第69話 春

 エイラートに本格的な春がやってきた。

冬の間に間引きできなかった魔獣退治や他都市へ移動する商人らの護衛クエストなど春なると冒険者は多忙になる。


 冒険者が多忙になるとグレイとリズの酒場は逆に客足が落ちる。


 多くの冒険者達は毎日クエストをし、その報告と次のクエストの打ち合わせでギルドの酒場を使い翌日に備えて早めに就寝する者が多いからだ。護衛でエイラートの街を離れている者もいる。


 もとよりグレイは酒場で儲ける気はさらさら無いので客が多いとか少ないとかは全く気にしていなかった。当人達もしょっちゅう休業しているくらいだ。


 この日は比較的早い時間にやってきた女性4人組のランクBのパーティの冒険者達がBARのカウンターに座っているだけだった。


 連続で護衛クエストをこなし、明日は休養日らしい。リズが空いたグラスにおかわりを注ぎ、


「この時期は稼ぎ時でしょう?」


「魔獣退治、護衛クエストと多いですね」


 1人が言うと、隣の女性の冒険者も、


「護衛クエストも、エイラートから出る時とエイラートに向かう時の2度必ずあるから美味しいのよね」


 その言葉にうんうんと頷く他の3人。


「ネタニアに向かう道はどうなってる?魔獣の間引きは終わってるのかい?」


 グレイが聞くと、


「高ランクの人たちが率先して街道確保をしてくれたので、ほとんど出なくなりました」


「そりゃよかった。商人達も安心だろう。そっちもリスクが減っていいよな」


「ええ。それで立て続けに護衛クエストを受けていたので明日は休養日にしたんです」

 

 冒険者の言葉に頷くグレイ、


「いい事だ。休むのも仕事だからな。しっかり休養して体力や魔力を戻しておかないと事故がおきやすい」


 そうしてその後しばらくお酒を飲んでいた4人組がBARから出ていくと、誰もいなくなった店内。グラスを片付けながら、


「もう今日はお客さん来ないかもね?」


「そうだな。皆忙しい時期だし。俺たちも早めに店じまいするか」


 グレイとリズがそう話をしていると、BARの扉が開いてケリーが入ってきた。入ってくるなり


「あら、誰もいないの?」


 そう言ってカウンターの中央に腰掛けるケリー。


「さっき4人組が帰ったところ。皆クエストで忙しいみたい」


 カウンターに座ったケリーにリズが果実汁の入ったグラスを置くと、そのグラスに口をつけ、


「なるほど。春は稼ぎ時って訳ね」


「そういうこと。ケリー、学院の方はどうなんだい?」


「新入生の受け入れ準備でバタバタしてるけどだいぶ落ち着いたわ」


「聞いた話だけど、今年は結構優秀な生徒さん達が集まってるって話じゃない」


 ケリー相手だとリズもグレイも気を使わずに普段の調子で話しかける。もちろんケリーも2人には全く気を使っていない。


 グレイはこれは客と店員の距離感じゃないな、まぁでもケリーだしと思っている。


 ケリーはリズが置いたジュースを飲み干すと、


「試験結果だけみると優秀よ。ただ学院でそこからどれだけ伸びるかなんて誰もわからない。当人がどれだけ努力するかよね」


「確かに…」


「グレイみたいにさ、言わなくても毎日鍛錬する様な生徒ならこっちも楽なんだけど」


 言われたグレイはケリーのジュースを継ぎ足し、


「死にかけると自分の実力不足が分かるんだけどな。そうでないと正直難しいと思うぜ」


「グレイってそんなに死にかけてたっけ?」


 ケリーがグレイを見て言うと、


「勇者パーティに入る前、賢者ソロの時の話だよ。あの頃は無茶して何度も死にかけてた」


「なるほど。何度も痛い目にあって学習したのね」


「そういうこと」


 そういえば…とリズが自分用のジュースを作って一口飲むと、


「私たちの勇者パーティって絶体絶命のピンチってあったかしら?」


 リズの問いに3人で顔を合わせ、


「すぐには思い出せないわね。ということは無かったってこと?」


 ケリーがグレイを見ていい、リズもどうなの?という表情でグレイを見る。


 視線を向けられたグレイはしばらく考えててから、


「俺が参加してからだと、絶体絶命ってのは無かったと思う。苦労はしたけど命の危険を感じたのは無かったな」


「どうしてかしら?」


 グレイはリズの方に顔を向けると、


「リズ、それはだな。エニスがいたからだよ」


「グレイじゃなくて?」


「うん。俺じゃない。確かに作戦を考えてたのは俺だけど。その作戦もエニスっていう勇者、つまり化け物がいたから成立する作戦ばっかりだった」


「エニスか…確かに普段そばにいるから当たり前と思ってたけど、勇者なのよね、彼」


 ケリーが納得した様に言う。


「あいつの攻撃力、剣の力やスピードは尋常じゃない。普通なら出来ない攻撃をしたり魔獣や魔人の攻撃をあっさり躱すなんて勇者のエニスだからできたんだよ」


 グレイはそう言って過去の戦闘を思い出していた。

リズとケリーも黙っているがおそらくグレイと同じく勇者パーティ時代のエニスを思い出しているんだろうとグレイは思っていた。


 しばらくの沈黙のあと、ケリーが、


「最近だとこの前のダンジョンボスのベヒーモス討伐とか、エニスならではよね」


「グレイもあの後でマリアに言ってたよね、普通あのタイミングでベヒーモスのお腹を何度も切れないって」


 ケリーの言葉にリズも続け、それを聞いていたグレイは大きく頷く。


「やっぱりあいつはすごいんだよ。勇者だから当たり前っちゃあ当たり前かもしれないけどさ。それでもあの戦闘力は普通は無いな」


「逆に言うと、それくらいの能力がないと魔王なんて到底倒せないか…」


 リズが呟く。


「そういうことだ。それほど勇者ってのは卓越した能力を持っているんだ。もちろん、クレインやケリー、リズ、そして俺もパーティの一員としてかなりの能力を発揮したと思うけどさ。勇者がいなかったら魔王は倒せてなかったよ」


「勇者って完全に対魔王戦仕様になってるのね」


 ケリーの言葉に頷くグレイ。


「だから普段の戦いでは死にかける程苦戦するってことが無かったんだ」


 ケリーはグレイを見て


「学院の生徒に魔王戦の話してもピンとこないってことになるのかな?」


「恐らくな。エニスの凄さは実際に目で見ないとわからない。言葉だけだと”凄い”とかで終わってしまうだろうな」


 グレイの言葉に顔をカウンターに向けて少し考えているケリー。


「じゃあどうすれば良いかしら?」


 顔を上げて再びグレイを見る。


「ケリーがいるじゃないか。その精霊魔法を見せて日々訓練してるって説明するのが一番いいんじゃないの?」


「そうね。自分の魔法との差が歴然とあると分かると生徒さんも納得するわよね」


 リズもグレイの言葉に同意する。2人の言葉を聞いたケリーは、


「そっか。じゃあ私とグレイとリズの魔法を見せちゃえばいいのよね。今年もよろしくね」


「結局今年も講師をやるのかよ」


グレイが心底嫌そうに言う。


「当たり前でしょ?お二人さんは当学院の”売り”なんだからさ。止めるなんて言ったら今年入った学生さん達が怒ってこの酒場に乗り込んでくるわよ」


 ケリーがそう言うとリズが、


「ケリーの頼みだし、協力してあげようよ」


 とグレイに言う。


「わかったよ。学生に酒場に来られても困るしな」


 とグレイとリズは引き続き月に1度講師として学院で生徒に魔法を教えることになった。


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