第3話 イケメンオーラ

 誰かを待っているのだろう、隣で壁に寄りかかって佇むお兄さんがぎょっとしてこちらを見てきた。その迷惑そうな視線を痛いほどに感じつつ、


「な……なに言ってんだよ?」取り乱しながらも、俺は声を押し殺して香月に詰め寄る。「初恋って……いつ、そんな話した!?」

「皆、知ってたよ」

「いや、知ってたとかじゃなくて……って、皆って誰だ!?」

まもるもカブちゃんもヨシキも……とにかく、皆」


 開いた口が塞がらないとはこのことか。

 いつのまに、そんな話を皆でしてたんだ!?


「何を……根拠に……」


 すると香月は、仕方ないな、とでも言いたげな憫笑を浮かべ、


「『絢瀬セナが跳ぶ姿が好きだ』って熱く語ってた」

「ジャンプの話だろ!? キレイに跳ぶよな……てそういう話で……」

「いつも絢瀬さんに見惚れてたし」

「それも演技に見惚れてただけで、別に特別な意味は……」

「絢瀬さんに『がんばってね』て言われたあとは、陸太のプレーのキレがいい、て護も言ってた。『ちょうどいいから、このまま浮かれさせとけ』て皆、護に口止めされてたんだよ」


 護……! 人の恋心を利用しようって、小六でどんだけ策士なんだよ? ――って、違う! 恋心とかじゃなくて。俺は別に絢瀬が好きだった、とかそういうんじゃなくて、ただあいつのスケートが好きだっただけで……。

 そりゃ、絢瀬が跳ぶ姿は好きだったし、何度も見惚れてた。それは全部、本当だ。たまにすれ違いざま、『がんばってくださいね』て言われたら、すげぇ嬉しくてやる気がみなぎって。『妖精』が微笑みかけてくれるだけで、アドレナリンが溢れ出るようで……なんでもできる気がしたんだ。

 そういえば、いつからか――そうやって絢瀬にリンクで出くわすのが楽しみで、そわそわしながら練習に行っていた気がする。

 あれは、恋じゃない……よな?

 じわりと顔が熱くなっていくのを感じて、俺はたまらず「違うぞ!」と声を張り上げていた。


「言いがかりだ! 何時何分何秒、俺が絢瀬を好きだ、て言ったんだ!?」

「いつも言ってたよ」コロコロ面白がるように香月は笑った。「『絢瀬セナは一番キレイに跳ぶ。だから俺は好きなんだ』て」

「だ……だから、それはスケーターとして、尊敬している、て意味で……」

「そんなにムキに否定しなくてもいいのに。小学生のころの話だよ? いい思い出じゃん」


 うがーっと叫びたくなった。

 違うんだ……いい思い出、で済まないんだよ。小学生のころの話じゃないんだ。俺、今、そいつと学校でこそこそ恋愛シミュレーションゲームやってんだよ。初恋の相手とそんなことしてると思ったら……恥ずかしい、なんてもんじゃない。次に会うとき、どんな顔で綾瀬にモナちゃんの惚気話をすればいいんだ。

 頭を抱えて「うーん」と唸り声をあげていると、


「でも」とふいに、香月が顔を覗き込んできた。「そうやって恥ずかしがってる陸太もかわいい」


 ふっと目を細め、何か企んでいるような妖しげな笑みを浮かべる香月に、背筋がぞくりとした。

 自信に満ちた眼差しに、胸がざわめく。その澄んだ瞳は、迷いなくまっすぐに見つめてくるから……落ち着かなくて――て、なんだ、これ!?


「お前……イケメンオーラを俺に向けるな!」

「イケメンオーラ?」

「男のフリはもうすんな、て言っただろ!」

「してないよ」

「かわいい、てなんだ、かわいいって! ホストか」


 ったく、と悪態づいて、俺は身を翻した。

 そういえば、そうだ。香月はこういうところがあった。ホッケー時代も、フィギュアの子に「その髪留め、かわいいね」とか「その髪型、似合うよ」とか平然と言って、蕩けさせていたんだ。今になったら――香月が女だと分かった今なら、それが、何の他意もない感想だったんだろう、と分かるが……。当時は、誰もそんなこととは知る由もなく。恥ずかしげもなくさらりと甘い言葉を囁く美少年に、フィギュアの子たちも夢中になって、『カヅキ様』なんて呼ぶ子も出てきて……それでも、こいつは気にも留めない様子だったから、俺たちは格の違いを見せつけられているような気がしていた。さすが、イケメンだなー、て……他人事のように思っていたものだが――。

 まさか……そのイケメンっぷりを自分が思い知ることになるとは。

 最悪だ。不覚だ。心外だ。香月に、かわいい、とか言われて、ちょっとまんざらでもなかった自分がものすごく恥ずかしい。

 俺が未だに女の子を前にすると緊張してしまうように……香月は香月で、男のフリをしていた癖が体に染み付いてしまっているんだろう。ずっと紳士な『王子様』を演じてきたんだもんな。何度、逆ナンされようと、爽やかスマイルでうまいこと言ってオネーサンたちを躱してきた。だから、つい、キメ顔で甘い言葉を囁いてしまっても仕方ないのかもしれないが……俺にやるなよ!?

 抵抗むなしくざわめく胸を必死に落ち着かせようと、わき目も振らずズカズカ歩いていると、


「ねえ、陸太」と背後から思い出したように言う香月の声がした。「そういえば、なんで、急に『氷の妖精』の話なんてしたの?」

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