第17話 蓬莱
三崎隼人はノートを開いた。
自分がやったことは、正しいことなのだろうか?
箱庭は、電源を切って部屋の隅に置いてある。この機械は電気で動いているのは確かなようだが、動力を与えなくても動き続ける。
この機械は異世界を『操作』するものである。ゆえに、電源を切ったとしても、薬の開発に使われていたディストピア世界は、依然として存在している。
そして、彼らが命をかけて開発した依存性も副作用もない薬の製法は、たった今完成した。その製法は、ノートに書き留めてある。
これを西大陸の製薬会社に持って行ったら、その通りに作ってもらえるだろうか。
出来上がった薬を、ヒナに与えよう。いや、ヒナだけではなく、もっと大勢の人に分配させたい。
それが、犠牲者たちにとっての弔いであり、報いなのだ。
そう、箱庭を手にしたときには考えていた。
しかし、いま彼は自分自身の行動が正しかったのか疑っている。
製薬のために、隼人が作った世界――『蓬莱』の民は、自分たちが製薬のためだけに生きているのだと信じて疑わなかった。
蓬莱の民は、神を信じていた。
蓬莱で一番聡明だった研究者、名前はない。識別番号dr243414は毎日、祭壇に祈りをささげていた。
蓬莱の神は、すべての願いをかなえるという伝承を持っていた。そんなものは、存在しない。
識別番号dr243414には、娘がいた。娘はモルモットとして使いつぶされる運命だった。聡明ではなかったからである。
識別番号dr243414は毎日、祭壇に祈りをささげていた。娘の命を乞うてではない。いつか、薬が完成しますようにと。娘の犠牲が、己の献身が、いつか実を結ぶようにと望んだのだ。
蓬莱に神は存在した。しかし、識別番号dr243414の願いを叶えたのは、ほかでもない。彼自身である。
彼は、幸せだった。
娘は狂い死んだそうだ。
dr243414は、きっと薬などなくても幸せだったのだ。
しかし、三崎隼人は考える。
dr243414が青霧島に生まれていたら、一体どうなっていたのだろうか。
娘とともに、家族と仲良く暮らしていたのかもしれない。あるいは、宇宙を夢見る前のヒナのように、虚無に覆われた人生を送っていたのかもしれない。
少なくとも、今のような生き方はしていなかっただろう。
もし、ヒナが蓬莱に生まれていたら?
きっと、幸せだったのだろう。蓬莱では、叶わない夢を見てしまうことも、人生に意味を見出せずうつろに生きていくことも許されないのだから。
dr243414は幸せだった。生まれた時から目指すことはわかっていて、終いには己の夢を叶えたのだから。
dr243414たちが創り上げた薬に、彼は『ハッピーエンド』と名付けたらしい。
青霧島と蓬莱、果たしてどちらの方がより良いところなのだろうか。
シオンと三崎隼人、果たしてどちらの方がより良い神なのだろうか。
きっと、シオンも隼人も己こそが正義だと考えているに違いない。
隼人は、蓬莱の民と対等になれない。
対等であろうとしているシオンこそ、むしろヒナたちに幸福を与えていない。できるのに、しない。彼女は精神を操作することを厭う。だから『ハッピーエンド』は必要なのだ。
そのために蓬莱の民が犠牲になろうと構わない。蓬莱の民は、自分が犠牲になることを疑問に感じなかった。むしろ、DR243414のような人間が大半だった。
蓬莱は、すでに放棄されている。蓬莱の民は、全員が『ハッピーエンド』を服用して、緩やかに終わりへの道を進んでいる。
隼人は、少しだけ、蓬莱の民がうらやましかった。
部屋の隅の水槽の中で、カナリアが跳ねた。
トントン、というノックの音がする。
きっとシオンだ。隼人は模造刀を後ろ手に構え、ドアを開けた。
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