第5話 欠乏
ブチッという音がして、シオンは墨天坑に帰ってきた。箱庭の電源も切れていて、無機質な青が映し出されているだけだった。
彼女の隣で、背の高い中年の男が、先程までシオンがつけていたヘッドセットを握りしめていた。
彼の名はアルフォンス。通称アル。
「時間切れだぜ、シオンちゃん。起床時間のうち半分、あるいは現地時間で1週間以上向こうにいちゃいけないって、教えたよなぁ?」
「ヴー!」
「ほら飯の時間だぜ。あんたの居場所は、こっちだ」
シオンは、アルに片手で抱きかかえられた。そのまま共用の食堂に向かう。
「まったく、また軽くなったんじゃないか?」
昼食は配給のエナジーバーが2つ、それと水耕栽培の野菜が少し。
食事を出したのは壁にに据え置きされている機械だ。ご丁寧にも、エナジーバーの残量は常に表示されている。その数字は減る一方で、増えることはない。カウントダウンがゼロになる、その時が、シオンたち旧人類が絶滅する時だ。
あと500年ほど後のことである。
食堂には5人ほどの職員がいる。愚神派研究所に所属しているのは10人と少しだ。およそ半分の人間が、ここにいることになる。ここにいないものは単に食事時間がずれているだけか、あるいは完全に部屋に引きこもって出てこないかのどちらかだ。
シオンは研究所で最年少だ。放っておけば食事に来ることもないであろう彼女を食堂に連行するのも、所長の大切な仕事なのだ。
「肉が食べたい」
「『こっち』じゃあ無理な話だ。むしろ、肉の味を知ってる俺たちが贅沢者なんだろうな」
シオンは、エナジーバーをもそもそとかじった。保存性と栄養価だけを考えられているそれは、最低限の味付けしかされていない。
下位世界では全知全能の彼女も、ひとたび現実に帰ったらただの痩せた子供でしかない。
「食べたくない」
「贅沢言うな」
アルは、机の下でシオンにちいさなビンを手渡した。
ビンには『厨房跡地で拾った。多分まだ使えるはずだぜ』というメモが添えられている。サッカリンナトリウム、つまりは人工甘味料のようだ。
「ありがとうございます」
「いいってことよ」
アルは、似合わないウインクをひとつした。
「シオンちゃんがいたから、新鮮な野菜が手に入るんだ。これくらい当然さ」
「どうもね」
シオンは、ビンの中身をバサバサと兵糧に振りかけた。
『P.S.一振で十分だぞ!』
という文言に気が付いたのはその後だった。
吐きそうなほど甘いエナジーバーを、シオンは、もそもそと食べ切った。
「俺はこの後地上に行く。シオンは……来ないよな」
「はい。仕事の続きをしようかと」
「熱心だなぁ、お前は。成長期なんだから、たまには地上にでも出かけて、太陽とか拝んでくればいいのに。いい気晴らしになるぜ? サンとかいう小僧にも会いに行ったほうが良さそうだし……って聞いちゃいないか」
「勉強しろよ~! お利口じゃないといい神様になれないぜ!」
そう言い残すと、アルはエレベーターで昇って行った。
「解ってるさ」
シオンがそう返したのは、アルがいなくなってからだった。
紙の形の文書は、今やほとんど残っていない。地上に植物は多くあるが、ケナフなどの製紙に適した植物種はまだ見つかっていない。探索の優先度が低いからだ。適した植物繊維でないと、きちんとした紙を作るのは困難だ。
そういった都合で、読書は基本的に電子機器を使う形となる。
「とりあえず歴史!」
と機械に向かって命令する。おすすめリスト上位に表示された書籍を、読み進めていく。
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