第8話 空の色

その空には雲が無かった。何処までも続くブルー。永遠に蒼いであろうその空を眺め、私は父に問うた。


「どうして空は蒼いの?」


父は答え無かった。代わりに、私を愛車の助手席に乗せ、行き先を告げずにただ走り出した。

鬱蒼とした木々に囲まれた山道を抜け、県外の有名な天文台に着くと、既に日は落ちていた。

これが父の言いたかったことだったんだろう。

暗闇に染まった空を煌めく星の宝石が飾る光景。


「どうして空が蒼いと思った?」


父はそう問いたかったんだろう。

全く、こんな父に似てしまったから今では私もとんだひねくれ者だ。

それが光河夜空という男の遺言だった。

その数日後に父は急死してしまう。

だから私は解き明かそうと思う。

空の本当の色を。


******


廃墟の居住区間の一室に華恋が囚われていたのは、丁度影灯が犬神との戦闘を始めた時までだった。

タバコと酒の匂いが染み付いた密室で、華恋は魔女に救われる。

恩を返したいと申し出た華恋に、ルナは楽園エデンへの帰還を願ったのだった。


『楽園と、あなた達が呼んでいるあの世界はね。元々、“世界を旅する世界”として創世神様が創ったモノなの。そして私達、星の名を冠する“魔女”達は別の世界との縁を繋ぐアンカーとしてそれぞれの魔導書の管理を担っている』


ルナは私達が学んでいない真実を詳らかに語り始める。

この真実を知ってしまえば、私はもう後戻りは出来ないだろう。

しかし、好奇心には勝てなかった。


『けれど、ある日別世界から移住した不死者の男は楽園を乗っ取り、魔獣達を生み出した。そして別世界を乗っ取る算段を立てた』


ルナは苦しい顔に憎しみを浮かべる。

握り締めた拳の行き場を探し、苦悶の表情で続きを紡いだ。


『そうして8年前、この世界に私達は繋ぎ止められた。解き放たれた魔獣達はこの町を災禍で覆った。そんな時だった。私達の前にある男が現れたのは、私達は彼と契約し、エデンをこの世界から離脱させることに成功した』


その顔に微かではあったが、達成感の笑みが浮き出た。

しかし、その顔はすぐさま戻る。


『けれど、彼は私達を裏切った。彼は契約完了と同時に魔導書による儀式を改竄した。本来11の魔導書による“世渡りの儀”を10の魔導書の奪い合い“聖戦”に変えた。私達は争わなければ帰れない。聖戦の勝利者だけがエデンへ帰れるの』


ルナは憎しみと切望の入り交じった表情で懇願していた。

ただ、帰りたいわけじゃない、帰らなければならないと。


『お願い!!力を貸して!!ただ一人エデンを離脱させる為に生け贄になった姉を助けたいの!!』


この願いを断れるだろうか。

いや、そういう問題ではない。

ルナは私を助けてくれた。

けど、だからという訳でもない。

私は、


「助けたい。あなたの力になりたい。ルナ、私と契約して。ほら、泣かないでよ。女の子が涙を流していいのは大好きな男の子の前だけなんだから」

『…え?』


ルナの頬には一筋の涙が零れ落ちていた。

慌て拭う彼女には先程までのかっこよさというか凛々しさというものなんて無かった。

それで、決めた。

私はルナを守る。

お姉ちゃんも救う。

やったことないけど、ケンカだってしてみせる。

何より、魔王ってやつに頭が来てるんだから。

女の子を泣かせるようなやつを放っておけるわけがないと華恋は笑う。


ここに契約は成った。

一人の少女と一人の魔女はこれから、茨の道を駆けていくだろう。


「まずはこの部屋を出ましょう。ルナ、鍵とか壊して貰える?」

『待って、誰か来る。ドアを破壊して吹き飛ばすわ』

「OK、やっちゃって」


ルナが手を翳すと、ドアに満月がごとき魔方陣が浮かんだ。

それらは光の渦を成し、やがて膨張して爆発した。

指向性を持った爆発は、金属製のドアを蝶番ごと吹き飛ばした。


「うへっ!?」


という呻き声。

華恋は笑顔で、やったとガッツポーズをした。

そして、どんなやつがどんな顔で倒れているのだろうと、粉塵の後、その壁に叩きつけられた誰かを確認する。

と、華恋の笑顔は驚愕に様変わりしていた。

そこに倒れていたのはぼろぼろになった兄・光河影灯であった。


******


廃墟の最上階、その最奥に人間の反応があることを影灯は索敵魔術で感知した。

反応は二人分。

うち一人の反応は微力で、意識が無いのだろう。

となれば、華恋の可能性が高い。

それを知った瞬間、影灯は全力で走り出した。


「華恋が危ない!!」


そうして、その部屋に辿り着いた瞬間。

爆ぜた。

前方のドアが吹っ飛び、影灯はそのドアに成す術も無く激突し、壁に叩きつけられた。


「うへっ!?」


みっともない呻き声を上げるも、華恋を助けなければという一心で顔を上げる。


すると、そこには満面の笑みを浮かべ、仁王立ちする妹の姿があった。


「兄さんッ!!?」


驚愕に相対するこちらも驚愕。

しかし、すぐに安堵した。

華恋は助かった、いや自力で脱出したのだ。

戦いは終わり、じきに風紀委員の応援部隊が到着すれば、犬神達の身柄は警察に引き渡されるだろう。


「やれやれ…良かった」


そうして、慌てふためく妹を見て、微笑みながら影灯は安らかな眠りに落ちた。


******


華恋は兄を抱えて、廃墟を出た。

既に、風紀委員達が廃墟の中の犯罪者達を拘束している。


「…ん、んん?」

「あ、兄さんおはよう」

「ああ、華恋か。おはよう」


寝ぼけた影灯は、いつものように返事をした。


「ありがとう、兄さん。私を助けに来てくれて」

「…ああ、自力で脱出してたみたいだけどな」

「ううん、頑張ったのは兄さんだよ。だって怖い悪い人をやっつけたんでしょ?」


華恋は、だからありがとうといつもみたいな笑顔を浮かべた。

ああ、守りたかったのはこの風景えがおだ。

両親が死んだ時に守れなかったモノ。

俺が作るのはまだ難しいし、華恋にはきっといつか運命の人が現れるだろう。

だから、俺には今在るモノを守ることしか出来ない。


「妹に褒められるのも悪くないな…」


だからこそ、それだけをしっかりとやっていこう。


守るべきは明日の風景。

今日きのうの夜空が、明日きょうの朝日に代われるように。

ただ、ひたすらに今を守っていこう。

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