前世も現世も挫折人生だが、慕ってくれるひとがいたらしい。――5

「ぎゃあぁあああああああああああああああああああああああっ!!」


 ダビッドが血相けっそうを変えて絶叫する。


 目をくダビッドの膝が抜ける。しかし、彼の膝が床につくことはなかった。

 それより速く、ダビッドの巨体が持ち上げられ、半円の弧を描いて投げ飛ばされたからだ。


 ダビッドが床に叩きつけられ、地響きが起きる。


「ごあぁああぁぁ……っ!!」


 背中を強打したダビッドが苦悶にうめく。


 ダビッドの顔は脂汗にまみれ、痛めた右手首を押さえる左手は、ブルブルと震えていた。


「謝って」

「ひぃっ!!」


 身悶みもだえするダビッドを、クゥが奴隷をさげすむ帝王のような眼差しで見下ろす。


 クゥの声色は心臓が凍てつきそうなほど冷たく、その迫力に、ダビッドは引きつった悲鳴を漏らした。


 ロビーも受付も、シン、と静まり返っている。


 ちょっとでも声を出したら細切こまぎれにされるんじゃないか? そう思わせるほどの殺気が、クゥからほとばしっていた。


「ご主人さまに謝って」

「おおお俺がなぜ謝らないといけねぇんだよ!! ゴミはゴミに違いねぇだろおがっ!!」


 譲れないプライドがあるのか、ダビッドが顔面を蒼白にしながらも言い返す。


 しかし、その反論はクゥの神経を逆撫さかなでするだけだったらしい。


 ガーネットの瞳が憤怒ふんぬに染まる。クゥの体が膨れ上がり、漆黒の毛並みがザワザワと広がっていった。


 絶句するダビッドに向けて、神獣形態になったクゥが前足を振り下ろす。


 ズドン!!


 爆音がとどろき、木製の床が端微塵ぱみじんに砕かれた。


「もう一度だけ言うよ?」


 頭のすぐ横を踏み抜かれてガチガチと歯を鳴らすダビッドに、クゥが最後通告を突きつける。


「ご主人さまに謝って」


 牙をくクゥは、いまにもダビッドを噛み殺しそうだ。


 呆然としていた俺は我に返り、慌ててクゥをなだめる。


「おおお落ち着いて、クゥ! そこまでしなくていいから!」

「でも、ご主人さま? こいつ、ご主人さまをバカにしたんだよ? 殺されても文句言えないよね?」


 ダビッドが「ひ、ひぃっ!!」と、おびえる子どものように全身をガタガタ震えさせた。


「いやいやいや、殺すのはマズいって! 俺は怒ってないから! クゥが充分過ぎるほどやり返してくれたから! だから、もう許してあげよう?」

「……ご主人さまがそう言うなら」


 渋々といった様子で、クゥが人間形態に戻った。


 俺はホッと胸を撫で下ろす。


 前世で保護したとき、クゥは殺処分される寸前だった。その所為せいなのか、クゥには人間を敵視しているふしがあり、俺以外に決して懐こうとしなかったんだ。


 クゥが激昂げきこうしたのは、俺をバカにされたことと、人間不信が相まったからなんだろう。


 床に転がったままのダビッドを、クゥが射殺いころすような目で睨みつける。


「ご主人さまに感謝するんだよ?」

「ススススイマセンでしたあっ!!」


 どうやらダビッドのプライドは粉々に砕け散ったようだ。それまでの威勢いせいが嘘のように萎縮いしゅくしている。


「あの犬人族の子、ダビッドを一瞬でぶちのめしやがった!」

「信じられねぇ……ダビッドはAランク間近まぢかの実力者だぞ?」

「つうか、あの子、フェンリルじゃないか?」

「んなわけあるか! 神獣が人族に従うなんて聞いたことねぇぞ!?」

「けど、あいつ『使役』スキル持ちだろ? それにあの首輪、『使役』が成功したあかしじゃないか?」

「それこそあり得ないわよ! 神獣を従えるスキルがFランクなわけないでしょ!?」

「じゃ、じゃあ、あいつは一体何者なんだよ!?」


 ロビーの冒険者たちは騒然としていた。


 仕方ないだろう。どこの誰ともしれない一般人が、実力者としょうされる冒険者を叩きのめしたんだから。


 しかもその子は神獣で、Fランクスキル保有者(つまり俺)に『使役』されている。


 信じられないよな。俺自身、いまだに信じ切れないし。


「あ、あのー、こんなときになんですが、床の弁償とかしてもらっていいですかねー、なんて」


 受付カウンターに隠れていたレティさんが、おそるおそる手を挙げた。


 俺は「うっ」とうめく。


 ケンカを売られたとはいえ、床を壊したのは俺たちだからなあ。けど、弁償したら、冒険者登録に必要なお金が足りなくなるんじゃ――


「そんなの、そこのひとに頼んでよ」


 内心で頭を抱えていると、クゥが面倒くさそうにダビッドを指差した。


「あのひとが突っかかってこなかったら、ボクが怒ることもなかったんだよ? 悪いのは全部あのひとだよね?」

「おおお俺が払うんすか!?」


 いまだに起き上がれないダビッドが、急に指名されてギョッとしている。クゥに怯えているのか、完全にした口調だった。


 クゥが氷点下の眼差しをダビッドに向ける。


「それとも肉片になる?」

「喜んで弁償させていただきますぅうううううううううううううううううっ!!」


 俺をバカにしていたときの威圧感は、欠片かけらも残っていなかった。


 号泣しながら許しをうダビッドからクゥが視線をはずす。もはや眼中にないといわんばかりの態度だった。


 頬を引きつらせる俺に、クゥがニパッと笑いかける。


「一件落着だね♪」

「そ、そうだね」


 俺は無理矢理笑顔を作った。

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