第9話 教団
二人の乗る漁船が港に着いたのは、夜明けの少し前であった。
漁船の持ち主の腰痛は適切な処置がなされていて、もう治るようだった。
隼人が数日間行方不明になっていたことは、あまり騒ぎになっていなかった。彼は親に愛されていないし、たまにいなくなることはこれまでに度々あったからだ。息子を後継ぎとしか見ていない親の典型的な例である。
シオンは、まだ二人の前に現れていない。墨天坑と青霧島では、時間の流れが違うのだ。今頃シオンは墨天坑で歴史の本を読んでいる。日付すら変わっていない。
隼人は、箱庭の使い方を知るため、夜になってからヒナの暮らす教団に足を踏み入れた。なぜなら、この教団は周囲から怪しい団体だと思われているからだ。
無理もない。この教団はヒナたちキュレーターの隠れ蓑。キュレーターたちはすべてを知ることができる代償に嘘をつけない。うまく世間を渡ることができない。ゆえに、周囲から孤立してしまう。だから教団にこもる。すると、閉鎖的なカルト教団と怪しまれる。また孤立する。この循環だ。むろん、教団のものが幸せに暮らすためのサポートは最大限シオンがやっているのだが、孤立ばかりはどうしようもない。
特にヒナは、子供のうちから親元を離れ、教団で生活をしている。そこから高校に通っているので、高校でも浮いてしまう。しかし、それを承知の上でヒナはキュレーターになった。すべてを知る能力は魅力的であり、辞めることはいつでもできるのだ。
ゆえに、隼人はヒナとの関係を極力隠したがる。愛されない地元の名士の子が、おかしな人間関係を持っているというスティグマを負うわけにはいかない。それを後ろめたく思っている。それでも、昼間から堂々と教団に向かうことができないのだ。
隼人は、周囲を見渡してから、教団の扉をそっと開けた。それなりに広い庭を、気配を消して歩く。玄関に、40歳くらいの女性が待っていた。
「ようこそ、三崎隼人さん」
隼人は、2階の大部屋に通された。箱庭に興味があるキュレーターもいるようで、ヒナを含む5,6人がいる。中には「この少年はシオン様に選ばれたのだ!」と握手を求めるおじさんもいた。
もしこの場にシオン本人がいたら、「『様』は要らない」と彼をたしなめていたのだろう。
「こんばんは、三崎隼人です。この度は、箱庭の使い方を教えてくださることに感謝します」
隼人は、さっそく箱庭の電源を入れた。シアン色の、起動画面が表示される。
キュレーターたちも、シオンがどのようにして世界を操作しているのかはわからないのだという。シオンがこちらに来ていないときでも、外部からの操作は可能らしい。しかし、シオンは専らこちら側に来て、それから色々なことをしているのだそうだ。もっとも、これはシオンが語ったことなので真偽は不明だ。
キュレーターたちに教えられるのは、シオンが神様として守っているルールや、今までにどうしてきたか、というものだけだ。それはすでに冊子にまとめられている。機械自体の操作方法は、シオンがいない以上、隼人が手探りで理解していくほかない。
キュレーターたちの助言のもと、操作を進めていく。最初に表示されていたのは荒涼とした惑星で、そこに海を作り、人間を有らしめ、動植物を有らしめ、炎を与える。時間の流れ方も調整できるので、ここまでは数時間でできた。
箱の中には『人間』がいる。これが文明を作っていく様子を、隼人は観察し、導いていくのだ。
隼人は、ヒナに、自分たちもこうやって操作されているのに、怖くはないのかと訊いた。ヒナは、シオンの支配下なら大丈夫だといった。
ある程度の操作方法がわかってきたところで、その会はお開きになった。あとは、隼人に任せられるだろう、とキュレーターたちも判断したようだ。
その帰り道、隼人には箱庭が随分と重く感じられた。
隼人もまた、神としての責任を負っているのだと、このとき初めて自覚した。
今日もいい夜であった。
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