001.シスコン兄突っ走る
おい、ナルハ・グラントール及びメイコール・グラントール。特にメイコール兄上。
イケメンが小娘に対しておにーちゃん、はないだろう……とは、さすがに返せなかった。
つまり、俺のこの理由のわからない幻覚は幻覚じゃなくて、お互いの前世だと理解できたから。
事故現場で唐突に出てきた名前は、今は使っていないはずの名前だった。そうして、使われなくなった理由も思い出す。
交通事故。この世界ではないあの世界で、機械じかけで動く……自動車が、今のこの馬車と同じように崖から落ちたからだ。
「……鳴霞、でいいのかしら」
「うん」
つい確認すると、兄上は頷いた。その仕草が、かつて妹だった少女の姿を彷彿とさせる。
いや、さすがに自動車事故で使われなくなった名前を、馬車の事故で思い出すなんて思ってなかったよ。それは兄上……鳴霞もそうだろうと思う。
雨で地面がゆるくなっていたせいだと思うんだけど、馬車が山道から落ちた。馬はかわいそうなことになって……そういえば、御者はどうした? 兄上の小姓もだけど。
「えと、他の人たちは」
「御者は行方不明、おそらく放り出されたみたい。私のゲイルは無事で、御者を探しに行っている」
兄上に尋ねてみたら、サラリと教えてくださった。ということは、生き残ったのはその三人……か。この中性的な口調は、元から。別に鳴霞が表に出たわけではない……と思う、うん。
それはともかく兄上の小姓、ゲイルだっけ。彼は知らないけれど、俺たち二人はとりあえず無事っぽい。わたしはちょっと肩と足首が痛いし、あっちはイケメン面に血が一筋つーっと滴ってる状態なんだけど。
「メイコール様!」
「ん、帰ってきたな。失礼、ナルハ」
木々の間から、兄上の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。そうそう、この声だ。本当に無事っぽいな、よかった。
そうして俺が鳴霞と呼んだ青年、今の名前はメイコール・グラントール。彼……んー、外見で行こう、彼は俺をひょいと抱き上げた。今の俺はナルハ・グラントール……メイコールの『妹』であるため、軽々とお姫様抱っこされた。
そう、妹。れっきとした女の子、当年十五歳。ちなみに『兄』のメイコールは十八歳である。
なお中身……水上鳴火はえーと、最後に覚えてるのは鳴霞の十八の誕生日で……俺はその時二十三だったっけな。誕生日に家族で飯食いに行って、その帰りに事故って……うん。
あーごちゃごちゃする、後で整理して考えよう。今はこの状況からの脱出が先決だ。
木を掻き分けるようにしてやってきた黒っぽい髪と赤い瞳のゲイルは、俺を見てその赤い瞳を丸くした。いや、この状況だと色なんて分からないんだけど、兄上の側近に近い立ち位置だからよく見るんだよなこの人。
「メイコール様! ……ナルハ様?」
「自分で馬車から出てきたらしい。ゲイル、状況は」
「御者はこの先で、首が折れておりました」
……兄上、ゲイル。お前ら、わざと馬車の中に俺を置いてきぼりにしたな?
まあ、十五の娘が崖下ふらふら歩き回るのを阻止するにはいい場所だったかもしれないけど、さ。ふふふミントグリーンのドレス、どうしてくれよう?
いやそれはともかく。御者の人はだめだったかあ……まあ、馬車の御者台にいたわけだから実質外で、馬車が落っこちてそのまま放り出されたんだもんなあ。すまん、冥福を祈る。
「では、仕方ないな。近くに人家があれば、そこに向かいたいが」
「馬車で五分ほど戻りました山の麓に、この地域の村長宅があったはずです」
「馬車で五分、か。それなら、私が走れば同じくらいで着くな。ゲイル、お前はそこから我が家に走れ」
「はっ。クライズ家には、いかがいたしますか」
「このあたりはクライズとも親しいはずだ。村長の方から使いを出してもらえば良い」
「承知しました」
メイコールは、鳴霞と同じ口調でそう言ってのけた。ゲイルも当然のように会話しているのは、マジでメイコールと鳴霞が同じ口調なせいで違和感もへったくれもないからだろうな。
で、兄上は……俺をお姫様抱っこしたまま、走り出した。いやちょっと待てい兄上が馬と同じ速度で走れることは前から知ってたけどいくら何でもこれは恥ずかしすぎるだろうがああああああ! あとゲイル、お前も同じ速度で走るなあああああ何で馬車が必要だったんだお前ら!
………………わたしのせいか。
人一人抱えたまま本気で馬と同じ速度で山をつっ走った兄上主従のおかげで、俺たちはひとまず山の麓にある村長の家に落ち着くことができた。
雨上がり、泥を蹴立てて走るかと思ったら木の枝をポンポン飛び移ったおかげで泥汚れは最初に落っこちたときくらいのものだ。木の葉まみれになったけどさ……門の向こうから俺たちの姿を見て、さすがに使用人のおばさんも村長も目を丸くしてたなあ。
「主より、こちらのお部屋をお使いくださいとのことです」
「ありがとう。この御礼は後日、させていただくと伝えてくれ」
「ありがとうございます。すぐに、お湯とお着替えをお持ちしますね」
家主、つまり村長の私室を使わせてもらうことになり、俺たちはおばさんに案内してもらった。そんなに大きくない家で、客間に使える部屋がないらしい。ごめん、村長。
というかゲイル、俺たちが村長の家にたどり着いたのを確認するが早いか「ではグラントール本家まで行ってまいります」って走って行っちゃったんだよなあ。止める間もなかった、めっちゃ早い。
湯で身体を拭き、着替え、温かいお茶を淹れてもらってふうと一息つく。多分今頃、ダニエルの家へも連絡の者が走ってるはずだ。
家主が部屋を提供その他諸々してくれたのは、今の俺たちがここらへんの領主の子供だからである。グラントール伯爵の嫡男メイコールと、その妹ナルハ。この姿、この名前になってからの記憶はきっちり残ってるのが、助かったといえば助かった。
ダニエルのクライズ家とは領地が隣同士で、この辺の村はクライズ領とも農作物などの取引をしている。もちろん、グラントール家の許可あってだけど。だから、ここの村長はクライズ家とも親しいわけだ。
で、だ。
「とりあえず」
「うん」
お茶飲んで落ち着いたところで、お互いに相手をガン見する。
馬車が崖から落ちるまでは単なる『兄上』と『妹』だった、メイコール・グラントールとナルハ・グラントール。
だがしかし、『思い出した』ことで影響を受けたその中身は。
「水上鳴霞、でいいんだよな? メイコール兄上」
「間違いなく。その名前がするっと出てくるおにーちゃんは当然、水上鳴火おにーちゃんだよね」
「正解」
この世界で『妹』である俺……ナルハは、前世では『兄』水上鳴火。なお一人称に俺が出てきたのは鳴火の影響で、ナルハとしてはわたし、である。
この世界で『兄上』であるメイコールは、前世では『妹』水上鳴霞。こっちは前世も今も、一人称は私。
「……なんで前と今で立場が逆なんだ……」
俺が頭を抱えこんでしまっても、これは許されるよな?
せめてさー、前世と今で性別が一緒とか、上下関係が一緒とか、どっちかでも一致してれば何とかなったんだろうけど!
で、俺はこうなのにメイコール兄上は平然としてるんだよなあ。いや、たしかに鳴霞でも平気な顔してるだろうけど。こいつは前世からそういうやつだった……というか。
「いやまあ、私はブラコンがシスコンに変わっただけだし特に問題は」
「それはそれで問題だ!」
そう、ここだ。
前世の鳴霞は何をどう間違えたのか、この俺に対してブラコンだったわけである。顔も中の下、成績普通、運動神経ちょっと鈍目のいまいちな馬鹿兄貴に対して。
まあ、メイコールがナルハに対してシスコンなのは分からんでもない。転生してきたときにおまけしてもらえたのか顔は中の上、成績ちょっといい感じ……運動神経は普通くらいだと推定される。ほら、いいとこのお嬢様なもんで運動とかあまりしないから。あと胸が少しおしとやか。……ふんだ。
「え、だって鳴火おにーちゃんもナルハも可愛いし」
「うわーお」
真顔でそんな事を言うな、ガワ兄貴の中身妹。ナルハはともかく、鳴火に向けて可愛いとかいうんじゃない。
鳴霞だろうがメイコールだろうが、どうやら俺に対する認識は同じもんらしい。いや、お前さんほんとーに鳴霞だわ。こっちの話、聞いちゃいるんだがほぼ右から左なあたりが。
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