第7話 犬神

そこには犬共が棲みついている。

社会から廃絶され、愛しい者から拒絶され、憎しみ以外は全て奪われた有象無象共である。

その有象無象は群れを成したが、奴らの信用は奈落の底まで堕ちていった。

しかし、そんな犬共に手を差しのべた者が居た。

それが、日本妖怪を束ねる総本山『黒是覇こくぜは』。

彼らに拾われた犬共は、子分として杯を酌み交わし『戌噛いぬがみ』と名乗る組織を立ち上げた。

そしてそのトップに立った男こそが、犬神いぬがみに憑かれまた自らを犬神と名乗る男であった。

それが、犬神の一番の偉業にして最大の失敗であったことを彼は知らない。


*****


カツン、カツンと音の響く螺旋階段を登っている。

今時のマンションでは珍しいのだろうが、廃墟として時代に取り残されたここは不思議と違和感を感じない。

鼻につく獣の匂いに影灯は思わず顔をしかめた。

訂正しよう、獣臭の他に匂うのは腐敗した肉の匂いと鉄のような血の匂いだ。

おぞましい程の憎悪と恐怖の入り交じった醜悪な空間に怒りを表して進んでいくと、やがて開けた広場に辿り着いた。

恐らく、そこはガレージとして利用されていたのだろう。

所々に残る白線と車輪の跡、まだ使われているであろう車が一台。

そして、破壊されたパーキングの料金所。


「・・・・・・たく、ガレージぐらい一つで十分だろうが。こんな格好の場所、罠があるに決まってやがる」


影灯はそうぼやいて、目を閉じると、辺りの索敵を始める。

耳をすまし、気配を感じとる。

人の感情は周囲に何かしらの影響を及ぼしているという。

それは世間一般がいうところの『空気』であり、それを感じとることが影灯の特技である。

これは、楓が影灯を相棒に選んだ理由の一つだが、当の本人はそれに気付いていない。

たくさんの感情に晒されてきたという過去の遺産と言われてしまえばそれまでである。


「・・・・・・誰か近づいて来るな」


影灯は呟いた。

静寂に包まれたその空間で、影灯は更に耳をすました。

殺意を肌で感じるとその小さな違和感に気付いた。


「この殺気は人間のモノじゃない。もっと本能に訴えたモノだ。それも複数か、いやでもこの殺気自体は同一だ」


頭に蠢く違和感を言葉としてアウトプットし、情報を整理していく。

脳の全回路を全開で全回転し、違和感を確信とした時、本能で壁のスイッチを叩いた。

暗闇が徐々に晴れ、蠢くそれは明らかに近づいてきた。


「犬ッ!!?」


飛んできたのは犬の首だった。

目をくり貫かれ荒れた毛並みを逆立てて、黒い尾を引きながら影灯に接近してくる。


「──前方の窒素おまえ座標移動うごきは認めない──」


とっさに防壁の魔術を唱える。

窒素の壁を前方に作り上げ、犬は踊り狂いながらその突進を阻まれた。

濃厚な殺意のケダモノ。

瞳をくり貫かれ、ただ自分の嗅覚のみを頼りに獲物を追跡するハンター。

それがこの犬の正体だった。


「フッ、やっぱ音無楓の右腕には負け犬一匹程度では足りないか……」


コツコツと近づいてくる革靴とじゃらじゃらと鳴る鎖の音。

それは、毛皮のコートに身を包んだ、白い犬のような男だった。

常人では有り得ない程に発達した犬歯が、男の異様さを際立てている。

熱を吹き飛ばす冷たい夜の風が、ガレージの中を吹きわたる。


「集え、犬神」


男がそう呟くと、その奥から獣の咆哮が壁を反射して聞こえてくる。

一匹どころの話ではない、20匹近くの獣の群れがこちらに殺意を向け、駆けてくる。

横に駆け出し、犬の突進を掻い潜る。

牙を打ち鳴らした音を背中に聞き、ひらりと危なげに一匹ずつかわしていく。


「はっ、目玉をくり貫いたそいつらは視覚ではなく嗅覚を以て対象を追尾する。暗闇だろうと、お前に逃げ場はないぞ?」


確かに、視覚がないぶん、獲物を捉えるために嗅覚が敏感になる。

加えて、獲物を捕らえるまで、奴らの突進が止まることもないだろう。

打開策を考えなければ、影灯に道はない。

ただ走ってかわすだけでは、いつか追い付かれてしまう。


考えろ、嗅覚にもデメリットは在るはずだ。眼はカタチを捉えるが、鼻はそうはいかない。そうだ、自分と同じ匂いなら、そちらに気を散らせるかもしれない。


そう考えると、影灯は真っ先にアイツの名を呼んだ。

子供の頃に思い描いた幻想の具現。

影に紛れた黒い鬼。


「来い、ナラク!!!」


影灯の影から、黒い鬼が実体化する。

筋肉質な腕を盾の様に変形させ、犬を凪ぎはらっていく。

空を切る音と、鈍く響く音を奏で、ナラクはガレージの空気を変えていく。

そして、全ての犬が動かなくなると、男


「ほう、幻従フォロワーとは。あの犬の戯れ言と聞き流していたが、まさか本当だったとは。いや、音無楓の相棒であるならば当然の帰結か」

「フォロワー?お前、ナラクがなんなのか知ってるんだな?」

「ああ、知っている。しかし音無楓の右腕が知らないのも不思議だな。お前のご主人様は飼い犬への躾がなっていないようだ。いいだろう、俺が教えてやるよ」


男は静かに歩み寄ってくる。

しかし、男の歩みに付け入る隙はない。

ここは自分の力の事を知るべきで、そこから対策を練った方が状況を打破出来るだろうと考え、影灯は男の話を聞くことにした。


「ほう、俺に奇襲は通じないと見たか。いいだろう、利口な犬は嫌いじゃない。影灯だったか、音無楓の右腕よ。その利口さに免じて、俺も名乗っておこう。俺は犬神。黒是覇の下部組織、戌噛のトップを束ねる者だ」

「そうか、珍しい獣人化の使い手がいると思ったが、あれは妖怪憑きの成れの果てっていう訳だ」

「そうとも、俺の呪印と俺の能力のハイブリッドでな、生前後の主をただ一人に絞る呪いって訳よ。勿論、その主は黒是覇の頭じゃねぇ、この俺 犬神だ」

「生前…後?」

「ああ、生きている間もその骸も等しく俺の飼い犬っつう寸法だ。おかげで効いたろ?その犬神共こそ、俺の従順なる下僕達だよ」

「てめえ、人の死を弄んで何がしたい?」

「弄ぶ?はっ、笑わせる。お前のような陽だまりの奴らに俺ら極道の仁義が分かってたまるかっつうの。物事を推し量る定規なんてのはどこ探してもありゃしねぇよ。俺らもお前らの道徳心っつうのが分からねぇようになぁ」


犬神は吠える。

呆れと怒りをあらわにした瞳で、それでも尚話を続ける。


「話を戻そう。フォロワーとは“付き従う幻想”と書く。そして、貴様の幻従は貴様自身が産み出した魔獣だ。いや、正確に言えば魔獣のカテゴリーからは少し外れる。貴様らの幻従、カテゴリー・原始オリジナルの身体は宿主から流れる魔素で構成され、能力は宿主の妄想が反映される。一方、俺達の幻従、カテゴリー・妖怪は宿主の周囲の魔素を供給する必要があり、能力は人間全体の集合意識から適合したモノが反映される」

「そうか、幻従ってのがろくでもない代物ってのは分かった。それじゃあ本題を問い質させて貰おう。お前らが女子を拐う理由は何だ?」


怒りを含めた声色と眼差しで影灯はそれを問い詰めた。

張り詰めた空気の中で、剣は鼻で嗤うように返答した。


「カテゴリー・魔神、この世界ではない別世界からの来訪者。魔女を覚醒させる為の鍵探しをしていたのさ。俺達はとあるゲームへの招待状を貰ったんだが、魔女に嫌われてしまってね。この通り片目を交換したのにあの魔女、契約を破棄しやがった。だから二回目の契約をしようってんだが、心を閉じやがった。だから、魔女と契約してくれそうな少女を探してたんだが、どうにも魔女は選り好みが激しくてね、あいつが気に入らない女子はみんな俺の部下が美味しく頂いちまったよ。おかげでここ数日甘い嬌声ばっかり聞こえて夜も眠れね──」

「黙れ」


影灯が犬神の昂った言を遮る。

歯をギシギシと噛み合わせ、冷たい炎の瞳で犬神を一瞥し、


「お前ら全員、罪を数えて懺悔しろッ!!!」


叫び声と共に跳んだ。


「おいおい、さっきから人の話を遮りやがって。情緒不安定か?まぁ、ここまでやっといて冷静を保てってのも無理な話か」


犬神は影灯の突進を前に指を鳴らすと、後方から犬神の大群を呼び寄せた。

迫り来る犬神を前にし、影灯は自身の幻従を前に出す。


「止めろ、 ナラク!!」


ナラクは黒い影の壁を展開する。

壁に阻まれ、犬神の群れの一部を食い止めるが、漏れでた犬神が牙を向いて以前こちらを狂いながら追いかけてくる。


「言っておくがなぁ、飛び飛びの話をする人間は社会から爪弾きにされるぞ?」

「余計なお世話だ。凪ぎ払え、ナラクッ!!」


迫り来る犬神達をナラクの黒い鍵づめが一閃する。

短く吠えた犬神達が次々と力を失い、地に伏していく。

深々と抉られた、顔面だけの犬神達から赤黒く変色した、生者とは思えない流血がコンクリートを浸した。

だが、何頭もの犬神を倒しても次々と犬神は追いかけてくる。

このままでは、体力も底をついてしまい、何よりナラクでは防ぎきれない。

嗅覚のデメリット。

それをつくしかない。

影灯の脳裏にはある考えが浮かんでいた。


「なぁ、犬神。幻従ってのは宿主の幻想を反映するんだろう?」

「ああ、俺の犬神はお前の匂いを何処までも追撃する」

「そうか、そいつは失言だったな。なら、俺のナラクの敵じゃない!!」


影灯は叫び、一層自身の肉体に鞭を打つ。

悲鳴を上げる両脚の力を気合いで限界以上に引き出し、ガレージを駆け回る。

そして、走りながら呪文を唱えていく。


「──水は矢の如く、風は弓の如く──」

「よく吠える。俺に勝てるだと?そんな幻想はただの妄想だよッ!!」


そうして影灯が狙ったのは、犬神ではなく、ガレージの照明だった。

水の矢は、電球を的確に射抜いていく。


「──工程短縮リプレイ──発射そこだ!!」

「ったく、どこ狙ってる?それに貴様の幻従は──」


犬神はそこで気が付いた。

黒鬼はとうに姿を消していた。

それでは主を犬神から守れない。

だからこそ、犬神はそれに気付けなかった。

だが、犬神達は影灯をもはや追撃はしていなかった。


「馬鹿な……何が起きているッ!?」


犬神達は皆その場で床に向かって牙をガチガチと噛み合わせていた。

その顎が捉えるモノはなく、ただひたすらにその工程を繰り返すその様は壊れたゼンマイ人形のようだった。


「何をしている・・・・・・犬神ッ!!」


全ての明かりが消えたその闇の中で、犬神は叫ぶ。

疑問を、道理を問い、焦りは彼の頭を白で埋め尽くしていく。


「あんたが言った事だ」


不意に、その問いに答えが投げ掛けられる。

影灯はゆっくりと犬神に歩を進め、犬神に肉薄していた。


「ナラクは影だ、そして今ガレージの床を占める闇と同化させた。あんたの犬神達が匂いを追うと言うのなら、この床を永遠と追い続けるだろうよ」

「・・・なん、だと?」

「歯を食い縛れ、犬神。お前達が貪った少女達の命、この拳から幾億よりも重いと知れッ!!」


そして、影灯の身体から打ち出された渾身の鉄拳は犬神達の業を制裁した。

獣達の頂点に君臨していた男はその器のように軽い身体で宙に舞い、その思考を停止させた。


やがて、犬神達の魂は犬神から解放された。

影灯はそれを見届けると、ナラクを自身の影に戻し、また歩み始めた。


******


その瞳は一部始終を見ていた。

その瞳に繋がれた先、“百目ひゃくめ”と呼ばれるカテゴリー・妖怪の幻従は、その映像を壁に映し出していた。


「はは、犬神の奴またしてもしくじりおったか」


老人の乾いた声が暗い和室に響き渡る。

その傍らで控える従者、百目の宿主は主に問う。


「では、犬神はどうされますか?」

「構わぬ、あやつごときにお前の手を煩わせるわけにはいかぬよ」


老人は立ち上がり、百目の宿主に命令を下した。


「百物語を集めよ。じき、遊戯が始まるとな」


従者は、退室する。

後に残った老人は、屏風の絵に独り言を呟き掛けた。


「役者は揃った、では八年前の続きといこう。魔女と楽園を賭けた遊戯を再び始めようぞ」


大妖怪ぬらりひょんは嗤う。

その闇に濡れた瞳はこの未来さきに待つ絶望を映し出していた。

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