第58話-舞台-

 有名俳優のMさんが、下積み時代、とある劇場で体験した話だそうだ。


 その劇場は、「出る」と言われていた。


 なんでもその昔、本番の直前で死んだ俳優の「心残り」が、ずっと舞台の上に残されているのだとか。

 信じがたい話ではあったが、その劇場に出入りするほぼすべての役者やスタッフが、その存在を確信していた。


 上演中の客席や舞台袖は薄暗い。

 その闇の中に、確かにぼんやりとした人影が立っているのだ。

 そこに人間がいるはずはないのに。


 多くの人間が同じような体験をしていることから、その劇場はいつしか幽霊の出る劇場として業界に名を知られるようになった。


 ある夏の日のこと。

 その日も劇の公演が予定されていたが、本番が始まった直後に役者の一人が体調不良で倒れてしまった。


 代役を立てようにも劇はもう始まっている。

 こんな時に限って無線機が壊れていて、舞台中止の合図を出すことも出来ない。


 倒れた役者と、彼を取り囲むスタッフ達が舞台袖で慌てていた時。


 とうとう、その倒れた役者の出番が来てしまった。

 全員がどうすることも出来ずにいると、一人の男が舞台に立った。


 役者もスタッフも全員、その男に見覚えがあった。

 しかしハッキリとその姿を見たのは初めてで、名前を思い出すことも出来ない。


 不思議な時間だった。


 舞台に立つ役者たちは初め戸惑ったが、男が難なく役をこなすのを見ると、劇を止めるわけにもいかずに最後まで演技を続けた。


 彼は、満足そうな顔をして舞台からはけていった。

 次の瞬間にはもう、彼の姿は袖には無かった。


 それ以来、その劇場に幽霊が出現することは無くなったらしい。

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