにくだらないことで笑ったりもできたし、案外、変わらねぇのかな、て思えた」


 『カヅキ』とついつい比べて、その度に安堵したり、困惑したり……今日はその繰り返しだった気がする。でも、映画見て『エロかったな』て一緒に笑えた。映画館からここに来るまでの間も、他愛もないことを話していたらあっという間に着いていて……。


「思ってたよりすぐ、前みたいな関係に戻れるんじゃないかって……今はそう思えるようになったよ」


 自然と、口元がふっと緩んでいた。

 香月の問いに答えながら、自分自身の考えもまとまった、そんな感じだった。

 

「だから」と、今度ははっきりとした口調で言って香月を見つめ、「時間はかかるかもしれねぇけど――」

「そっか。戻りたいんだ……」


 戻した視線の先で、香月は沈んだ表情で俯き、落胆したような声でひとりごちた。

 予想していた反応とまるで真逆で。呆気にとられて、俺は聞き返すこともできずにきょとんとしてしまった。


「変なこと訊いてごめんね」そう言って顔を上げると、香月はいつもみたいに――『カヅキ』みたいに涼しげに微笑んだ。「ジュースだけ先に部屋に運んでてくれる? お菓子、持って行くから」


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