第8話 航海

 米崇ヒナの運転する、小型漁船が夜を進んでいく。

 この船は青霧島の腰を痛めた漁師から借りたものだ。彼女は、船を借りる対価としていい療法士と誰にも知られていない漁場を漁師に教えた。


 米崇ヒナは船を操縦したことがない。しかし、「キュレーター」の力を使えばどんなことでもわかる。彼女は、現在位置も確かめない。


 いま、狭い船室には操縦中のヒナと、その後ろにある簡易ソファに毛布をかぶって呆然として座っている隼人がいる。箱庭は彼の横に、ある。


 しばらく、会話のない時間が続いていた。


 ヒナは、窓ガラス越しの空を見上げている。月の大きな夜だった。手を伸ばせば月にまで届きそうだった。しかし、決して届くことはないことを彼女は知っている。

 なぜなら、西の国が月面基地計画を取りやめたからだ。背後にはシオンが絡んでいる。シオンは、西の国の上層部と交渉し、そうさせたのだ。対価として上層部に渡されたのは、結核の治療法。これでどれほどの命が救われるだろうか。

 少なくとも、その価値はヒナのひとりの夢よりずっと重い。

 そのことをヒナは誰よりも理解している。


 隼人は、何もできずに座っている。ここでできることは何もないと分かっている。それでも、会話をしてみたいと思った。今までただの「幼馴染」だったヒナが、どうやって彼の居場所を把握できたのか。なぜ、助けにこれたのか。

 彼女は、シオンの関係者なのだろうか?


「夜明けまであと287分。この調子だと朝までに家に帰れるよ」


 静寂を破ったのは、ヒナのほうだった。

 そうか、と返事をした後、隼人は、シオンという人間についてヒナに尋ねた。

 隼人は、シオンとヒナの関係を知らない。しかし、どこかにつながりがあるのだと推測した。


「シオンは……本当に、神様だよ。そして、それ以上に、私の友達なんだ」

 何も知らない隼人に対して、ヒナはこの星のすべてを知っている。ゆえに、隼人とシオンがした会話のことも、シオンが彼に箱庭を渡したことも分かっている。


 それから、ヒナはシオンについてわかっていることをすべて話した。


 この星を支えてきた存在であること。大抵のことはなんでもできるということ。ただし、人の心の中や未来までは理解できないし、時を戻すこともできないということ。そして、なぜ彼女が神様になったのか、その理由までは教えてくれなかったことなどを話した。


 帰路はまだ長い。


「本当に当に神なら、もっと俺たちのために働けばいいものを。今年で何人自殺者が出た? シオンなら解決できただろうに」

 俺は、まだシオンを信じない。そう付け加えた。


「さあね、私にも分からないや。なんかこだわりがあるみたいでね、私たちとは絶対に『対等』でいたいらしい。シオンは人を殺さないし精神を操ることをしない。やむを得ずしてしまう場合も、ちゃんと同意を得てる」


「へぇ」

 それはつまり、『同意を得て』誰かの精神を操作したり命を奪ったりできるということだ。いや、この制約はそもそもシオンが自分に課しているルールのようなものだ。彼女の気まぐれで、この世界の者は簡単に壊されてしまう。


 ならば、と隼人は考える。

 自分は、シオンに対抗できる存在になるべきだ、と。


「優しいよね、シオンは」

「どこがだ?」

「だってさ、何でもできるんだよ? その力を、人助けのために使える人なんだから。シオンは、誰よりも私たちのことを考えてくれる神様だよ」




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