第70話 スラム その1
エイラートがすっかり春めいて来た頃、グレイとリズの2人は日課の森でのスキル上げをこなして夕刻の市内をブラブラしていた。
リズの買い物に付き合ってマーケットを見て周り、そうして家に帰る道を2人並んで歩いていると隣を歩いていたリズが、
「グレイに用事みたいね」
「そうだな。悪いけど先に帰っててくれるかい?」
「夕ご飯の支度しとくわ」
そう言うとリズは大通りを自分の家に向かって歩いていく。その背中を見ながらグレイは通りから脇道に入って人が少ない路地で足を止めると、
「殺気は感じなかったが、俺に用事なんだろう?」
グレイの声で路地にある一軒の軒下から1人の男が姿を現した。
平凡な顔に平凡な服装、周囲に完全に溶け込んでいて、すれ違っても印象に残らない男がゆっくりグレイに近づいてきて、
「お手を煩わさせて申し訳ありません。私らの様なモンが通りでお二人に声をおかけすることは出来ませんので」
「スラムの黒社会のメンバーだな」
グレイの言葉に頷く男。そうして
「少しの時間だけお願い出来ませんでしょうか」
グレイが頷くと路地を歩き始める男。その男について路地をスラムの方に歩いていくグレイ。
スラム街に入ると一段と道は狭くなりボロ屋が立ち並ぶ路地を奥に進んでいく。
ボロ屋の窓からは家の中に住民がいるのが見えているが事前に話が通っているのか路地には誰もおらず、そのまま細い路地を進んでいき、古い一軒家の前に着いた。
「中でお待ちです」
男がそう言うと扉を開けて、開けられたドアからグレイが中に入る。
(外見はボロ屋だが中は相当手直ししているな。なかなか堅牢な作りだ)
そう思って家の中を見て歩いているグレイ。
部屋の奥に案内されると、部屋の中から勝手に扉が開いて、中から扉を開けた男が
「どうぞ」
とだけいい、グレイを部屋に入れ、自分は入れ替わりに部屋から出ていった。
中に入ると、そこは大きな部屋で中央に大きいテーブルがあり、その向こう側に3人の男が座っていたが、グレイを見ると3人とも立ち上がり、中央に座っている男がグレイを見ながら、
「わざわざ来てもらって申し訳ない。こちらから出向くわけにはいかない事情を察してもらいたい」
「スラムの顔役3人のお揃いとはな」
勧められるまま3人の座っている前に座るグレイ。
「元々は4人だったんだがな」
グレイから見て右の男が言うと、そちらに顔を向けて、
「何ならこの場で3人から2人にしてやってもこっちはいいんだぜ、ジミーさん」
少し殺気を出して言うと、それだけで顔役3人の顔が青ざめる。
「す、すまない、今のは失言だ」
右の男、顔役の1人、ジミーが青ざめた顔で弁解するのを冷めた目で見つめるグレイ。正面の男がグレイを見ながら、
「俺からも謝る。別に俺たちはあんたに喧嘩を売ろうとしてるわけじゃないんだ」
「ブレッド、ジミー 、ソロ。エイラートの裏社会を仕切ってる3つの組の代表者様が勢揃いして俺に何の用なんだ?」
グレイはエイラートに住んで4年以上経つ。ギルドはもちろん警備隊、辺境騎士団とも顔見知りが多く4年の間にエイラートの表の顔はもちろん裏の黒社会についても彼らからや独自で知識や情報を得ていた。
どの街でも光もあれば陰もある。黒社会はその陰の部分に存在している。グレイ自身はこういう黒社会も必要悪だと理解できる程の経験もあり、いわゆる青臭い理想論は持っていなかった。
殺気を収めたグレイに向かって中央に座っているブレッドが口を開く。
「あんたも知ってる通りエイラートの裏社会は俺たち3人で仕切ってる。幸い3人の組の間には大きなトラブルもなくてな、まぁ上手くやってると言えるだろう」
黙ってブレッドの話を聞くグレイ。
「ここ辺境領の領主が変わって、新しく来たのが元勇者のエニスだ。そしてエニス以外にあんたと奥さんのリズ、学院にはケリーと4人の元勇者がエイラートに住んでいる」
何を言い出すのかと口を挟まずにいると、
「つまりだ、あんたら4人が本気をだしたら俺たちはあっという間にエイラートから追い出されてしまう」
そこまでブレッドが言うと、今まで黙っていたソロが後をついで、
「俺たちは今まで”こと”を治めるのに必要だと思えば相手が衛兵でも警備兵であっても暴力を行使してきた。ただあんたら4人は別格だ。俺たちが束になってもかなわない。この前の人攫いをやったギズモの二の舞になるのは明らかだ」
「俺たちに向かってくるつもりだったのか?」
グレイが言うと即座に全員首を横に振り、
「あんたがこの街にやってきた時点でその選択肢はなかった。さらに3人も元勇者が増えた日にはもうどうしようもねぇ」
ソロが言う。
「元顔役の1人だったギズモの野郎が領主の次男坊に騙されて人攫いに加担してあんたにぶちのめされた件については俺たち3人には全く知らされてなかった。俺たちはあの時点で既にどうやってもあんたには勝てないってわかってたからな。あの件ももし事前に知ってたら絶対に奴には次男坊に加担させなかった」
再び口を開いたブレッド。
「あんた達には絶対に勝てない。かと言ってこのエイラートから逃げるのは考えなかった。グレイはわかるだろうが、スラムの連中は毎日食う金を稼ぐのに必死だ。その仕事のいくつかは俺たちが手配している。手配の元締めが消えると奴らはその日から食い扶持に困るからな」
確かにエイラートでの市内のどぶさらいやゴミの収集など人が嫌がる仕事の多くは役所から依頼を受けた目の前にいる3人が作った会社が受けて、それをスラムの連中に流しているという話は聞いていた。
そこで椅子に座り直したブレッドはこれからが本音の話だと前置きして、
「あんたから領主に話をつけてもらいたい。スラムを再開発してもらいたいんだ」
思いもよらなかった提案に流石のグレイもびっくりして目を吊り上げると、ブレッドが話を続ける。
「スラムには俺たちの様に世間からドロップアウトした連中もいるが、それとは別に職場で喧嘩をして職をなくしたり地方の村からエイラートにやってきて成功せずにスラムに住みついてる奴も多くいる。
そして今はそいつらの子供も多く住んでる。ほとんどの子供は教育を受けるチャンスもなく日々道に落ちている金を拾ったり物乞いをして生きてるのが現状だ。
この地区を再開発して子供にはちゃんと教育や医療を受けさせてもらいたい。そしてできれば職を与えてもらいたいんだ」
「どうしたんだ?急に聖人君子の様な発言をして」
グレイが言うと、3人はお互いに顔を見合わせてから、ブレッドが
「どうやっても勝てない相手がいるならそいつと喧嘩するより組んだ方がずっと良いってことに気づいたんだよ」
その言葉を聞いてニヤリとするグレイ。
「なるほど。確かに子供には罪はないな。それに再開発してもあんたらが仕事の元請けになるのは変わらない。エイラートの治安がそれでよくなるなら悪い話じゃないな、裏がなければだがな」
グレイの視線と言葉に大きく頷く3人。
「それで、再開発の話ってのはここの住民は納得するのか?」
グレイの質問にはソロが、
「再開発を教育や医療をセットにして提案してもらえればあとは俺たちが住民を納得させる」
どうやら叩きのめされて放り出される前にグレイらと和平を結びたい様だ。このあたりは流石に裏社会を生きのびてきた連中だ。物事の先を読むのに長けている。
こいつらを追い出しても他の裏社会の奴らがやってくる。そいつらが好戦的な奴らだったら迷惑を被るのは普通の市民だ。
それ位ならまだエイラートの事情を知っている今の顔役と手締めをしておいた方が市民には迷惑はかからない。
グレイは頭の中で話を整理すると、
「わかった。俺から領主のエニスに話をしよう。おそらくエニスの意を受けた役人が窓口になると思う。今日の話と後日の役人経由の話に食い違いがあったときは…」
グレイがそこまで言うと、ブレッドが慌てて、
「大丈夫だ。仮に食い違いがあったら俺たち3人を煮るなり焼くなり好きにしてくれ」
スラムの家を後にしたグレイが自宅に帰ると、食事の用意をしていたリズと食事を取りながらスラム街での話をし、食事の後、オーブでエニスを呼び出して明日館に行くことにした。
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