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別段抵抗することも、突然のことに驚くこともなかった。ただ、妙なタイミングの挨拶だなと思っただけ。
「あの雨の日、俺は客引きがてら何気なく声をかけただけだったのに、真希ちゃんはあれからずっと、タオルと雨宿りのお礼にってうちの店に通ってくれるようになったでしょ。そんな真希ちゃんが、いつの間にか俺の中で特別になってたんだ。……だから、このハグだって、本当は凄く特別なんだよ?」
棗が体を放したタイミングで、真希は顔を上げる。
ハグの衝撃でずれた眼鏡を直しながら、真希は嬉しそうに笑った。
「私、菜穂さんには常連さん認定されたんですけど、棗さんからはまだだったので凄く嬉しいです。これで晴れて、お二人公認の常連ですね。胸を張って、常連さんを名乗れます!」
「……えっと、あの……特別っていうのは、そういうことじゃなくてね。ていうか、真希ちゃんは既に常連さんだよ。胸を張っていいよ。でもね、俺が言いたいのはそういうことじゃなくて」
「常連さんの更に上ということですか!?」
目を見張る真希に、訂正の言葉を続けようとした棗だったが、嬉しそうな様子を見ていたら、今日こそはという気持ちが急速にしぼんでいくのを感じた。
でもせめてこれだけはと、棗は一旦閉じた口をもう一度開く。
「……いつか、真希ちゃんの中でも俺が特別な存在になったらいいなって思ってる。…………けど、そんな日は来るのかな……」
最後の台詞は、本当は心の中に留めておくだけで言うつもりはなかったのに、気が付いたら声に出てしまっていて、それが己の自信のなさを表しているようで、棗はちょっぴり情けない気持ちになった。
そんな棗の気持ちにちっとも気が付いていない真希は、項垂れる棗を見て首を傾げる。
「棗さん、どうかしました?」
こちらの方が上背があるので、自然と上目遣いになっている真希が可愛くて、もう一度引き寄せて抱きしめたい衝動にも駆られたが、グッと堪えて無理やりに口角を上げた。
「何でもないよ。さて、帰ろっか」
***
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