#折合

海野しぃる

家族のように映る

 パソコンを前に持ち帰った仕事をため息交じりにこなしていると、ぴちゃぴちゃと足元で水音が這ってユーゴが近づいてくる。

 最初はフローリングやカーペットが汚れると思ったのだが、どういった仕組みか彼は自分の身体の痕跡を残さないし、むしろ埃や虫の亡骸などを捕まえて完全に消化してしまうので掃除をするのに丁度良い。

 それが分かってから私は彼が家の中で擬態を解くことを許可している。


「カナエ! カナエ!」


 甲高い少年の声。ユーゴが声帯を作ったのだ。

 人懐っこい声を上げて、ユーゴが私の右のふくらはぎに絡みついてきてゆっくりと登ってくる。ひんやりとしていて、案外マッサージには丁度良い。


「もう一時間もずっとそのままじゃん。少し休んだら?」

「……そう? 分かった」


 その返事に答えてテーブルの下から顔を出したのは10歳前後の少年。黒い髪はサラサラ。栗色の瞳はキラキラ。いわゆるショタっ子というやつだ。私が喜ぶと知っているから、ユーゴはこの姿に擬態する。


「カナエ、今日は何の仕事を持ち帰ったの?」

「担当作家さんからのメールチェックと、新作候補のチェック」

「ふぅん……お疲れ様」


 ユーゴは判断をしない。ただ肯定してくれる。

 私はユーゴを持ち上げると、自分の膝の上に乗せる。

 サラサラした髪と髪の間のつむじに鼻を当てて思い切り息を吸い込むと、例の青く清淨な少年臭がして、胸の奥のほうがじわりと温まっていく。


「軽いね、ユーゴ」

「重いほうが良い?」

「いいよ、軽いままでいて。ずっと軽くていいから」


 そういえばお腹が減った。晩飯も食べずに仕事にそのまま入っていたからか。

 ユーゴの手をとって、彼の指先を唇に当てる。

 甘い。

 とても甘くて、しかも労働によって頭の中にかかるもやのような疲労感をゆっくりと晴らしていってくれる。


「ちゃんと、ごはん、食べなきゃ駄目だよ」

「今日はあと三冊ぐらい本を読みたいのよね」

「明日はお休みでしょう? お父さんお母さんの家に挨拶に行くんじゃないの?」

「そうそう、だから仕事するって気分にもなれないと思って。作ってくれる?」

「……うん、いいよ。冷蔵庫にあるもので適当にしておくから」


 そう言うとユーゴはお腹から小さなユーゴを生み出して、キッチンへと向かわせる。小さなユーゴは擬態機能が無いのでそれはまあそれなりに名状しがたい姿なのだが、まあ料理をする機能くらいはあるのだ。

 ユーゴは、偉い。


     *


 翌日、午後三時。実家への挨拶を終えた私は、愛車の助手席にユーゴを乗せて、首都高速をそこそこ軽快に飛ばしていた。


「大人の姿は疲れるよ」


 普段と違う、快活な青年の声。外見年齢も二十代中盤くらい。会社の後輩で、結婚を前提に付き合っているという設定で父母に引き合わせた。


「もうちょっとだけ我慢して? 姿が変わったのを見られると大変なの」

「人間は擬態できないんだもんね。不便だよね」

「そうね」

「カナエは偉いよ。すごいストレスだったんでしょう?」

「…………」

「ごめんね。勝手に気持ちを感じ取っちゃった」


 別に怒ってはいない。むしろ心地が良かった。

 必要に応じて愛玩動物になり、家事の代行をしてくれて、婚期をせっつく親への言い訳にまで付き合ってくれる。私のコレクションである本を驚くべき速度で読破しているし、インターネットも使いこなすし、偶にお小遣いを与えてやれば自分なりに知識欲を追求した上で私にお花まで買ってきてくれる。

 猫よりも良い。恋人よりも良い。子供よりも良い。親よりも良い。

 ユーゴはそのどれでもない訳だが。


「良いんだよ。心配してくれたんでしょう?」


 笑っちゃいたいくらい優しい言葉が出る。


「なんで笑ってるの?」

「ユーゴが可愛いからよ」

「ああ、嬉しいんだ!」


 ユーゴの表情がほころぶ。それが本当に喜んでいるのかは分からないが、私は確かに嬉しい。


「そう、嬉しい。私は嬉しい」

「前に教えてもらったのと同じだ」

「よくできました」


 彼が嬉しいのかは正直分からない。けどまあどうでもいい。分かるわけのないことに対して私の人生の時間という限られたリソースを使用することはできない。無駄はよくない。私は私のやりたいことの為に“社会的に望ましい普通の女性”を擬態しなくてはいけない。そのために彼が必要だ。

 勿論ユーゴが嬉しいならば、私も彼に恩返しができていることになり、とても嬉しいけれど。


「そうね、今日はどこか寄って帰る?」

「温泉!」

「温泉は今から一緒に入れる場所が無いから難しいなあ」

「んん……じゃあまた今度で良いよ」


 頭を撫でようとして普段より背が高いことに気がつく。


「とりあえず、ショッピングモールに寄ろうか。そこならこっそり元の姿に戻ってもばれないしさ」

「うん。僕、あそこのフライドポテト、大好き」


 幼い笑みを浮かべるユーゴは、やっぱり私のユーゴだった。


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