第2話 神託所(米崇ヒナとの日々)



 六畳間の寝室で、シオンは目を覚ました。視界に入ったのは、点滴の台とデジタル式の時計だった。時計は【紀元歴1779年15ノ月3日】の午前8時頃を指していた。窓からはどこまでも青い空が見える。

 小さい町だ。自転車が走っている。犬と散歩している人がいる。

 ここは、町の人々からは太陽信仰の教団だと思われている建物の一室だ。本当は、たまにこちらにやってくるシオンの居場所であり、また彼女の仕事を補助するものの集まる場である。周囲の人間には秘密だ。

 シオンは、両手を見つめて数度握ったり開いたりを繰り返し、感覚があるのを確かめる。点滴の針を怖がりながら外す。ドアの向こうからは生活音や、賑やかな話し声が聞こえる。確かに、こちら側へとやってこれたようだ。

 異世界への物理的な往来はできない。だから、このようにこちら側に「依代」のようなものを前もって作っておいて、そこに精神を繋げるという作業が必要なのだ。

 シオンは起き上がって、部屋の隅にある鏡の前でくるくるとポーズをとって見せた。

「よし、かわいい」

 ここでは何でもできるのだ。好きな姿でいることなど、造作もない。

 今、シオンは灰色掛かった黒い髪で体格が良く、中世的な顔立ちをした18くらいの女の姿だ。これが、彼女の理想だった。

 ノックの音がして、扉が開く。

 ここの住人だ。名前を米崇よねだかヒナという。

「おはよー、シオンちゃん。ひさしぶりだねぇ」

「久しぶり、ヒナ」

「ちょうどよかった。さっき食事の準備ができたんだ。一緒に食べようか」

「いいの?」

「一人増えたところで、同じことじゃないかな」

 階段を下りてゆく。

 すでに何人かの住人が、食事の用意をしていた。人数は五十人余り。朝食は小麦のパン、卵と豚肉の炒め物、庭で栽培したレタスだった。シオンがいることもあり、リビングは賑やかだ。

「久しぶりね、シオンちゃん」

「ちゃんと資料はまとめといたからね。奥の書斎に置いてあるんで、あとで確認しておくれ」

「ありがとうございます。おばさん」

「いいのよぉ仕事だし。それより、早く食べましょう」

「「「いただきます!」」」


 豚肉をほおばるシオンに、ヒナは話しかける。

「今回は、どれぐらいの間ここにいるの?」

「私がいるの、嫌かい?」

「なんですぐそう考えるかな……」

「冗談だよ、そうだな……一週間ぐらい、かな?」

 シオンは、お代わりはないかとおばさんに尋ねる。無いよ、という返事に、一瞬落ち込んだ顔をしたが、すぐに思い直した。次の瞬間には、空だった皿に豚肉が盛ってあった。

「やるね」


 食後すぐ、ヒナとシオンは書斎に向かった。

 ここには、ここ数ヶ月分の出来事をまとめた資料が山のように置かれている。

 資料は技術、生物分野、社会動向などのように細かく分類されている。ここの住人が作成、編集したのだ。

 この家の住人は、知りたい情報ならば何でもすぐに手に入れられる。神であるシオンもそうだ。しかし、世界のすべての事柄を書き示しては収拾がつかなくなる。必要な、記録すべき情報を取捨選択し、検索性が高くなるようにまとめる作業が必要となる。その仕事をするのがこの家の住人、キュレーターなのだ。 

 キュレーターは、その仕事の性質上、虚偽を述べることは許されない。よって、キュレーターとなる際にはシオンと契約する。全知を得る代償として、虚構を捨てます、と誓うのだ。そうすればシオンはその者にすべてを知る力と、嘘を話すことのできなくなる呪いを与える。正直なものは実世界では生きづらいので、このように集団で生活する。

 キュレーターになる適性、意志がある人間は、自ずとここに集まってくる。ヒナも、そのうちの一人だ。

 シオンは、同じ世界に生きるものに対しては冷笑家ともいえるような態度だった。しかし、下位世界に対してはそうではなかった。むしろ、どの研究員よりも下位世界の者にやさしく、対等であろうと心掛けている人間であった。

 だから、ヒナともあえて友人として接している。本当は一瞬でヒナの命を奪うこともできるのだが、そのような力をふるうことはしない。

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