第8話 好きな理由

 当然ながら、映画の内容なんて全く頭に入って来ず、


「大丈夫? 顔色悪いよ」


 やがて、エンドロールも終わって明るくなったシアター内で、香月が隣の席から心配そうに訊ねてきた。


「大丈夫じゃねぇよ」と、俺はげんなりしながら答えた。「耳打ちとかやめろよ」

「あ、ごめん。そっか……映画の最中に喋っちゃだめか」

「いや、そうじゃなくて――まあ、それもそうだけど」

「でもなぁ」悩ましげに言って、香月は思い出し笑いでもするようにクスクス笑い出した。「ちょっと、エロすぎた」


 あっけらかんと、あまりにはっきり言われてしまって面食らった。

 いや、その通り。エロすぎたよ。でも……それを『女の子』が恥ずかしげもなく口にしていいものなのか。そういうところは、『カヅキ』のままなわけ?

 うーん……調子が狂う。

 『カヅキ』らしいな、て思うときもあれば、まるで別人みたいな表情や言動で心をかき乱してきて……。たった数時間一緒にいただけで、どれだけ心臓が振り回されたことか。

 ただ、まあ今は――。


「ちょっとじゃねぇだろ。ガッツリ、エロかったわ」と、俺は我慢できずに噴き出した。「お前、いつもあんなの観てんの?」

「んー、そうだね。今日のは過激すぎたけど」


 そうだねって……まじか。


「今度はもうちょっと控えめなホラー頼むわ」


 ぞろぞろとシアターの外へと流れて行く人波も絶えつつあって、ケンジくんやモモコさんの姿もなくなっていた。

 俺らもそろそろ出ないと……と立ち上がろうとしたとき、「え」と香月の惚けた声が聞こえた。


「今度って……また一緒に観てくれるの?」


 振り返ると、香月がぽかんとして俺を見つめていた。

 なんて顔してんだか。『王子様』の見る影もない間抜け面に、つい、苦笑が漏れた。


「今日のはエロすぎて、ぶっちゃけ最後までちゃんと観れなかったしな。リベンジってことで。その代わり、今度は俺も予告編から一緒にチェックして選ぶからな。グロはいいが、エロはダメだ」


 冗談めかして厳しくそう言うと、香月はホッとしたような、照れたような、そんなぎこちない笑みを浮かべた。


「難しいこと言うなぁ」

「難しいのかよ!?」


   *   *   *


「でも、次は『銀河大戦争』観に来ようね」


 シアターを出て廊下を抜け、ロビーまで出て来たところで、香月は思い出したようにそんなことを切り出した。その視線の先には、チケット売り場の前にと佇む『銀河大戦争』のスタンディが。その前には、ファンだろう、記念撮影する人だかりがあった。さすが、血湧き肉躍る、古き良きスペースオペラの金字塔。中高生から中年のおっさんまで、スタンディに群がるファンの年齢層も幅広い。――が、その中に、やっぱり香月みたいな女の子の姿はなくて……。


「いや」と苦い思いをぐっと胸の奥に押し込めて、俺は口を歪めて言う。「だからさ、そういうのはもういいって。無理して俺の趣味に付き合ったりとか、もうしなくていいから。『銀河大戦争』だって……お前、本当は別に好きじゃないだろ?」

「なんで?」


 ぎょっとして、香月は食い入るように俺を見てきた。


「好きだよ。いつも一緒に見てたじゃん」

「だから……俺が好きだから、付き合ってただけだろ?」


 すると、香月はため息交じりに苦笑して、


が好きになる理由じゃだめ?」

「は……?」


 自然と、二人して立ち止まっていた。

 理解できずに呆然と見つめる先で、香月は懐かしむような視線をスタンディへ向けた。


「新作が出るたび、陸太と予告編を観まくっていろいろ妄想して、映画館に二人で観に行って、そのあと陸太と感想を言い合って――そういうの含めて好きなの。陸太と一緒に過ごすそんな時間が好きなんだ」

 

 本心なんだろう――そう確信できるほど、なんの迷いも恥ずかしげもなく、淀みない口調で香月は言った。


「だから、一緒に観ていい?」


 晴れ晴れとした表情を向けられて、嫌だ、なんて言えるわけもない。


「ああ……じゃあ、今度な」


 照れ臭いやら、気恥ずかしいやら、つい、気の無い返事になってしまった。

 内心では、よかった――と、ホッと安堵してるくせに。素直にそれを表に出せるほどの余裕も器用さも俺にはなくて。ガキか、と自分でつっこみたくなるが……実際、俺の女子との付き合いは小六で止まっているから、精神年齢で言えば年相応の反応か。情けないが……。

 男のフリもそうだが、香月にはいろいろ無理させて、我慢もさせてきたはずだから。少なくとも、『銀河大戦争』は香月も楽しんでいてくれていた、と分かって少し気が楽になった。


「去年見たのはスピンオフだったよね」ふいに、香月はスタンディを眺めながら、小首を傾げて呟いた。「今回のは本編だから、前作は……一昨年の?」

「そういえば……中三だったな。受験前に見たっけ。話、ほとんど忘れてるわ」


 好きとはいえ、だ。二年も間を置かれると忘れてしまうもんだ。はは、とひきつり笑みを浮かべていると、香月は突然何かを思い立ったかのようにハッとして、


「じゃあ――」と、おずおずと俺の顔を覗き込んできた。「今から観る?」

「今から……?」

 

 って、いや。急だな……!?

 

「だって、まだ三時だし。せっかく、わざわざ、うちのほうまで来てくれたんだし」

「それは……俺から誘ったからな。お前ん家の近くで観るのは当然――って、だからなんなんだ? そもそも、今から観るって、どこで……」

「だから」と心許なげな声で言って、香月は伏し目がちに俺を見つめてきた。「うちで、観ない? 今から……」

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