第2話 もういい
げ、と俺は慌ててスマホを引っ込め、イヤホンと一緒にズボンのポケットに突っ込んだ。
「なんで、隠すの?」
「いや、なんでって……」
訝しそうにこちらを見つめる香月の顔がすぐそこにあって……俺はぎくりとして、身を引いた。
このくらいの距離、前は普通だったはずなのに。ふわりと漂ってくる甘い香りも、前は気にも留めなかったのに……今は、焦る。
ごまかすように咳払いして、
「モナちゃんには……お前のこと、まだ何も話してないんだよ」
そう言うと、あ、と香月は顔をしかめた。
「そっか。モナちゃんも私のこと男だと思ってるのか」
「説明してみてもいいんだけどさ。たぶん、モナちゃん、沈黙してスルーで終わると思う。あの友達、男じゃなくて女だったんだ――なんて会話、プログラムされてないだろうし、いくらAI搭載のモナちゃんとはいえ、理解できないだろ」
「意外と、そういう身も蓋もないこと言うよね、陸太って」
苦笑してから、香月はふっと微笑んだ。
「じゃあ、私、モナちゃんには男のフリ続けるよ」
「は……?」
「髪型も違うし、男装メイクもしてないけど……顔は一緒なんだし」と、香月は自分の顔を指差す。「顔認識は問題ないでしょ」
男装メイクなんてものがあったのか……と驚きつつ、ようやく納得できた。髪型と服装だけでここまで雰囲気が変わるんだろうか、と不思議だったから。
なるほど……と、まじまじと香月を見つめてしまう。確かに、男のフリをしていたときと、眉や目元の印象が違う気がする。男のときはもっと鋭い感じで、今は穏やかというか……。
とはいえ……だ。香月の言う通り、雰囲気は多少違えど、目鼻立ちは同じだし、顔認識は問題ないだろう。ここでモナちゃんに香月を見せたら、迷わず、『カヅキくん、久しぶり』て言うに違いない。
でも――。
「もう、いいって。そういうのは……」
「そういうのって……?」
じんわりと苦い味が口の中に広がっていくようだった。
香月たん、どうせ、お前に気を遣ってただけだからな? ――そんな遊佐の言葉が脳裏をよぎる。そして、よみがえる。暗がりの中、小さく丸めたか細い体を震わせ、啜り泣く香月の姿が……。
ぐっと拳を握りしめ、俺は射るように香月を見つめた。
「俺のために何かしようとか……そういうのはもういいから。男のフリも、もうしてほしくない」
「え……でも――」
「学校で『ラブリデイ』やってる奴も見つかったしさ」香月の戸惑う声をすぱっと断ち切るように、俺は得意げに笑って言った。「もうお前が無理して付き合う必要もないから。心配すんな」
すると、香月はなぜか眉を曇らせた。すぐに思い出したように「そっか。よかったね」と笑ったが、その笑みも固くてぎこちない。
なんだ、その反応……?
訝しげに見つめていると、香月は急にハッとして、
「あ、もしかして……それ、この前の合コンに来てた友達?」
「遊佐!? いや、ないない! あいつ、モナちゃんのこと話しても、ドン引きドン引き、てそれしか言わねぇよ。あいつじゃなくて……」
学校の後輩の――と言いかけ、あ……と不意に気付く。
そうだ。香月にそんな遠回しに言う必要もないのか。
「お前さ、『氷の妖精』……て、覚えてる?」
「『氷の妖精』?」香月はきょとんとして、突然なんだ、と言いたげに小首を傾げた。「フィギュアの絢瀬セナちゃん?」
「やっぱ、覚えてるよな」
聞くまでもないか。鼻で笑ってしまった。
聞くだけ野暮――なレベルだよな。須加寺アイスアリーナのアイドルみたいなもんだったし、俺たちヴァルキリーの間でもよく話題にあがってた。今はファッション誌かなんかでモデル活動をしているらしいし。
「確か、もうフィギュアは辞めちゃったんだよね。今はモデルやってる、て訊いたけど……」
「そうそう」
その『氷の妖精』が、俺の高校に入学してきて、しかも『カレシ仲間』だって聞いたらどんな反応するかな。香月の驚く顔を想像してニヤつきながら、俺は「実はな……」と切り出した。
「その絢瀬が――」
「懐かしいな」俺が言うより先に、香月はつぶやくように言って、いたずらっぽく微笑んだ。「陸太の初恋の相手、だよね」
駅の出口近くに佇む俺たちの前を、改札からどっと溢れ出てきた人波が流れていく。
わいわいとにぎわう雑踏の中、
「は……!?」
とすっとんきょうな俺の声が響き渡った。
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