第14話 美学
「俺たちは、対等じゃない」
そう言い残すと、隼人は箱庭を抱えて部屋から出て行ってしまった。
残されたのは満身創痍のシオンと、ヒナ。それから、先程まで隼人とともにいたキュレーターの男。
部屋を抜け出そうとした男に、シオンは問う。
「どうして、隼人を止めなかったの?」
「シオン様が、あの少年を信用なさっていたからです。私は、ただシオン様のもとにあります」
「『様』はいらないよ。君も、自分の判断でそう決めたんだね。君は悪くない。きっと、隼人もね」
「シオン……、これから、どうするの?」
「さぁね。私にも分からない。とりあえずは隼人がどう動くか待って…… それからでも遅くないよ。きっと」
無理やり箱庭を奪うことも、シオンにはできた。しかし、まだ彼のことを観察したかった。それはある種、自分自身を見ているようなかたちであった。
また、シオン自身も、隼人の作る薬に興味があったのだ。依存性もなく、毒性もない、幸福だけをもたらす妙薬。これを墨天坑で作れれば、みんな幸せになれるのではないか?
滅びの運命も忘れて、死ぬまで快楽に耽り生きる。それはひょっとすると、ハッピーエンドなのではないか?
食糧問題を解決できる可能性など限りなく低いのだから、いっそこのまま滅びるのも悪くないのではないか? シオンにとってこの発想は忌むべきものであったものの、考え始めると止まらないのだ。
シオンたち旧人類が地上の新人類に文明のすべてを語り継ぎ、食料が尽きるまで幸せに暮らす。この薬があれば、自分たちが絶滅してしまうことなど気にもしなくなるだろう。ひとり、またひとりと人間が消えていく。それを悲しむこともない。
最後に生き残ったサンの子孫だけが、蒼電塔から救難信号を送り続けている。
そのときの光景を思い浮かべるだけで、美しさと背徳感で背筋は伸び、口許は緩く広がる。
しかし、『それ』を許せないからこそ、シオンは、墨天坑のシオンなのだ。
この薬を墨天坑に持ち帰りはしても、決して救いへの道を求めるのをやめたくないのだ。墨天坑の民に、あきらめることは許されていない。
「ヒナ、ヒナは、隼人の薬が欲しい?」
「……欲しい!」
「私はねぇ、ずっと頭の中で、全部終わればいいのにって考えてた。それを変えてくれたのがシオンなの。私に何でもわかるようにしてくれた。それで、まだ分からない宇宙に興味を持ったんだ。……それも、ダメになったけど。だからねぇ、この薬使って、全部忘れられたらいいって思ってしまったよ。ごめんね弱くって」
「私には、誰も責められないよ。むしろこの件は私が悪い。完全に」
「これから、どうしようかねぇ……隼人にはお礼を言いたい。あと因幡玲の新刊読みたい。話は知ってるんだけどね」
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