第29話 勉強

「うーん……」


 週末の土曜日、俺は喫茶店のテーブルで数学の参考書とにらめっこしていた。


 つか微分積分て何よ? そんなの習ったっけ?


「ほら、凛くん。ここをこうやって代入して……」


 問題に詰まるたびに、桜さんが丁寧に教えてくれるんだけど、その、前屈みになるの、反則です……。


「ん? どうしたの?」

「あ、い、いや……」


 あああ! チクショウ、どうすんだよ!

 チラチラ桜さんの胸元が見えるんだよ!

 気になって仕方ないんだよ!


「フフ、二人とも頑張ってるな。ほら、差し入れだ」


 先輩が俺達のために、桜さんにはミルクティーを、俺にはコーヒーを持ってきてくれた。


 え? 桜さんはパフェじゃないのかって?

 パフェは桜さんと付き合うようになって以降、俺が作ることになってるんだ。

 だって、パフェを見て嬉しそうにする桜さんの笑顔、独り占めしたいじゃないか。ねえ?


「うーん、じゃあ少し休憩しよっか」


 そう言って、桜さんが伸びをした。

 だから桜さん、そんなことしたら、お胸様が強調されてとんでもないことになってるから。


「凛太郎、コーヒー飲んでからでいいから、棚の整理手伝ってくれ」

「うっす」


 カウンターの向こうにいる大輔兄に返事しながら、コーヒーに砂糖を大量に入れると、スプーンでかき混ぜる。


 ちなみに、今日は俺もバイトの日なんだが、期末テストの話をしたら、先輩から勉強を強要された。理不尽だ。


 まあ、桜さんとこうやって過ごせるんだから、文句は言うまい。


「楓さん、二番テーブルにお願い」

「はい!」


 大輔兄がコーヒーとサンドイッチを先輩に渡すと、先輩はそれをトレイに載せて運ぶ。


 ところで。


「ねえ、大輔兄、いつから先輩のこと名前呼びになったの?」

「うお!?」

「はわわ!?」


 俺がツッコミを入れると、二人はあからさまなオーバーリアクションをかました。


「凛くん凛くん」


 桜さんがチョイチョイと手招きするので耳を傾ける。


「(先輩に聞いたんだけど、「名前で呼んでほしい」とお願いしたら、マスターが快諾したって……)」

「(大輔兄が!?)」


 桜さんの説明に、俺は驚きのあまりのけ反ってしまった。


「(……真相は、先輩が強引に言わせた、が正解だと思う)」


 桜さんが補足するように言葉を付け足した。


 それでも……そっか……。

 大輔兄も前に進むことにしたんだな……。


「先輩に感謝、かな……」

「?」


 俺が呟いた言葉に、桜さんは不思議そうに首を傾げた。

 二人がうまくいったら、桜さんにも教えてあげよう。


 ◇


「うん。今日もそこそこお客さん入ったな」


 営業時間が終了し、片付けを終えた大輔兄がうんうんと頷く。


「ですが大輔さん、その、お客さんの入りと私達の人件費を考えると……」


 先輩が言いづらそうに、遠慮がちに大輔兄に忠告する。


「ん? ああ、大丈夫だよ。元々うちの収入源は賃貸マンションと駐車場だし」

「え!?」


 大輔兄の言葉に、先輩が一瞬目を丸くする。


「ええと、うちって先祖代々の土地があって、そこに賃貸マンション建てて、月極駐車場も作ったんだ」

「は、はあ……」

「それに、この喫茶店だって、土地も建物も自前だから、経費は材料費と水道光熱費、あと、楓さんと凛太郎の人件費だけだからね」

「そうそう」


 元々知っていた俺は、大輔兄の説明に相槌を打った。


「ふああ……すごいですね」

「別に何一つすごくないよ。マンションと駐車場あるからってすごい収入があるわけじゃないし」

「そうそう」


 俺はもう一度相槌を打つと、今度は大輔兄からジト目で見られた。だって事実じゃん。


「で、この喫茶店は俺のわがままで経営してるってわけ」


 そう言うと、大輔兄は思い出にひたるかのように、柔らかい表情でカウンターを撫でた。


 大輔兄……。


「ま、そういうわけだから、給料のことは心配しなくていいよ」

「べ、別にお給料を心配してるわけじゃありません! ただ、このお店と、その、大輔さんが心配だったから……!」

「あ、ああ、うん、その……」


 先輩の言葉に気まずくなったのか、大輔兄はポリポリと頭を掻いた。


 うーん、想いが重い。

 先輩ってなんというか、グイグイいくよね。

 まあ、大輔兄にはそれくらいでちょうどいいのかもしれないけど。


「そ、そうだ二人とも。明日はどこでテスト勉強をするんだ?」

「明日は凛くんのお家でします!」

「そ、そうか」


 そう、シフトが入ってない明日の日曜日は、桜さんが俺ん家に来て一緒に勉強することになっている。

 もちろんこの日のために部屋の掃除もしたし、アイテム隠しもバッチリだ。


 そして、桜さんは先輩の傍によると、何かを耳打ちした。


「(明日は頑張ってください)」


 すると、先輩はフンス、と小さく拳を握って気合いを入れた。

 何だろう一体……。


「じゃ、お疲れしたー!」

「失礼します!」

「ああ、お疲れ」

「ちゃんと桜ちゃんを送るんだぞ!」

「分かってるよ!」


 俺と桜さんは店を出て、駅に向かって歩いた。


「はあ……しかし、テスト勉強もそうだけど、アイツ等にも疲れた……」

「ホントにね……」


 遼の奴が学校に来るようになってから、何かにつけて遼と花崎さんが絡んでくる。


 しかも、幼馴染の俺にじゃなく、桜さんに。


 見てるかぎり、花崎さんと上手くいっているようだから、さすがに遼が桜さんを狙ってるとは考えたくないが、万が一そうだとしたら。


 そんなのは決まってる。

 絶対に桜さんは渡さない。


「とにかく! もうあの二人のことを考えるのはやめよう! 明日は凛くんの家で勉強会だよ!」

「お、おう……」


 そ、そうだった……明日もテスト勉強だった……。


「ほ、ほらほら、勉強は集中すれば三時間くらいで終わるから……その後は、ね?」


 桜さんが俺の袖をつんつんと引っ張っりながら、首を少し傾げてはにかんだ。

 もう……もう……!


 ……い、いや、落ち着け俺。

 変なことして桜さんに嫌われでもしたら、それこそ俺、二度と立ち直れないぞ……。


「う、うん、明日、楽しみにしてる」

「えへへ……ボクも」

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