第31話 接吻

 昼食も終わり、理香は器を持って下へと降りていった。


 ふう、お腹が膨れて全く勉強する気にならないぞこりゃ。


「あー、凛くんすごく気の抜けた顔してるよ。ほら、もうちょっとがんばろ?」


 くそう、俺を殺すには桜さんがいれば充分だ。

 可愛すぎて、どうやっても桜さんには勝てそうにない。


「そ、それにほら、期末テスト終わったらその、すぐ夏休みだし……」

「う、うん……」


 そうだよ! 夏休みだよ!

 海とかお祭りとか、イベント盛りだくさんだよ!

 うはあ、桜さんの水着姿とか浴衣姿とか……おっと、とりあえず賢者に徹しよう。


「よし! 気合い入れてやるか!」

「おー!」


 ということで勉強を再開した。


 夏休みのことを考えて気合いの入った俺は、かなりいいペースで勉強が進んだ。

 と言っても、桜さんが要点をまとめて丁寧に教えてくれたからだけど。


「うーん、桜さん、教えるの上手だよね」

「え? そうかな?」

「うん。俺、こんなに理解したの初めてかも」

「あはは、だったら良かったよ」

「おかげで、ノルマも達成したし」

「うん! よくがんばったね! じゃあそんな凛くんにご褒美だよ」


 そう言うと、桜さんはテーブルを少しずらして、膝をポンポンと叩いた。


 ? 何だろう?


「えーと、桜さん?」

「そ、その……ひ、膝枕してあげる」


 は? 今なんて言いました?

 ひ、膝枕ですと!?


「あ、え、い、いいの?」

「う、うん……」


 桜さんが顔を赤くしながら、恥ずかしそうに俯く。


 となると、俺のすべきことは一つだ。

 桜さんの気が変わる前に……。


「よ、よろしくお願いします」

「う、うん」


 俺はおずおずと桜さんの膝に頭を乗せる。


 うおおおお! なにこれ!

 すごく柔らかくてあったかくて気持ちいい!


 そして、桜さんはゆっくりと俺の頭を撫ではじめた。

 ああ……幸せ……。


 チラリ、と桜さんを見ると、桜さんは聖女のような微笑みで俺を見つめていた。


 俺は思わず吸い込まれそうになると、今度は桜さんの小さくて艶やかな口唇に釘づけになる。


 俺……。


 俺は桜さんの撫でるその手をつかみ、むくり、と起き上がった。


「あ、あれ? 凛くんもういいの?」

「桜さん……」


 俺はつかんだ手を握ったまま、桜さんを見つめる。


「あ……」


 桜さんは、耳まで真っ赤にしながら、ゆっくりとまぶたを閉じた。


「ん……」


 俺は静かに顔を近づけ、そして……。


 俺達は今日、初めてキスをした。


 ◇


「すいません、お邪魔しました!」


 夕方になり、桜さんと俺は玄関へと降りた。


「桜ちゃん、またいつでもいらっしゃい!」

「桜さん、今度は私とも遊ぼうよ!」

「うん! テスト終わったら夏休みだし、一杯遊ぼ!」


 桜さんがそう言うと、理香は嬉しそうに何度も頷いた。まだ出会って二回目なのにホント仲良いな。


「じゃ、行こうか」

「うん! それじゃ、ありがとうございました!」

「ええ」

「桜さんまたね!」


 てことで、俺達は駅に向かって歩いた。


「ふああ……」


 桜さんはさっきから唇を指で何度もなぞりながら息を漏らしていた。


 その姿が蠱惑的で、思わず俺は唾を飲み込む。


 ああ、本当にこんな素敵な人が俺の彼女だなんて……。


 今日一日だけでどれだけ幸せと感じたか分からない。


 そんな風に余韻を噛みしめていたら、あっという間に駅に着いてしまった。


「駅に着いちゃったね……」

「うん……」


 俺の胸に名残惜しさが去来する。


 桜さんはどう思ってくれてるのかな。

 俺と同じ想いでいてくれたら嬉しいな。


「今日はもう、帰るね……」


 そう言ってつないでいた手を離そうとしたところで、桜さんがキュ、と強く握り、それから離れた。


「凛くんまた明日! 帰ったらRINEするね!」

「うん。待ってる」


 いつもの笑顔になった桜さんが、改札に向かいながら何度も振り返って手を振った。


 俺はそんな彼女の姿が見えなくなるまで、ずっと手を振り続けていた。


 ◇


■桜視点


 何度も振り返りながら、手を振る凛くんの姿を見つめる。


 ボク、凛くんとキス、したんだ……。


 ボクは嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて。

 駅にたどり着くまでの間、胸が一杯で言葉が出なかった。


 駅に着くと、凛くんと離れたくなくて。

 だけど、また明日逢えるって自分に言い聞かせて。


 凛くんの手を離す時、思わず躊躇しちゃった。


 凛くんはどう思ってくれてるのかな。

 ボクと同じ想いでいてくれたら嬉しいな。


 改札をくぐり、ホームへ向かう階段の前で、そんな幸せな気分を台無しにする奴に遭ってしまった。


「やあ、北条さん。奇遇だね」

「……………………」


 如月遼が和かに微笑みながら声を掛けてきた。


 ボクは無視して階段を上ろうとした。

 その時。


「あ、そうそう。桜さんって、確か同じ中学だったよね」

「っ!? 馴れ馴れしく名前で呼ぶな!」


 なんでこんな奴に下の名前で呼ばれなきゃいけないの!?

 吐き気がする!


「えー、凛太郎だって下の名前で呼んでたし……いいよね?」

「ふざけるな!」


 何なのコイツ!?

 一体何が目的なの!?



「そういえば、桜さ……おっと、また怒られちゃう。北条さんって、中学の時いじめにあってたじゃない? あの時、大変だったんだよねえ」

「は? 何が言いたいの?」

「いや、ほらさ。北条さんのいじめ止めるために、結構苦労したんだ、僕。ついつい職員室まで乗り込んで、先生達になんとかするように叫んじゃった。その所為で、先生からは目を付けられたんだよね」


 な!? コイツ!?


 この男は、あろうことかボクをいじめから救ったのは自分で、しかもそのことでボクに恩を売るつもりなの!?


 許せない。


 許せない許せない許せない!


 ボクの……ボクの凛くんとの大事な思い出を……!


「……いい加減にしてよ。また凛くんの優しさを横取りするつもり? 大体、ボクが本当のこと、知らないとでも思ってるの? この、偽善者の卑怯者!」


 ボクはありったけの殺意を込めて如月遼を睨み付けた。


「あ、あれ? なあんだ、知ってたのか。失敗失敗」


 如月遼は、悪びれもせずヘラヘラと笑っていた。


「とにかく……もうこれ以上、凛くんとボクに近寄るな」

「えー……どうしようかな?」


 これ以上話しても無駄だ。


 そう思ったボクは、如月遼を無視してホームへ向かった。

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