第40話 姦計

「さ、桜さん……」


 俺は思わず息をのむ。


 今のを見られた!?


 い、いや、俺にやましいことは何一つない。


 俺はゆず姉のことが好きでもなんでもないし、なによりいきなりされたから、俺じゃどうしようもなかったから、不可抗力なんだ。


 だから、俺は悪くないんだ!


「あ……」


 頭では色々と桜さんへ伝えるべき理由が浮かぶのに、どうしても俺の口から言葉が出ない。


 そうしているうちにも、桜さんの表情はどんどん沈んでいく。


 ち、違うんだ桜さん!

 俺は……俺はっ……!


 桜さんが俯きながら、玄関を飛び出した。


「っ!? まっ……待って……!」


 俺はなんとか引き留めようと桜さんに手を伸ばす。


 すると、桜さんはその手をすり抜け、俺へと抱き着いた。


 そして。


「ふう……ん……ちゅ……」


 いきなり俺にキスをした。


 桜さんが俺を強く抱きしめる。

 それこそ、絶対に離さないという意思を込めて。


 俺も桜さんを抱きしめ、求めるようにキスをした。


「れろ……ちゅぷ……は……」


 ようやく唇を離すと、桜さんの瞳には涙が浮かんでいた。


「だ、大丈夫……凛くんがあの人に無理矢理されたの、見てたから……」


 どうやら、桜さんは一部始終を最初から見ていたようだ。


 俺はそのことに安堵するとともに、強烈な罪悪感に襲われた。


「あ、あの、俺……ん!」


 絞り出すように声をだそうとすると、その前に桜さんが俺の唇をふさいだ。


「ふ……ん……ぷは……」


 桜さんが唇を離す。


「だけど……だけど、やだよお……たとえ凛くんにその気がなくても、こんなのやだあ……!」


 そう言って、とうとう桜さんの瞳から涙の粒がこぼれ落ちた。


「っ!? ………はん……ん……」


 俺はたまらなくなり、今度は俺の方から桜さんにキスをする。


 ゆず姉にされたキスを、桜さんのキスで上書きするように、浄化するように……。


「……っは……俺もいやだ。桜さん以外の女性とのキスなんて考えたくない。俺は桜さんが……桜さんだけがいいんだ。だから……塗りつぶしてよ……桜さんで、全部塗りつぶして……」

「ん……」


 そしてまた、桜さんを強く抱きしめ、キスをした。


 ◇


 どれくらい時間が経っただろう。


 あの後俺達は家の中へと戻り、抱き合ったままベッドの上にいた。


 ようやく桜さんの涙は止まり、今は俺の胸に顔をうずめている。


「桜さん……」


 俺は桜さんの髪を優しく撫でた。


 すると、桜さんは顔を上げ、覗き込むように俺の顔を見る。


「……うん、もう大丈夫……ごめんね?」

「ううん、何言ってるんだよ。悪いのは俺だ。俺が不用意に相手したから……」


 すると、桜さんにまたキスで口をふさがれた。


「ん……ちゅ……じゃ、もうどっちが悪いとかってのはやめよ?」

「うん……そうだね。だけど、これだけは信じて。俺はこれからもずっと、それこそ死ぬまで桜さんだけだから」

「うん……信じる。ボクも……ボクも凛くんだけだよ?」

「知ってる……」


 そして、もう一度キスしようとしたその時。


「ただいま~!」


 チッ、理香の奴帰ってきやがった。


「あはは……さすがに理香ちゃんにこんなとこ見られたらマズイね」

「くう……もう少し空気読んで遅めに帰ってくればいいのに……!」


 俺は拳を握りしめ、ワナワナと震えていると、そっと俺の手を桜さんの手が包んだ。

 そして、ニコリ、と微笑んだ。


 ああ……もうダメ。俺、完全に桜さんにハマってる。


「お兄! 桜さんいるんでしょ?」


 理香がバタン! と部屋の扉を勢いよく開けた。

 チクショウ、ノックくらいしろよ。


「こんにちは、理香ちゃん」

「やっほー桜さん!」


 キャイキャイはしゃぐ二人とは対照的に、扉の向こうにどうしていいか分からず、緊張した顔の女の子がいた。


「おーい理香、友達ほったらかしてどうすんだ」

「あ、いけね。そだ、結衣もおいでよ」

「え、ええ!?」


 そりゃ普通は驚くわな。


「理香ちゃんのお友達かな?」

「は、はい! 古川結衣っていいます!」

「ボクは北条桜、理香ちゃんのお兄さんの凛くんの、その、彼女だよ。よろしくね!」

「よ、よろしくお願いしましゅ!?」


 あ、舌噛んだ。


 でも、理香の友達に俺の彼女って自己紹介する桜さん……嬉しい。


「じゃ、これ以上二人の邪魔しちゃ悪いから、私達行くね」

「はよ行け」


 俺は理香を手で追い払うと、再び部屋の扉を閉めた。


「ホントに、理香にも困ったもんだ」

「あはは。さて、だいぶ中断しちゃったけど、勉強再会しよっか」


 え? まだやるの?


「あーっ! 元々勉強するのが目的だったんだから、そんな顔してもダメだよ!」


 桜さんが口を尖らせて怒っている。どうやら顔に出てたらしい。


「はあ……仕方ない、頑張るか……」

「そうそう! さ、もうちょっと頑張ったら、その、先週みたいに膝枕したげるから……」


 うん。俄然やる気出た。


「よし! 数学でも英語でも何でも来い!」

「あはは……」


 そうして俺達は夕方まで勉強に明け暮れ、その後はちゃんとご褒美に膝枕をしてもらった。


 はあ……幸せ。


 ◇


「お邪魔しました!」

「ええ、またいらっしゃい」


 仕事から帰ってきた母さんも、桜さんの見送りにリビングから出てきた。


「んじゃ、桜さん送って来るから」

「ちゃんと送るんだよ!」

「分かってるっての」

「あはは。それじゃ失礼します」

「じゃあね」


 そうして、俺と桜さんは駅に向かって、手をつないで歩いた。


「今日は色々あったね……」

「ああ……本当に……」


 そのうちの九十九パーセントはゆず姉の所為だけど。


「しかし、こんなこと言ったら失礼かもしれないけどさ、あんなの迷惑でしかない」

「…………………………」

「しかもさ、なんて言ったらいいか分からないけど、桜さんとは違うんだ。その……キスってさ、俺もその相手……桜さんへの想いを込めてするし、桜さんからも、その、俺への想いというか、そういうの感じるんだけど……」


 桜さんの握る手が強くなった。

 見ると、桜さんは頬を染めて俯いていた。


「だけどね、ゆず姉からはそういった感情が一切感じられなかったんだ。おかしいよね、自分からしておきながらさ」

「…………おかしい」

「うん、おかしい」

「違う、そうじゃなくて」


 そう言うと、桜さんは立ち止まって口元を押さえ、考え込んだ。


「……よく考えたら、違和感しかないよ。突然謝るために凛くんの家に来たことも、凛くんにキスしたことも」

「桜さん?」

「とにかく、明日学校に行ったら、注意したほうがいいかも」


 桜は真剣な表情で、俺の瞳をみつめた。


「……うん、そうだね。明日、できる限り固まって行動するようにしよう」

「うん。ボクも明日は昼休みだけじゃなく、ほかの休み時間も顔を出すようにするよ」


 俺と桜さんの中に、得も言われぬ不安が去来した。


 ◇


 そして次の日の朝。


 教室に入った俺に待ち受けていたのは。


「やられた……」


 クラスメイトから見せられた、俺とゆず姉がキスしている場面を収めたスマホ画像だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る