それから一週間が経ち、あっという間に一ヶ月、そして真希が店に姿を見せなくなってから、まもなく三ヶ月が過ぎようとしていた。

「最近あの子、どうしたのかね。ここ二ヶ月くらい全然店に来ないけど」

 菜穂は、焼きあがったパンを棚に置いたすのこの上に並べながら、窓辺に張り付く棗にチラッと視線を送る。

「二ヶ月なんてもんじゃない、三ヶ月だよ……。真希ちゃんが来なくなってから三ヶ月……」

「うちのパンに飽きたか、もしくは新しいお気に入りのパン屋でも見つけたかね」

 何気なく放った台詞に、棗はショックを隠しきれない表情で振り返る。

 そんな兄の顔をしばらく見つめてから、菜穂は「なんかあったの?」と問いかけた。

 実は心当たりがないでもない棗だが、それを菜穂に話す気はなれなくて、窓から離れてふらりふらりと持ち場に戻る。

 棗のないでもない心当たりの中で、真希は特別嫌がっている様子はなかったが、挨拶と呼ぶには流石に無理があるタイミングのあのハグを、本当はどう思っていたのかはわからない。

 告白しようと意気込んで口にした台詞も、その時は意味がわからずとも、家に帰ってじっくりと考えたら意味がわかったかもしれないし。

 もしそうだとしたら、あそこは男らしく最後まで言い切るべきだったと後悔して、棗は頭を抱えた。

「……何があったかは知らないけどさ、そんなに落ち込まなくたって、そのうちひょっこり現れるよ。……たぶん」

 理由はわからずともその様子を見れば兄が落ち込んでいるのはわかるので、菜穂は励ますように声をかける。

 聞こえているのかいないのか、棗はふらりふらりとレジカウンターを回り込み、力なくドアを開けて持ち場へと戻っていく。

 棗の姿が視界から消えたところで菜穂がため息をつくと、カランカランと小気味いい音を立てて、扉が開いた。

「いらっしゃいま――……あっ」

「おはようございます、菜穂さん!それから、お久しぶりです」

 開店間もない店内に、軽やかな足取りで現れたのは、眼鏡を押し上げながら笑う懐かしい顔。

「真希、あんた……元気そう、だね」

「はい!元気ですよ。菜穂さんも、お元気そうで何よりです」

 先程まで話題に上っていた張本人が、本当にひょっこり現れたことで、菜穂はしばらく唖然としたが、程なくしてハッと我に返った。

「真希、あんた!なんでそんなに元気なら三ヶ月も顔出さなかったの。あたしはともかく、棗なんてまるで廃人のようになっちゃって大変なんだからね」

 言い終えたところで、菜穂はスタスタと早足にレジカウンターの向こうに回り込むと、その奥にあるドアを勢いよく開け放った。

「棗!!」

 心なしか薄暗く感じる厨房で、棗はぼんやりと宙を見つめながら生地をこねている。

「棗ってば、帰ってこい!真希が来たよ」

 真希の名を聞いた途端ピタッと生地をこねていた手が止まり、ぼんやりと宙を見つめていた視線が、ゆっくりと菜穂を捉える。

「……真希、ちゃん?」

 ハッキリとこちらを向いた棗の問いかけに、菜穂は頷き返す。

「そうだよ、真希がき――ってちょっとこら!棗」

 こねかけの生地を乱暴に放り出して、大慌てて洗った手を腰に巻いたエプロンで拭きながら、棗は菜穂を押しのけて店内に飛び出していく。

「あっ、おはようございます、棗さん。あと、お久しぶりです」

「真希ちゃん……」

 ニッコリ笑う真希を見て、棗は呆然と立ち尽くす。

 いつもならば顔を見た瞬間に、勢いで挨拶に見せかけたハグを繰り出すところだが、今日は流石に出来なかった。

 そんな棗の後ろから顔を出した菜穂が、立ち尽くす兄に代わって口を開く。

「それで、体調崩してたわけでもないのに三ヶ月も音沙汰なしだった理由は?やっぱり、他にお気に入りのパン屋でも見つけたか」

 レジスターの横に手をついて問い詰め口調の菜穂に、真希は眼鏡を押し上げながら苦笑する。

「確かに、駅ビルに新しく入ったパン屋さんが美味しいって評判なので、機会があれば行ってみたいとは思っていましたけど、そんなんじゃないですよ。ただ、テスト期間だっただけです。私、あまり要領がよくないので、テストの前は時間をかけてみっちり勉強するんです。だから、テストが終わるまでは寄り道も我慢して、友達からの誘いも全部お断りしてたんですよ。でも、今日からはやっと解禁です!」

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