俺は大したやつじゃないが、それでも誰かを助けたい。――3

 俺たちは妖精郷を目指し、アマツの森をひた走っていた。


「おかしいですね」


 不意に、併走するミアが呟く。


「どうした、ミア?」

「アマツの森には王国騎士団が派遣されているのですよね? ですが、それにしては物音が少なすぎるんです」


 耳をピコピコさせるミアの指摘を受け、俺は怪訝に思った。


 王国騎士団は魔公を討伐するために派遣された。ならば、装備品が鳴らす音や、話し声、戦闘による剣戟音けんげきおん、魔法の炸裂音などがするはずだ。


 それなのに、ミアの鋭敏な聴覚をもってしても、それらの音を捉えることができないのは、たしかにおかしい。


 俺が思案していると、クゥが鼻をヒクつかせ、顔付きを険しいものにする。


「ご主人さま、臭いがする」

「モンスターが近づいているのか?」


 尋ねると、クゥは首を横に振り、固い声で答えた。


「これは血の臭いだよ」


 俺はギョッとした。


 冷や汗が頬を伝う。


 クゥが感じた『血の臭い』は、おそらく魔公か王国騎士団のものだ。そしてミアが言うには、王国騎士団が起こしたものとおぼしき音は、聞こえないらしい。


 このふたつの情報から考えられる状況は……


「急ごう」


 胸騒ぎを覚え、俺は三人に声をかける。


 三人はうなずき、走る速度を上げた。


 ひどくイヤな予感がする。


 推測が外れてくれるよう祈りながら、俺たちは無言で走り続けた。




     ○  ○  ○




 妖精郷付近まで来た俺たちは、愕然と立ち尽くしていた。


 草むした地面に倒れる騎士たち。

 木々を赤く染める鮮血。

 か細く聞こえるうめき声。

 むせ返るような死の臭い。


 俺の推測は当たってしまった。


 王国騎士団は、魔公の討伐に失敗し、返り討ちにされたんだ。


「ぐ……ぅ……っ」


 吐き気に襲われ、俺は咄嗟とっさに口元を覆った。


「全滅してるみたいだね」

「ええ。絶命している方も、少なくありません」

「ひどい……」


 三人も不快そうに顔をしかめている。


 正直、信じがたい光景だ。ブルート王国が誇る精鋭軍隊、魔人すら討ち取るエリート集団が敗れるなんて。


 魔公の底知れなさに、背筋が寒くなった。


「シルバ!」


 俺が戦慄に震えていると、聞き覚えのある声がした。


 うつむけていた顔を上げると、木陰からフォルが姿を見せる。


「無事だったのか、フォル!」


 安堵する俺は、しかし、フォルの蒼白な顔色を目にして、再び緊張を得た。


 フォルが俺の胸に飛びこんでくる。


 フォルの体はガタガタと震えていた。


「なにがあったんだ?」

「仲間たちが魔公に捕まったの」


 涙声混じりのフォルの答えに、俺は絶句した。


「魔公の目的は妖精郷への侵入だったみたいで、そのために妖精たちを捕らえたの」

「妖精たちを脅して、霧の結界を抜けるために?」


 フォルが弱々しくうなずく。


「それじゃあ、ニアヴは!?」

「わからない……わたしは必死で逃げてきたから、妖精郷がどうなっているかは、なにもわからないわ……」


 俺はギリリ、と歯をきしらせた。


 魔公は間違いなくニアヴに接触するはずだ。そして魔公は、妖精を脅して妖精郷に侵入した。目的を達成するために、手段は選ばないだろう。


 ニアヴは魔公の企みに巻きこまれた。このままでは彼女が危ない!


「シルバ……あなたたちは、妖精たちの恩人よ」


 ニアヴの身を案じていると、フォルが悲痛に歪んだ顔で俺を見上げる。


「あなたたちに迷惑はかけたくない。けど、わたしたちが頼れるのは、あなたたちしかいないの」


 涙に濡れた瞳を躊躇とまどいに揺らしながら、フォルが懇願した。


「お願い……もう一度、妖精郷を救って……!!」


 俺は、すぐには答えられなかった。


 魔公は、王国騎士団を壊滅させるほど強大だ。俺には神獣たちがついているけど、勝てる保証はどこにもない。


 間違いなく死闘になるだろう。重い傷を負うかもしれないし、命を落とすかもわからない。


 それに、危険なのは俺だけじゃない。クゥを、ミアを、ピピを、この戦いで失うかもしれないんだ。


 ――妖精郷なんて放っておけよ。妖精たちより我が身のほうが大事だろう? 逃げてしまえ。そこまでしてやる義理はないじゃないか。


 俺の耳元で、弱虫の俺がささやく。


 心音がうるさい。呼吸が苦しい。膝がガクガク震え、手のひらは汗でびっしょりだ。


 それでも俺は、歯を食いしばってこらえた。


 俺は、フォルを助けたときのことを思い出す。




 ――ご主人さまらしいね。

 ――ええ。無関係にもかかわらず、なんの迷いもなく決断しましたね。

 ――ん。パパは、こうじゃないと。




 三人はそう言って、誇らしげに笑った。


 そうだ。みんなが求めているシルバおれは、困っているひとを絶対に見捨てない。ここで逃げ出すようなやつじゃない。


 俺は、恐怖に負けそうな自分を奮い立たせる。


 強くなろうと決めたじゃないか。みんなに相応ふさわしいあるじになると決めたじゃないか。みんなは、俺についていくと約束してくれたじゃないか。


 だから、逃げない。

 だから、助ける。

 たとえ相手が魔公でも。


 俺はフォルに答える。


「わかった。妖精郷に案内してくれ」

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