第35話 誓約

「ね、ねえ桜さん、そろそろ機嫌直して欲しいかなー、なんて……」

「…………………………」


 ダメだ、目も合わせてくれない。


 だ、だってしょうがないじゃん! いくら皐月でも、目の前で泣かれたらなだめすかすに決まってんじゃん!

 俺、悪くないよね? だよね!


「あ、そ、その、凛太郎は私のことなぐさめようと……」


 あ、皐月それダメ、逆効果。

 ああホラ、桜さんの頬がますます膨らんだ。つっつきたい。


「と、とにかく、桜さん今日も来てくれてありがとう。俺、嬉しいよ」

「…………………………ホントに?」


 お、少し食いついた。ここだ!


「ホントホント! 今日も朝からずっと桜さんのこと考えてて、ずっと待ちわびてたんだから!」

「そ、そう? えへへ……」


 うん、チョロイ。


「……で、アンタはあらためて凛くんに謝りに来た、ってことでいいんだよね?」

「う、うん……その、北条さんもごめんなさい……」


 そう言って、皐月はうなだれた。

 見ると、皐月の肩は震えていた。


「……はあ、凛くんが許したんなら、ボクから言うことは何もないよ。だけどね」


 そこで一拍置くと、桜さんはビシッと皐月を指差した。


「凛くんは、絶対に渡さないんだからね!」


 そう言い放った後、桜さんはニコッと微笑んだ。

 ああもう、本当に桜さんは……!


「ふあっ!?」

「桜さん……俺が桜さん以外の女の子に目移りする訳ないじゃないか。それと……いつも俺のこと気遣ってくれて、ありがとう……」


 俺は感極まって、桜さんを思い切り抱き締めた。


 だってそうだろ? 桜さんは俺の気持ちを汲んで、本当はもっと皐月に言いたいはずなのに我慢してくれて、飲み込んで、そして皐月を許してくれたんだ。


 こんなの、桜さんが魅力的すぎて、我慢できるわけないだろ!


「あ、あうう……凛くん……」

「あ、あのー……私、いるんだけど……」

「ふああああ!?」

「あ、そうだった」


 遠慮がちに皐月に指摘され、桜さんが俺の腕の中でもぞもぞしだした。

 名残惜しいけど、仕方ない。皐月が帰ったらゆっくり堪能することにしよう。


 俺は桜さんを解放すると、桜さんは顔を赤くしながらも残念そうな表情を浮かべた。


「ふう……何だか、お邪魔みたいだし、私、もう帰るね」

「あ、ちょっと待って」


 皐月は溜息を吐いて帰ろうとしたところで、桜さんが引き留めた。


「ね、ねえ凛くん……その、検査結果はどう、だった……?」

「え? ああ、打撲以外は問題なしだったから、明日には退院だよ」

「あ……そ、そっか」


 すると、桜さんも皐月も安堵し、瞳には涙を浮かべていた。

 やべ、早めに言っとくべきだった。


「あ、そ、それでね、学校に行くのは凛くんと合わせて明後日からにしてほしいんだ。それと、その日は凛くんとボクと一緒に登校してほしいんだけど」

「? どうして?」

「あ、うん。ちょっと、ね」


 皐月の問い掛けに、桜さんは言い淀んだ。

 けど。


「……いいよ。そんなことより、私にできることがあるなら何でも言ってほしい。その、罪滅ぼしになんないかもしれないけど……」


 皐月は少し視線を落とし、せわしなく指を動かしながらそんなことを言った。


 俺はこれまでの皐月との態度の違いに、少し困惑した。だって、十年近い付き合いでこんな皐月見たの、初めてだもんよ。


「そりゃもちろんだよ。迷惑かけられた以上、思いっきりこき使ってやるんだから!」

「……あはは、お手柔らかに……」


 桜さんが拳を握ってフンス、と意気込むと、そんな様子を見て皐月は若干引いていた。

 俺? 俺はそんな仕草をする桜さんがカワユスよ?


「じゃ、用件はこれで終わり。ほら、後はボクは凛くんとイチャイチャするんだから、“皐月”は早く帰って!」

「! う、うん! じゃあね凛太郎……と、さ、“桜”!」

「おう!」

「しっしっ」


 桜さんに名前呼びされた皐月は、嬉しそうに部屋を出た。

 で、桜さんもそんな皐月を笑いながら追い払った。


 さて。


「あ…………」


 俺は桜さんを後ろから抱き締めた。


「ありがとう桜さん、俺の身体は大丈夫。心配かけたね」


 桜さんが部屋に入った時から気づいていた。

 桜さんのまぶたが腫れていたこと、うっすらと目の下に隈ができていたこと。

 メイクでごまかしてたって分かる。


 俺は、それだけ桜さんに心配かけたんだ。

 それが申し訳なくて、だけど、すごく嬉しくて。


 すると、桜さんの肩が震えた。


「う……うう……」


 桜さんは泣いていた。

 俺のことが心配で、大丈夫だって分かって、色んな感情が溢れちゃったんだと思う。

 だから。


「桜さん……」


 そんな桜さんを俺のほうへと向いてもらうと。


「は……ん……ちゅ……」


 俺はそんな彼女の唇にキスをした。


「ん……んん…………ぷは」


 しばらくして、俺は唇をはなした。


「……心配した。怖かった。凛くんがいなくなっちゃうんじゃないかと思った。もうヤダよ、こんな思いするの、ヤダ」

「ごめん……ごめんね……」

「……お願いだから、無茶したりしないでね? どっか行ったりしないでね?」

「うん。約束する」


 もう絶対、桜さんにこんな思いはさせない。


 そう桜さんに誓うために、俺はもう一度キスをした。

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