第11話 未知
米崇ヒナは、本屋の前で眠い目を何度も閉じては、また開いてを繰り返している。同じく本屋に並んでいる周囲の人々は、彼女を気遣いながらも、本心は今日発売の因幡玲の新刊の内容のことしか考えていない。
今はまだ日付が変わってすぐなのにもかかわらず、本屋の前には、20と少しの人間が、因幡玲の新刊を求めて並んでいる。店内では、もういるらしい店員が働いている気配がする。きっと件の本を山のように積んでいるのだろう。
米崇ヒナは、この星のすべてを知っている。だから、当然この本の内容も知っているし執筆途中で没になったシーンや削られた設定なども全て分かっている。それでも、いちファンとして、因幡玲に魅了されたものとして、紙の新刊は何としてでも手に入れたいものであった。
彼女がこの物語に魅了された理由は、この本が単に宇宙を舞台としているからではない。
この少女は、宇宙へ行くという夢を叶えられない。彼女に残されていた『未知』の世界に踏み出すことは、もはやできない。賢い彼女は、そうなることを最初から予想していた。シオンの前では、なにも分かっていないふりをしていた。
だから、夢の代わりに虚構に飛びついた。地球が荒廃し、宇宙に飛び出していく人間のストーリーに。もうひとつの可能性に。因幡玲の語るフィクションは、ヒナにとっては夢のような話だった。
いま、ここに並んでいる因幡玲ファンのうち、どれくらいの人が『宇宙の物語』を好いているのだろうか? どれほどの人が『荒廃の物語』を好いているのだろうか?
ヒナは考えた。きっと、後者の人間も少なくはないのだろう。面白い小説が読める満ち足りた生活を送ることと、破滅を望む心は矛盾しない。
ヒナが破滅を望むがわなのは、なにもシオンに出会ったからではない。もっと前の、恐らくは人格が確立したころから『そう』だったのだ。
タナトス(死への渇望)に抗えぬ人間はどれほどいるだろうか?
因幡玲も、大衆のそういった心の流れを痛いほど理解しているのかもしれない。だからこそ、ここまでヒットする作品が生み出せる。
本屋の列は今、50人を超そうとしていた。
昨日の夜、シオンは隼人とともにお茶会(という名の口論)をしていた。三崎隼人が、ヒナの夢を守ろうとしている。そのことをヒナはここから見ていた。
優しい子だ。隼人は、自分より弱い立場の人を助けられる人間だ。隼人は強い。だから、ほとんどすべての人にとっての味方だった。
一方、それが彼にとってのある種の強がりであった。自分は強い、存在の価値があると信じたいがためにヒナを救おうとしているだけだった。実を言うと、助ける相手はヒナでなくても構わない。ただ、シオンという神を彼が信じ切れていないが故、ヒナを守るという大義名分が欲しかっただけに過ぎないのだ。
そして、おそらく、シオンも優しい人だ。自分の生きる
ただ、正義が幸福を呼ぶとは限らない。ただ、それだけなのだ。それでも破滅衝動に縛られない隼人とシオンが、ヒナには眩しく感じられた。
夜明けは近づいて、東の空が白みつつあった。
「楽しみだ……」
とつぶやいた。
無知っていいなとヒナは思った。
米崇ヒナは知っている。因幡玲が書いたこの物語は、ハッピーエンドであることを。
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