第10話 全知
シオンがやっと、帰ってきた。
教団の一室で、彼女は飛び起きた。
隼人を東の島に置き去りにしてしまった。何も言っていないのに。あのまま帰ることができずに餓死していたらどうしようか。いや生き返らせることはできるが良心がとがめる。そう思いながら彼女はこちら側で目覚めた。
まるで飼い主に叱られる前の子犬のような顔をして、教団の中をうろうろ歩き回っていたところを他でもない隼人に見つかってしまったのだ。
時刻は夜の10時を少し過ぎたころだった。夏の虫が遠くで鳴いている音が、聞こえる。
「おかえり、シオン」
隼人は、すべて許してくれるようだった。シオンがヒナに『全知』を与えていたおかげで助かったからだ。
二人は、応接間で再会を祝うことにした。起きていたキュレーターの中年男性が、隣町で買ってきた紅茶とお菓子を運んできた。シオンは、素直に喜んだ。
隼人の箱庭には、キュレーターたちの協力もあって古代文明くらいの発展段階に達していた。住人はムラを作り、作物を育て、その流れで王が生まれる。それくらいの時代だ。
隼人たちが参考にしたのは歴史の本だった。自分が知っている『歴史』を辿らせるように、隼人は神として介入している。例えば下位世界の人間が育てているイネは、同じ人間の前で毎年育って実をつけて見せた。そうすれば、やがてその人は農業を思いつく。
いつの日か、この中の世界の文明は隼人がいる世界を追い越すだろう。そうなったら、中の発明から今度はこちらが学ぶことができる。隼人たちの世界も、発展する。
「なるほど、これは確かに重要だ」
「でしょう!」
隼人は、じっとりと細めた目でシオンを見た。シオンの背筋に、嫌な汗が浮かぶ。
「で、俺たちもこんな機械で操作されてると?」
「……そうだよ!」
シオンは、半ば腹の底から声を出すようにして返した。このような質問を、何度されたのか分からない。自分には自由意志なんかないのかと絶望するものもいた。シオンを悪魔と呼び、殴りかかってくるものもいた。だからどうしても、身構えてしまったのだ。
「……そうか」
「なにも、思わないのかい?」
「ヒナが全部教えてくれた。あいつは絶対嘘を言えないらしいし、現にそうだったから。もう、覚悟は決めてある」
「何の覚悟?」とシオンが返す前に、隼人は話題を移した。ヒナを守るために、シオンに対抗できる手段を見つける覚悟をしたことは知られてはならない。
「そういえば、ヒナは明日発売の本を買うためにこんな時間から本屋で並んでるらしい。ミーハーだな」
「ああ、それってひょっとして『因幡玲』のSF小説?」
「知ってたのか」
「前にオススメって言ってたから気になってはいた。たしか東の島の作家さんだっけ?」
因幡玲は、東の国の名高い作家である。主にポストアポカリプスものを書く。今人気のシリーズは、荒廃した地上を去って宇宙に安住の地を探し求める人々の物語だ。
「ヒナが、宇宙に行きたがってるのを知ってるか」
「もちろん、知ってるよ」
「宇宙に、行けないようにしたのだろう」
「よく知ってるね」
「ヒナが教えてくれた。人間が乗った乗り物が空と宇宙の境まで行ったら、空中分解するように仕掛けたそうじゃないか」
「そうだよ」
二人の間に、数秒の沈黙が流れた。一部の地域では、これを「天使が横切った」と表現するそうだ。しかし、この世界に神はいても天使はいない。ヒナの夢を叶えてくれる天使はいない。
沈黙を破ったのは、シオンだった。
「ヒナだって、宇宙に行けないのはとっくに分かってるんだ! 承知のうえで、私に協力している! 私が、神様だから! 私の手の中から人間を逃がしちゃいけないって知ってるから!
……ヒナは、この星のことは何でも知ってる。私がそうした。彼女が望んだ」
「そうなのか」
「本人に聞いてみればいいよ。彼女は嘘をつけない」
彼女の幸せを考えるのならば、シオンはすぐにでもヒナの夢を叶えるべきだ。しかし、墨天坑の掟がある。
『下位世界の者を、宇宙に出してはならない。こちらの管理が及ばなくなるから』
墨天抗のシオンは、ヒナの夢を糧にこの世界の幸福を守る。
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